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愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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朝電話で起こされて「外見てみ」っていわれてカーテンあけたら雪景色でした。典型的!

関東は降らんろうなぁと思ってたので驚きです。東京で個人タクシーの運ちゃんやってるおじさんがいるんですが、「ダメだ、人いねぇ」とのことでした。スノータイヤに取り換えるので半日終わったともいってた。ひえー。

去年の二月まで二年くらいいた北海道は、十一月に初雪でそれが消えるのは翌年三月・四月、とかだったので、ギャップが激しいです。雪も、向こうは片栗粉でこっちはシャーベット。
本州の雪は知る限りシャーベット状態ですけれども。新潟も基本水分過多です。

二年前まで恵方巻きを知りませんでした。実家だったから自分でスーパー行かなかったし。恵方て何ぞ、くらいの認知度。
もとは関西の風習らしいですね。去年からは食べてます。ちゃんと恵方を向けてるのかどうはか甚だ怪しいところですが。

日々妄想がとめどないんですが、とりあえず「学生っていいよね」が最近の結論です。
3-zって高校生なんですけど、大学生だっていいじゃない。大学生の真撰組と攘夷。同じ大学でもいいし、私大と国立でもいい。専門学生と総合大学でもいい。
いっそ全員違う学校で、高校とか中学とかの同窓とか、バイト先の知り合いだとか、同じアパートに住んでるとか、そういうのでなんやかやつながってればいいじゃない。

大学もバイト先も違うけど三軒隣だから一緒に鍋する銀さんと沖田とか。
バイト先が同じだから帰りに一緒にツタヤ行ってCD見てバス待つ高杉と土方とか。
住んでるところはお互い遠いんだけどサークル室でよく出くわす坂本と陸奥だとか。
大学もバイト先も違うけど毎日同じ電車の同じ方向に乗る、話しかけないけど顔見知りの山崎と桂とか。
学部は違うけどいっこだけ同じ講義で顔馴染みの近藤さんと長谷川さんとか。
高杉先輩の煙草買いに(自主的に)コンビニに行くまた子と坂田さんを合コンで落とすためにコンビニで店員やってお金貯めてるさっちゃんとか。

そういうのを妄想してます。学パラの楽しいところは縁のない縁はないというところ。

実は友人がダブルスクールしてます。学校ふたつ行ってる。
大学三年生やりながら、声優の学校も行ってる。しかも声優のほうの授業料は自分で払ってる。授業料はバイトで稼いでる。そのバイトは冥途喫茶。
なんて濃い子。なっちゃんです。

あと高校の先生になるために大学院目指しながら、身体があいたときにたまに銀座のキャバ嬢やってる子がいる。
きみみたいな先生にもたれてみたかった。おもしろそうだもの。

何がいいたいかっていうと、どんな無茶な設定でも無茶じゃないってことです。むしろ現実のほうが無茶。上記二人は友人同士です。普通に考えたら縁がないだろう。

事実は小説より奇なり。

新八と神楽ちゃんは年齢的に届かないので保留状態です。新八はともかく神楽ちゃんがなぁ。
妄想として広げたい所存です。高杉と土方が一緒のバイト先なら、それはどこなのかとか。桂は本屋のバイトとか似合いそうだとか。
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別段なんにも片付いてないですがあたまがキャッホーな状態になったので上がってきました午前五時(笑顔)

寝たり起きたりしながらこたつで仮眠したり十時間くらい寝たり朝までレポとにらめっこだったりした三日連休でした。もう頭がパーになる。

唐突に語りに入る。アルコールよりハイテンションになれるのは貫徹とおりこしたアドレナリンです。

初期土方の個人的土方:銀さんの割合は3:7で。
煙草ものむが甘味も好む。ものぐさだけど銀さんほど全部うっちゃってないで、仕事は一応こなす。でも土方ほどワーカホリックではないので、適度なところで切り上げて遊びに繰り出す。
女遊びは、ものそいするか、もしくはまったくもてないかのどちらかだとよろしい。これそのまんま土方と銀さんの要素を踏襲してるな。
面倒見はよくない(冷たい)と見せかけて結構世話焼き。でも銀さんのような「優しそうでどこか冷たい」じゃなく、土方みたく「冷たそうでどこか優しい」。どっちかっていうとの話。

初期がこんなに無駄に殺伐としてんのは初期近藤のせいに違いない。うんそうだなぜならゲンドウだからだ。(偏見)
第一印象って、大事だよね…
でも見合い魔なんだものな。空知だものな。
ゴリラじゃなくてもきっと要所要所に穴がある。いや変な意味じゃなくて(誰も思ってないよ)
ゲンドウに見せかけて落とし穴があるんだろうな…という意味で。
でも空知が書いた初期はあの設定画だけなので未だイメージはゲンドウなのであった。すごい殺伐としてるイメージ。エヴァは途中脱落です。

それはそうとニコニコで「エヴァのシンジを銀時にかえてみたんだけど」っていう動画があって、すごい再生数とコメント数とマイリス数だった。大爆笑だった。
思わず マイリス だぜ!(こっそり)(ひとのこといえない)
ほんとあんなエヴァだったら毎週欠かさず見るわ。というかシンジもといギンジに惚れる。

閑話休題。

初期沖田って、よくあれ江戸に連れてきてもらえたなと思う。普通…というかどんなに行き場所なくてもどっか初期土方なり初期近藤なり原田さんなりの実家に預けるとか養子にするとか、それで普通に嫁に出そうとかなるんじゃないか。
もし現行の近藤と土方だったらなんとなくうんと云わないような気がしてる。というか、ちまこい初期沖田が直談判してる姿思い浮かべても、どうもしっくりこない。どんなにせがんでもうんとはいわないだろう。
それに比べて初期近藤土方はどうだろう。旗揚げ当時にいいとこ十代前半くらいのおなご連れてこうと思うだろうか。荷物に忍び込んででもついてくんだろうけど。叱られても怒鳴られてもしがみつくんだろうけど。
近藤土方や道場の面々と別れたくないてより、初期でも沖田は剣士だから、そういう意味で絶対自分は行かなくちゃならないと思ってたのかな。彼女自身の自負として。行きたいと思ったのかな。

でもきっと現行の近藤さんが本気で心配して宥めたらついてこれないんじゃないかな…初期近藤だからこそなのか。
初期沖田のイメージは「無機質」です。かつ「流麗」。
硝子玉というとちょいと近い…

なんで初期話なのかというと初期のお祭りが今月いっぱいで終わりなので見てきたからです(レポ-トは?)(息抜き…)
ふたつ提出したんだけど、「coaxial」(同軸)って単語でそれらをつないでいただいたので、主催者さまの御配慮と言葉選びのセンスに最敬礼です。いいなぁそのつなぎかた。こっちにアップするときにそれ使っちゃだめかな。だめ?うん?よしやってみよう!(勝手に)
いやいや一応ご報告はさせていただきますよ。でもご多忙のようだしな…め、メールしてみるか(小心者)

永倉と沖田、沖田と土方ときたので、あともういっこくらい別の組み合わせをやってみたい所存。

絵茶ログがあぷされてた。改めて見るとにやにやしてしまう。
あれはじめてのちゃんとした絵茶だったんだけど、すごいなぁお絵かきツールって使うとあんなふうになるんだ(素人)あんなん駆使してる絵描きさんたちは本気で尊敬する。レイヤーとかすごいよなぁ(バケツ塗りくらいしか知らない)
ちなみにレイヤーというとコスチュームプレイヤーのほうを思い出してしまうわたしはきっと負け組。

レイヤー…じゃないんだけど、あれを古典的な手法でやったのを昔テレビでやってた。「老人と海」をね、ガラス板に描いたアニメーションでやってたの。
何枚もガラス板を重ねて、一枚一枚だけじゃ完成図が想像つかないんだけど、描いてるおじちゃんの脳裏にはばっちり見えてるらしくて、一枚一枚の板にはなんだかわからないものが絵の具で塗られてた。
で、ぜんぶ重ねてみるとそれがすごい。海完全表現。
ガラスってしたが透けるから、すごかった。あれもう一度見たいな。なんて手法だろ。メジャーなものじゃないのかな、マイナーなのかな。

話がずれるずれる。さっきからうちながらメッチャ眠くなってきました。
講義は午後からです。今は午前六時です。
風呂入ってこよ。
唐突に来てみる。

ホームが違うところがつくづく自分のもえどころなのですが。
攘夷派って、「かつてホームを同じくしてたものが離れた」のか、「最初っからホームもなにも違ったんだけどある時点で重なってたこともあった」のか、わからないんです。どっちでも 非 常 に もえるのでよいのですが。

前者って、果たしてかなしいことですかね。学校の卒業を思い浮かべるんですけど、けしてかなしいものじゃないなあと思います。
縁があればまた会うだろうよと思って別れてるからかもしれません。明日会うかもしれないし一生会わないかもしれない、それが等価の。

後者は非常に好物です。柳生編のときもさんざん云った気がしますが、ホームと立場の違うやつらが利害関係で手を組むのが大好きなんです。実際重要視されるのが利害じゃないところが特に。というか表層に「利害」乗っけといて楽々振舞うのとか、粋だなぁと思います。かっこいい。
利害の部分を表層にしてるってのは、実際どう思ってるかとか原動力にしてる理由とは違うってことで。柳生編はよかった。

ええと話もどる。

村塾トリオと坂本はきっとホーム違うと踏んでます。互いに一線があったってこと。それが松陽先生の存在なのか、幼馴染と友人の違いなのかはわかりませんし、たぶん両方なんでしょうが。
で、村塾トリオもやっぱホームが違ったんじゃないかなと。

銀さんは孤児な気がします。ので、完全な妄想ですが松陽先生にはものごころついてから拾われたんじゃないかなと。
それって「ホーム」を定めずにやってってた子だったということで。
なんだかんだ、いいとこの子ぽい桂や高杉とは違うだろうなって思うんですねん。
かつてホームを同じくしていたというのが適用できるのは桂と高杉だけかな、と。いやほんと妄想で。
だからこそ紅桜篇の最後の桂の台詞、「ずいぶんと離れてしまったものだな」が効いてくるんです。個人的に。

桂にとってはホームとかそういうのあんま重要視してなくて、ただ友人として離れて隔たってしまったことをさびしいなと思ってるだけだとよいです。桂は銀さんや高杉よりもずっとシンプルな考え方してる気がする。一側面では単純、また別側面では男らしい。というか、高杉は烈しすぎて、銀さんは感傷的なんじゃないかな。

「ある時点においてのみつながってた=ホームに値するものが重なってた」がなんでこんなにすきかというと、それが稀有なことだからです。場所や誰かに執着して続いてきちゃったある意味「惰性」のものより、それぞれが選びとったものの結果として隣り合ってたってほうが誇り高いな、と。

個人的な攘夷ソングはミス/チルの「World's end」です。かつて同じ場所にいたそれぞれが互いのことを地球の裏側同士でふと思う感じが。
万事屋にとってはそれは未来のはなしだし、真撰組に至ってはそれこそないことですし。
相手が憎らしいほど元気にやってること確信できるから、離れててもよいものなんじゃないかな。なんて。
あと、飄々とどこにでも行って帰ってきてさらに行ってしまう感じは、攘夷派勢にこそ相応しい気がして。

真撰組は「過去現在とおしてホームを同じくするもの」なんですが、それもまたすきだ。ずっと続く関係性のなかで歪められたものと培われたものとが無矛盾に無批判に共存するところが。依存でなく、信頼のほうで。それが偽善的な幻想でも。

沖田と近藤・土方の間にわだかまりがあったってのがミツバ篇で露呈したのがよかったです。というか沖田が一方的な劣等感や距離感を感じていたというのがあまりにも頷けた。
あの三人の間にもそういうのがあったことがうれしくて。
届かないもの・もどかしいものが青少年にはあってほしいんです。掴み取ろうと・触れようと手を伸ばすことがやっぱり青少年の醍醐味で、それを後になって成長って呼ぶんじゃないかなって思うので。
常に土方に対してアドバンテージを握る沖田が同次元に存在してるからこそいえることですが。あれはいい。あそこの関係性はほんとにいい。

沖田が剣の腕で土方をしのいだことが決定的になった瞬間から変わったものもあるといい。それとガキ扱いすることは別であるとまたいいな。さらには一人前扱いすることもそれらとは別だともっといい。
「土沖」って意味でも「土方と沖田」って意味でも、真顔でゆうばりと朝まで語り合ったことがある気がします。それくらい好きだ。

真撰組は空知がなんかやらかす度に愛が増します。ミツバ篇が第一インパクト、動乱篇が第二次で。
沖田や土方の揺らぎが見れたからかな。今までもすきだったんだけどより愛着というか何かそんなんが増した。

近藤さんと土方について考えると銀登勢について考えてる時みたくなります。絶対に肉体関係がないのが至上かもしれない。
肉体関係ができちゃうと、一方通行じゃなくなっちゃうんですよね。近土は土方の、銀登勢は銀さんの一方的な何かが押し付けじゃなくてどっかにある。かぎりなく補い合い・お互いを見守りながら、絶対にふれない。肌に触れないし、振れ幅も一定上に振れないで限定された領域を守る。そういうの。
目で追ってしまうけど相手に求めるものはないといい。にも関わらず与えられてしまうことがあるといい。近土にしろ銀登勢にしろ、「相手に求めないからこそ与えられてしまうもの」があるように見える。

土方は近藤さんにこそ救いを求めない。他の誰にも求めない。強がりじゃなくて、それが土方。にも関わらず近藤さんにあっさり救われてしまう瞬間が存在する。
かなわない、でも悔しくない。むしろ「かなわないな」と笑みをこぼすようなのが個人的至上近土。

銀さんは自分のまわりのものを流れてくものだと思ってる。神楽ちゃんとか新八の存在はでかいな。自分はそれを見届ける人間だと思ってる。傍観者ポジションとか、戦争を生き抜いちゃった人間だとか、そういうの含めて。諦観もあって、でもそれが銀さんだから。
でもその銀さんを見届けるのがお登勢さん。そういう存在がいるってことを得がたく思って感謝してしまうこともあるだろうと。
色んなものを見届ける傍観者を見守る、そういうある種の救い。それが個人的至上銀登勢。


原作からずれてるのかずれてないのか。このラインに非常によわい。
たまに語りに来るとハンパなく話題が一定しないです。でも楽しかった。
明日は全休!全休!
サムチャ大詰めとグレンラガンで明日は終わると思います。はまってしまうかもしれないグレンラガン。
銀さんとか薬売りとか銀土銀とか土沖土とか考えるだに考えすぎてなきたくなるわたしはもえ飽和状態。
今月のうちならお祝いてことで多少のばかは多めにみよう。うん。


いつ生まれてたっていいんだよとりあえず祝わせろおめっとう「あんたがいてくれてよかった」と多分イコールで@銀誕


試験週間のときのアレ…絵描きさんがみまわれる書きたい症候群とおんなじ。
追い詰められてるとしゃべりたくなるんですたい。


銀さんのアイデンティティの在り処は今現在の自分そのもので「何か」に依拠してるものとは何となく思えない。
わたしが松陽先生への考察薄いのもそこらへんなんだろうな…
トラウマがなさそうなんです。あっても「それがどうした」で超克してそうなんです。孤児にしちゃ、愛されることや愛することに拘ってなさげなんです。
なんなんだろな…


土方と近藤さんは「一生にひとり」の相手で所謂「運命の相手」なんだけど恋愛じゃないんだろうな。
あーあれ。恋人と相棒がイコールじゃない感じ。パートナーの意味が違う。
絶対、根底とか最後の最後とかで、支えたり拘ったり振り返ったり袖引いたりするのはお互い、みたいな。いや近藤さんの場合よりも土方において。
信仰に似てる。盲目じゃなくて。
ちゃんと自分を鑑みた上で最後に行き着くものっていうか。
恋愛だったらこんなに続くはずなかった。感じの。
愛じゃなく恋じゃなく情じゃなく。…それでもすべてを取り去ってまだ最後になお残るもの。
そんな感じ。


銀さんは究極のさびしんぼでありつつ、絶対的にそのことばだけは似合わない。
それがさびしいことだと思ってないから。


土方と沖田の距離はいつもちゅうぶらりんで綱引き状態。
ひっぱりあってぴんと張ってるから成り立つ。緊張状態、に似てる。けどどっちかに引きずられるのはいやなので立ち位置は譲らない。すなわちひっぱりあい。
でも片手に綱持ってたまにひっぱって相手がいること確かめ合う。意識無意識関係なく。習慣で、意志で、他意なく、存在を賭して。
真剣なお遊びとか、その真剣の度合いが互いに他に見せない類のものだとか、そういう。
そのゲームのルールはいつだったかの最初にきめられちゃったので今更変えられないし変えてどうするっていうつもりもない。それに気に入ってないわけじゃない。
好きとか嫌いとかいう問題じゃあない。そういうことじゃない。
近藤さん抜きで二人の関係性と距離だけ考えたらなんかそんなイメージが…
立ち位置は別問題。


鴨って双子なんだよね。双子ってどんなんだろうね。互いだけはどうしてもとか無条件のなにかがあると思ってしまう。鏡像とか自己愛とか通り過ぎてても、絶対に拘ってしまう一線があるはずだ。
と思ってしまうのは、わたしの知り合いの双子の男たちを思い出したからで。
庇うとかたすけるとか俺があいつについてなくちゃとか、俺がいなくてもだいじょぶなようにとか、いてくれたらとか、いてくれなくてもとか、いてほしいとかいてほしくないとか。
相手だけに向ける感情があるはずだ。


「変化を主題にしてないのに徐々に自然に変化してく人々の変遷」。それがぎんたま。


高杉の転回っていつだろう。常にか。それは新八も銀さんも神楽ちゃんも桂も土方も長谷川さんも、すべてにいえるのか。
新八。まじでだめなおとこのこから、僕は侍だと名乗るようになるまで。
銀さん。もう持たねェなんて思っていつのまにかの万事屋現在。
神楽ちゃん。もっと殺伐した子だった、むかしは。
桂。行動と思想が沿わなくてはならないと思うようになった気がする。余裕を持つようになった気がする。
土方。対銀さんに代表されるあれこれ。
長谷川さん。官僚から転落。にも関わらず、今の彼は結構泣いたり笑ったりと忙しい。


わたしの文章じゃあどうにも伝わらないが土沖土の銀土銀の土ミツで、坂銀坂の高銀高の桂銀(ベクトル的に)はガチなんだ。そこに沖神をいれてもいい。
かつ銀沖銀は特別枠で、銀マダ(ベクトル的に!)。
恋愛にもなるなぁと思う。ガチで。肉体的にもありで。リバはほんともう洒落にならない感じにちゃんとリバで。
定銀というか万事屋×銀と、銀登勢はたぶんモノが違うけどそこもガチで。近土と同じカテゴリ。

ちょっとパラレルはいるかもしれないが、坂陸奥と高陸奥は無矛盾で同時並行で成り立つ。


収拾つかなくなりそうなので関係ないはなし。
わたしの高校時代の部活って攘夷派の関係図が適用できるって前にいった覚えがあるんですが。
今も適用できました。
今現在の身内の関係図が万事屋のそれと重なる。
…もうどうしようもないな。
全員の協議の結果としての結論なんですが、最初にわかったときのわたしの心の声は「もうほんとどうしようもないな自分」でした。
あくまで関係図であって、誰が誰に似てるとか、そういうんじゃないんですけど。
属性とか性質とかね。集団のなかでの役割とかね。性格は勿論ぜんぜん違う。
もうここじゃ相当勝手に名前出してるからもう断りいれるのも今更ですが。ゆうばりが新八。なっちゃんが神楽。
わたしがなにかはいわせんといて。
ちなみに定春もいました。
どうやっても真撰組にはならねーんだな。と思いました。過去現在とおしての経験において、真撰組の関係図が適用できたことは一度もありません。
なんなんだろな。
「どうしようもねーな自分」と思ってしまうのは、わたしが銀さんの論旨の不備を知ってるからです。知ってるから歯がゆい。知ってるからどうしようもない。
が、それが自分にまで適用できるとは思いたくないんだ…
どうしようもねーじゃないか自分。

関係性って残酷ですね。


また概念で考え事してるな。関係図は関係の図式化で、それは数式に置き換えられる。
この癖をどうにかせんば。


ちょ、寝ます。レポの合間に数行ずつ書いてきたけどもう限界。
なんかまた来そうだなコレ。
や、やることはいっぱいあるんだけど。

今週のぎんたまとか薬売りとかなんかそんなん。とりあえずカテゴリはおじゃんぷでも薬売りでもなく「銀魂語り」で。
ねたばれだよ。隠すほど書かないから隠さないのでこみくす派のひとは気をつけて。



今週メッチャ強いなぁと思った銀さん。
あとね、今サムチャ見てるから特にそう思うんだけど、いっかいひっくり返してくるからすごいよねぎんたま。

サムチャは、演出と音楽と映像は別として、ストーリーはちゃんと一般的な範疇の時代劇やってると思う。想像を超えない感じの。いい意味で時代劇的。因果応報でオチが見える。水戸黄門みたいな…
もうちょい陰が濃いかな?て程度の。(これは登場人物たちの過去とかの背景からくる陰なんだろうなとまだあと5話残してるのにフライングして云ってみる)(そうだ見なきゃ…)

ぎんたまってひっくり返してくるんですよね。何がって、こうくるだろうなという想定を。
あれは普通、京次郎が悪役で黒幕でガチじゃないですか。あいつをぼこれば円満解決。鬱蔵も実は生きてたとかで、親父さんの死に目にも会えて、万々歳。
でもぎんたまってひっくり返してくるんですよ。ここで京次郎に視点うつる。
定石知ってたほうが案外面白いんじゃないかなと思う。ので、ちょっと年齢層が高めの理由の一端が、こんなとこでも察せられたり。

「薬売りはご都合主義で出てきたキャラなので怪化猫のストーリーにおいて実際身の置き場がない」みたいな意見を見たことがありまして。
あと、「銀時みたいな社会の底辺にいて、なおかつ実際には力を持ってるのに宝の持ち腐れをしてるようなやつに説教されたくない。しかもそれぞれの事件や場合において万事屋の必要性があるのか疑問」みたいな意見も見たことありまして。

これは超簡単な答えがあるんです。つまり、推理小説における探偵の存在と同義なんです。

必然性はないんです。でも共同体を破壊するモノは外部から訪れるもので、そのモノの意図や理由などの法則はけして内部の人間には読み解けないんです。だから、壊せるんです。

この「壊す」を、探偵の場合なら「解決する」、薬売りの場合なら「モノノ怪を斬る」、銀さんの場合なら、…なんでしょうね、「説教する」?或いは「打開する」?まぁ、そんなんで。
事件そのものと探偵はまったく関係ないんです。でも、探偵は探偵だから事件を解決に行く。必然性がないといわれる、それ自体が必然性になる。
薬売りと銀さんも同じこといえんじゃないかなって思いまして。

でもそれとは別に、銀さんの位置づけは本来の傍観者・師匠ポジションだと思ってます。「BLEACHにおける浦原喜助」だと某旻氏はいってた。そうだと思う。
ワンピにおけるシャンクス…だと云い過ぎになるのかな?Dグレと剣心における師匠とか。「出てきちゃダメだ」と作者が思う部類。
和月氏がいってますが、「師匠出てきちゃったら志々雄とかあっさりぼこれます」とかいってるとおり、最強のカードなんです。ていうよりか反則の部類か。
ジョーカー、トリックスター、なんていうかその部類。だから空知が「真撰組でやってりゃよかった」ていうのも道理だなって。銀さんはある意味、主役に据えちゃいけないキャラ。万事円満解決しちゃうから、そいつが出てくるとおはなしにならないやつ。

でも彼らにも彼らの物語があって、それは必ずしも円満解決なだけのものじゃないんだろうな、とはずっと思ってまして、それがシャンクスの左腕だったり、浦原のいまだ明かされぬあれこれだったり、Dグレの師匠の(あんな男が女性の遺体持ち歩くなんて何だそれ昔の恋人?)マリアだったり(大穴でほんとに聖母マリア笑)、剣心の師匠がずっと隠棲し続けることであったりする。
彼らが出てくることで壮大な悲劇は最初の時点でくじかれちゃうんだけど、
でも、そこにはそれで物語がある。悲劇になることなくその意を汲まれた、幸福かもしれない物語がある。
ぎんたまの人情話とかあれこれにそんなこと考えるのはお前深読みしすぎだよとはあいわかってるよ…

銀さんがいなかったことで悲劇になったかもしれない物語を考えてたんです。
たとえば煉獄関。たとえば春雨。たとえば動乱篇。
ミツバ篇は、それでも沖田は当馬さんを斬りに行ったと思うから。
紅桜は、銀さんも当事者のひとりだから。
柳生篇は…どうだろうな。微妙。

煉獄関はわかりやすいどんづまり。普通はあだ討ちには行けない。あれが銀さんだったから行ったんだときっとみんな思ったはず。
動乱篇は、万事屋がいなければなかった展開だったと思うんで。あれがなきゃ土方は復活できなかったろうとまで思う。
春雨はそもそもが万事屋にきた依頼だから判じがたい。

神楽ちゃんと新八は、「銀さんがいなけりゃ悲劇になったかもしれない物語」の代表例ですよね。
わたしは、というよりこのサイトは、銀さん自身の物語を考えてるんですけど、果たして空知の着地点はどこなのか。そんなとこも模索してたりするので正直きりがありまへん。


…ていうかちょっとで済まなかった。
隠せばよかったぜ。でも今週のねたばれ、してるかしてないかあやしい程度だな笑
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