愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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もはや脈絡がないことを身上としてきたいくらいですが
「おまえ銀さん好きだな」と身内に日に三度もいわれたので、素直に吐き出すことにします。
銀さんがすきです。というか。
ぎんたまがすきなんですけど。
マイドキュメントとか整理してて、古いテキストのアレとかコレが出てきたんですが、ホンット初期のころは銀さんしか書いてなかったことが判明。しかも、サイトつくったあたりから半年後くらいまでは、もうほぼ銀さんでした。
サイトは、
「二次創作してみようかと思ったらとまらないなー」
→「ばかみたいな量になったなー」
→「なら置き場をつくろうかな」
と、いう趣旨でつくられたいわゆる倉庫です(身もフタもない)
こうしてちゃんと機能してるのは、ひとえに週刊連載の波にのまれたせいという…感想とか書いてたら倉庫ともいってられなくなった。
しかし今考えるとよくサイトもないのにテキスト書いてたと思う。更新とか目標とかないのに。
テレビとかみながらぼーっとうってました。書き出すともうテレビとか音とか外の世界の話になるんですが。
思うに絵が描けたらテキストは書いてなかっただろうなーってぐらい、
「三次元から二次元へのアプローチ」(絵を描くこと行為自体。複雑な要素の世界から二元論の範疇へ、という定義づけの作法)
あるいは
「二次元から三次元へのアプローチ」(描かれた事物それ自体。描かれたりんごが三次元のりんごと見まごうという事実。絵のりんご≠事物のりんごでありながら絵のりんご→事物のりんご、という図式が“観測者の我々がいる”という条件付きで成立するという特異さ)
って命題がだいすきなんですが、
考えれば考えるほど、なんでテキストなんて方法論をとってるのかわからんくらいすきなんですが、
しかし考えるまでもなかったのが、「つまりわたしは絵が描けないからだ」という結論に収斂するわけですねハイ。
やだもう上記の考えたっぽい部分まるっといらないじゃないですか。ばか。
たぶんうーんと、色彩はモノクロームを凌駕するけれども、色彩を凌駕するのはモノクロームからもたらされる想像力だよね、ってことなんだと思います。
白黒写真の色は想像するしかないから、想像のぶんだけ本物よりちょっと鮮やかだ、とか。そういう。
透徹したチェスも、うつくしい数式も、譜面もピアノの鍵盤も、
「真に独創的な人間があらわれる」といわれるものは、なぜか白黒なので。
本だって、よく考えたら字と余白の白黒ですし。
現実を凌駕する・書き換える・そこに現実をひろげみせる・ものは、モノクロームの想像性ひいては創造性から引き出されるんじゃないかなぁなんて。
で、それがフィクション・うそ・虚飾・であることを踏まえてひろげてみせる“現実”をどう定義するかってのが、どう書くかってことで、
それはおもしろいなってちょっと前から思い始めたので、文章書いてるんだと思います。方法論の問題か!
たぶん、最終的に方法論のはなしになるんだと思います。
でもなんでそのやりかたなのっていわれたら、「おもしろいから」になるんだと思います。
つまり書きたいということで。
しかし何この正当化!ここまでしないとものが書けないのかわたしは。いや、書くことにこんなに理由がいるのか!
かんぺきに話題がすっとんだ。
えーとつまり、なんでこんなに銀さんばっかなの自分、と思ったときに、銀さんに定義づけできる事物が多かったのと(つまり「坂田銀時」自体に特異点が多かった)、あとぎんたまには銀さんから入ったからだ、と思いまし、た。
一言で済むじゃん。
モノクロームを凌駕する色彩、を凌駕するモノクローム、という図式が成立してたとして。
そのモノクロームと色彩をまとめて凌駕してしまうものを見出したんです。
それは、ひかり、です。
基督教原理(創世記とか)から東洋に仏教まで、「ひかり」ってのはたぶん第一元素か根幹をなしてるんですが、それはともかく。
銀色って、色ですけど色じゃないんです。
ひかり、なんです。
白と黒が、厳密には色彩といいきれないものであるように。
だからなんだろうなーって、ぎんたまにはまってしばらくしたころ思いました。今もなんだかそんな感触は変わってません。
唐突ですが、わたしのあだ名は「クロ」です。
犬猫か!て感じですが、これもまたモノクロームのひとつなんですよね。
なので、色彩にかてないながらも凌駕する可能性だけは秘めたモノクロームとして銀色っていうひかりに惹かれるのかなぁなんて、思い始めればホントにきりがないんですが。
銀さんがすきなのは空知漫画だからとか性格ひっくるめたキャラ立ちに「ああああ」ってなるからとかいう点を抜きにしても、こんなふうなとこにも引っかかるんだ!ということがいいたかった。
いつも「銀さんがすきなのは銀さんだからだ」という結論にしかならないので、たまには違う結論を用意してみようと思った。
でも銀さんがすきなのは銀さんが銀さんだからです。
(本末転倒だ)
(ここまできてうえの労力をすべてパーにしやがった)
卒論の色彩論のしたがきみたくなった。もう何も思いつかなかったらこれを適当に転載しようか。
そうだ質問されてたのですが、たしかに文学部です。が、日文じゃないです。
ともだちはみんな日文なんですけど。
短大では国文学かじって民俗学かじってました。しかし国学の試験は落とし追試も落とし、また翌年おなじ授業とりなおしたほど何もきいてませんでした。ばか!
今も一応文学部のはしくれです。哲学とか美学とか専門です。
なのにちっとも哲学も美学もないサイトですみません。もっとこう、なんとか、…ならないのでこのままいこうと思います。いっそすがすがしいまでの方向で。
もうカテゴリ「銀魂語り」じゃないだろうコレ、と思いつつも他にカテゴライズできない。
どうして銀さんにもえるかの一側面だと思ってやってください。
「おまえ銀さん好きだな」と身内に日に三度もいわれたので、素直に吐き出すことにします。
銀さんがすきです。というか。
ぎんたまがすきなんですけど。
マイドキュメントとか整理してて、古いテキストのアレとかコレが出てきたんですが、ホンット初期のころは銀さんしか書いてなかったことが判明。しかも、サイトつくったあたりから半年後くらいまでは、もうほぼ銀さんでした。
サイトは、
「二次創作してみようかと思ったらとまらないなー」
→「ばかみたいな量になったなー」
→「なら置き場をつくろうかな」
と、いう趣旨でつくられたいわゆる倉庫です(身もフタもない)
こうしてちゃんと機能してるのは、ひとえに週刊連載の波にのまれたせいという…感想とか書いてたら倉庫ともいってられなくなった。
しかし今考えるとよくサイトもないのにテキスト書いてたと思う。更新とか目標とかないのに。
テレビとかみながらぼーっとうってました。書き出すともうテレビとか音とか外の世界の話になるんですが。
思うに絵が描けたらテキストは書いてなかっただろうなーってぐらい、
「三次元から二次元へのアプローチ」(絵を描くこと行為自体。複雑な要素の世界から二元論の範疇へ、という定義づけの作法)
あるいは
「二次元から三次元へのアプローチ」(描かれた事物それ自体。描かれたりんごが三次元のりんごと見まごうという事実。絵のりんご≠事物のりんごでありながら絵のりんご→事物のりんご、という図式が“観測者の我々がいる”という条件付きで成立するという特異さ)
って命題がだいすきなんですが、
考えれば考えるほど、なんでテキストなんて方法論をとってるのかわからんくらいすきなんですが、
しかし考えるまでもなかったのが、「つまりわたしは絵が描けないからだ」という結論に収斂するわけですねハイ。
やだもう上記の考えたっぽい部分まるっといらないじゃないですか。ばか。
たぶんうーんと、色彩はモノクロームを凌駕するけれども、色彩を凌駕するのはモノクロームからもたらされる想像力だよね、ってことなんだと思います。
白黒写真の色は想像するしかないから、想像のぶんだけ本物よりちょっと鮮やかだ、とか。そういう。
透徹したチェスも、うつくしい数式も、譜面もピアノの鍵盤も、
「真に独創的な人間があらわれる」といわれるものは、なぜか白黒なので。
本だって、よく考えたら字と余白の白黒ですし。
現実を凌駕する・書き換える・そこに現実をひろげみせる・ものは、モノクロームの想像性ひいては創造性から引き出されるんじゃないかなぁなんて。
で、それがフィクション・うそ・虚飾・であることを踏まえてひろげてみせる“現実”をどう定義するかってのが、どう書くかってことで、
それはおもしろいなってちょっと前から思い始めたので、文章書いてるんだと思います。方法論の問題か!
たぶん、最終的に方法論のはなしになるんだと思います。
でもなんでそのやりかたなのっていわれたら、「おもしろいから」になるんだと思います。
つまり書きたいということで。
しかし何この正当化!ここまでしないとものが書けないのかわたしは。いや、書くことにこんなに理由がいるのか!
かんぺきに話題がすっとんだ。
えーとつまり、なんでこんなに銀さんばっかなの自分、と思ったときに、銀さんに定義づけできる事物が多かったのと(つまり「坂田銀時」自体に特異点が多かった)、あとぎんたまには銀さんから入ったからだ、と思いまし、た。
一言で済むじゃん。
モノクロームを凌駕する色彩、を凌駕するモノクローム、という図式が成立してたとして。
そのモノクロームと色彩をまとめて凌駕してしまうものを見出したんです。
それは、ひかり、です。
基督教原理(創世記とか)から東洋に仏教まで、「ひかり」ってのはたぶん第一元素か根幹をなしてるんですが、それはともかく。
銀色って、色ですけど色じゃないんです。
ひかり、なんです。
白と黒が、厳密には色彩といいきれないものであるように。
だからなんだろうなーって、ぎんたまにはまってしばらくしたころ思いました。今もなんだかそんな感触は変わってません。
唐突ですが、わたしのあだ名は「クロ」です。
犬猫か!て感じですが、これもまたモノクロームのひとつなんですよね。
なので、色彩にかてないながらも凌駕する可能性だけは秘めたモノクロームとして銀色っていうひかりに惹かれるのかなぁなんて、思い始めればホントにきりがないんですが。
銀さんがすきなのは空知漫画だからとか性格ひっくるめたキャラ立ちに「ああああ」ってなるからとかいう点を抜きにしても、こんなふうなとこにも引っかかるんだ!ということがいいたかった。
いつも「銀さんがすきなのは銀さんだからだ」という結論にしかならないので、たまには違う結論を用意してみようと思った。
でも銀さんがすきなのは銀さんが銀さんだからです。
(本末転倒だ)
(ここまできてうえの労力をすべてパーにしやがった)
卒論の色彩論のしたがきみたくなった。もう何も思いつかなかったらこれを適当に転載しようか。
そうだ質問されてたのですが、たしかに文学部です。が、日文じゃないです。
ともだちはみんな日文なんですけど。
短大では国文学かじって民俗学かじってました。しかし国学の試験は落とし追試も落とし、また翌年おなじ授業とりなおしたほど何もきいてませんでした。ばか!
今も一応文学部のはしくれです。哲学とか美学とか専門です。
なのにちっとも哲学も美学もないサイトですみません。もっとこう、なんとか、…ならないのでこのままいこうと思います。いっそすがすがしいまでの方向で。
もうカテゴリ「銀魂語り」じゃないだろうコレ、と思いつつも他にカテゴライズできない。
どうして銀さんにもえるかの一側面だと思ってやってください。
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こう、たまにふっと思うんですが
銀さんって若造なんですね。年齢的に。
桂もまだ二十代なんですね。
坂本も。近藤さんも。
年相応の顔ってどんなのさ、というのを考えていて、ああこのひとらは年相応じゃないなぁなんて思ったので、つい。
個人的に、二十代前半のときの銀さんや坂本の顔が思い浮かびません。想像しづらい。
この二人はたぶん、二十代前半っていったら時代の過渡期で、戦中とも今のそれとも違う顔をしてたんじゃないだろうか、なんて妄想に端を発するんですけれど。
とるスタンスを変えないことをきめてた桂はともかく。そしてちょうどそのころスタンスをきめたであろう近藤さんはともかく。
挑戦してたであろう坂本といろいろ模索してた銀さんはきっと今とは違う顔をしてて、それは余裕がなかったり、戦中の反動で幼かったり、気が抜けたどころか魂抜けてたり、気合いれるどころか気負ってたり、したんじゃないのかなぁなんて。
桂は変えないことにきめてたし、同志もいたし。
近藤さんには道場の連中がいたし。
坂本には陸奥がいて、銀さんにはお登勢さんがいて。
でも、どの時点までかはわからないけれど、坂本と銀さんはひとりっきりだった時期があるんじゃないかと思ってます。
高杉と土方が割愛なのは、やつらはどっかしら二十代にみえるからです。
達観だったり老成だったり包容力がすごかったり自律できてたり、が顕著なやつらは「年相応」ということばが似合わないなーなんて思ったので四人ほどあげてみました。この四人にかぎった話でもないですが!
年齢が問題というか、そのかぎられた時間のなかでどれだけの密度でなにを感じて生きてきたのか、というのがそこに垣間見える気がしたのです。
銀さんと坂本はその密度が濃いんじゃないかなぁと思います。あと高杉も。蛇足ながら沖田と神楽ちゃんも。
というかぎんたまの連中はみんな「濃っ!」って感じのやつらばっかりですが。
あにぎんを見てから原作読むと、いかに原作銀さんがローテンションかつ無感情平坦ついでに淡々かというのがわかります。
あれは酷薄なのか、擦り切れてるだけであついのか。(熱いで篤い)
坂本も笑ってるけど、笑いたくて笑ってるのか笑うべきだから笑ってるのか。
もっといえば、利益になるから笑ってるのか、笑ってるから利益になるのか。後者でしょうけども前者を枠内にいれた後者じゃないか。
ともあれ密度の高さを考えるとめまいがするようなやつらなんですけれども、そしてそんな坂本や銀さんや高杉や沖田がだいすきなんですけれども、
その経験値を積むに至った経験が、濃度の高さのぶんだけちょっとだけせつないなぁなんて、思います。
沖田とか神楽ちゃんとか、もっと平穏だってよかったじゃない。それをいうなら新八だってか。
銀さんらだってそんな青春すごすことなかったじゃない。なんて。
今へらっと笑ってるやつらばっかりなので余計に。
その経験を踏まえて形成されてる今のきみたちが好きだ!
そんな気持ち。
なんでこんなこといってるかというと、今度また、しばらくしたらともだちとぎんたま語りをしようかということになってて、あーでもないこーでもないと喧々諤々議論することになるのが目に見えてるので、今のうちにつらつらいいたいことはいっておこうと思ったのでした。あとでがらっと変わることもあるんで。
それとこないだ遊んだときに数か月ぶりに会う子に
「りつかちゃんのそのローテンションひさしぶり!」「なんて低感情なんだろう!」「いいねその無感情加減!」と複雑な絶賛をされたので、なにかしら弁明したい気持ちでいっぱいであった次第です。
銀さんって若造なんですね。年齢的に。
桂もまだ二十代なんですね。
坂本も。近藤さんも。
年相応の顔ってどんなのさ、というのを考えていて、ああこのひとらは年相応じゃないなぁなんて思ったので、つい。
個人的に、二十代前半のときの銀さんや坂本の顔が思い浮かびません。想像しづらい。
この二人はたぶん、二十代前半っていったら時代の過渡期で、戦中とも今のそれとも違う顔をしてたんじゃないだろうか、なんて妄想に端を発するんですけれど。
とるスタンスを変えないことをきめてた桂はともかく。そしてちょうどそのころスタンスをきめたであろう近藤さんはともかく。
挑戦してたであろう坂本といろいろ模索してた銀さんはきっと今とは違う顔をしてて、それは余裕がなかったり、戦中の反動で幼かったり、気が抜けたどころか魂抜けてたり、気合いれるどころか気負ってたり、したんじゃないのかなぁなんて。
桂は変えないことにきめてたし、同志もいたし。
近藤さんには道場の連中がいたし。
坂本には陸奥がいて、銀さんにはお登勢さんがいて。
でも、どの時点までかはわからないけれど、坂本と銀さんはひとりっきりだった時期があるんじゃないかと思ってます。
高杉と土方が割愛なのは、やつらはどっかしら二十代にみえるからです。
達観だったり老成だったり包容力がすごかったり自律できてたり、が顕著なやつらは「年相応」ということばが似合わないなーなんて思ったので四人ほどあげてみました。この四人にかぎった話でもないですが!
年齢が問題というか、そのかぎられた時間のなかでどれだけの密度でなにを感じて生きてきたのか、というのがそこに垣間見える気がしたのです。
銀さんと坂本はその密度が濃いんじゃないかなぁと思います。あと高杉も。蛇足ながら沖田と神楽ちゃんも。
というかぎんたまの連中はみんな「濃っ!」って感じのやつらばっかりですが。
あにぎんを見てから原作読むと、いかに原作銀さんがローテンションかつ無感情平坦ついでに淡々かというのがわかります。
あれは酷薄なのか、擦り切れてるだけであついのか。(熱いで篤い)
坂本も笑ってるけど、笑いたくて笑ってるのか笑うべきだから笑ってるのか。
もっといえば、利益になるから笑ってるのか、笑ってるから利益になるのか。後者でしょうけども前者を枠内にいれた後者じゃないか。
ともあれ密度の高さを考えるとめまいがするようなやつらなんですけれども、そしてそんな坂本や銀さんや高杉や沖田がだいすきなんですけれども、
その経験値を積むに至った経験が、濃度の高さのぶんだけちょっとだけせつないなぁなんて、思います。
沖田とか神楽ちゃんとか、もっと平穏だってよかったじゃない。それをいうなら新八だってか。
銀さんらだってそんな青春すごすことなかったじゃない。なんて。
今へらっと笑ってるやつらばっかりなので余計に。
その経験を踏まえて形成されてる今のきみたちが好きだ!
そんな気持ち。
なんでこんなこといってるかというと、今度また、しばらくしたらともだちとぎんたま語りをしようかということになってて、あーでもないこーでもないと喧々諤々議論することになるのが目に見えてるので、今のうちにつらつらいいたいことはいっておこうと思ったのでした。あとでがらっと変わることもあるんで。
それとこないだ遊んだときに数か月ぶりに会う子に
「りつかちゃんのそのローテンションひさしぶり!」「なんて低感情なんだろう!」「いいねその無感情加減!」と複雑な絶賛をされたので、なにかしら弁明したい気持ちでいっぱいであった次第です。
講義が休講になって 今日が 休みになりまし た。
イヤッホーイ。ということでこの勢いで更新したい!
関係ないけど語り。
空知は厳しいけどけして残酷じゃないって昨日あにぎんの話してるときにちらっといったのですが。
優しいけどけして甘いわけじゃなくて、厳しいけどけして残酷じゃない、それがとても弁えて感じられます。
二次的文脈で読みとくと、優しいんじゃなくて甘いで、厳しいんじゃなくて残酷、とも読めるな!とも思って、そういう読み換えもまたおもしろいなと思います。
けど立ち戻って空知的文脈で読みとくと、やっぱり優しくて厳しいなんだろうなって。銀さんが最もいい例。
銀さんは優しいんじゃなくて甘い。厳しいんじゃなくて残酷。
ともいえるし、また読み換えて、
銀さんはけして甘くはないが優しい。残酷ではないが厳しい。
ともいえる。
でも甘さと残酷さ、優しさと厳しさがそれぞれ交差して同居するのはすばらしい。甘さと厳しさ・残酷さと優しさとか、そういう言い方もできますし。
銀さんもそうだし、空知もそうだし、ぎんたまそのものも。
なんかもうぎんたまがすきだ。
そこに落ち着くの?という感じですが、はいそこに落ち着きます。
とてもぎんたまがすきだ。
近藤さんという男に毎度KOされるのですが、動乱編はやばかった。
原作でしない顔をするんですもの!
それは他のみんなもか。暗闇で近藤さんの肩に手を置いて見たことないくらい優しい顔する沖田とか、近藤さんを逃がして多勢に無勢でも鋭くひかる沖田の眼光とか。
傍観・客観ポジションを崩さない胆の据わった神楽ちゃんとか。
「トシ連れて逃げてくれ」を黙って聞く銀さんの無表情とか。
でもやっぱり近藤さんが予想を軽く上回りました。じわじわきた。
土方とか鴨とか万斉とかはぐっとくるところでぐっときたので、何も文句のつけようがない。
あっでもトッシーはほんとよかったです。イラッときて。いい感じに気持ち悪くて。
あの鬱陶しさプライスレス。
トッシーだったら桂となかよくやれるんじゃないのとしまいには思ったほどです。「うざい」が褒め言葉になる。
これはもう動乱編感想の追記なんじゃないか。
と思ったけどカテゴリは「銀魂語り」でいいや。
この記事の題名が、「優しいひとになるのは厳しいけど」のほうなのか、「厳しさと優しさを併せ持つひとになれ」なのか、「優しさの意味を取り違えるな」なのか、どうとも読めてもうわからない。
これをどう読みとくかも文脈の読みかえのひとつですよね!
イヤッホーイ。ということでこの勢いで更新したい!
関係ないけど語り。
空知は厳しいけどけして残酷じゃないって昨日あにぎんの話してるときにちらっといったのですが。
優しいけどけして甘いわけじゃなくて、厳しいけどけして残酷じゃない、それがとても弁えて感じられます。
二次的文脈で読みとくと、優しいんじゃなくて甘いで、厳しいんじゃなくて残酷、とも読めるな!とも思って、そういう読み換えもまたおもしろいなと思います。
けど立ち戻って空知的文脈で読みとくと、やっぱり優しくて厳しいなんだろうなって。銀さんが最もいい例。
銀さんは優しいんじゃなくて甘い。厳しいんじゃなくて残酷。
ともいえるし、また読み換えて、
銀さんはけして甘くはないが優しい。残酷ではないが厳しい。
ともいえる。
でも甘さと残酷さ、優しさと厳しさがそれぞれ交差して同居するのはすばらしい。甘さと厳しさ・残酷さと優しさとか、そういう言い方もできますし。
銀さんもそうだし、空知もそうだし、ぎんたまそのものも。
なんかもうぎんたまがすきだ。
そこに落ち着くの?という感じですが、はいそこに落ち着きます。
とてもぎんたまがすきだ。
近藤さんという男に毎度KOされるのですが、動乱編はやばかった。
原作でしない顔をするんですもの!
それは他のみんなもか。暗闇で近藤さんの肩に手を置いて見たことないくらい優しい顔する沖田とか、近藤さんを逃がして多勢に無勢でも鋭くひかる沖田の眼光とか。
傍観・客観ポジションを崩さない胆の据わった神楽ちゃんとか。
「トシ連れて逃げてくれ」を黙って聞く銀さんの無表情とか。
でもやっぱり近藤さんが予想を軽く上回りました。じわじわきた。
土方とか鴨とか万斉とかはぐっとくるところでぐっときたので、何も文句のつけようがない。
あっでもトッシーはほんとよかったです。イラッときて。いい感じに気持ち悪くて。
あの鬱陶しさプライスレス。
トッシーだったら桂となかよくやれるんじゃないのとしまいには思ったほどです。「うざい」が褒め言葉になる。
これはもう動乱編感想の追記なんじゃないか。
と思ったけどカテゴリは「銀魂語り」でいいや。
この記事の題名が、「優しいひとになるのは厳しいけど」のほうなのか、「厳しさと優しさを併せ持つひとになれ」なのか、「優しさの意味を取り違えるな」なのか、どうとも読めてもうわからない。
これをどう読みとくかも文脈の読みかえのひとつですよね!
動乱編とかむししのあの件とかあと明日帰郷とか荷造りできてないヒエーとかいろいろあってなきそう。
ちょっとみなさんこれ見てみんなで泣いてください。
わたしを ひとりに しないでください。
いやわたしはひとりにしていいんだけど、ブルハとか、歌詞シンクロはんぱないとか、もうとにかくぎんたまがいとしくなった。
そこらへん、誰もひとりじゃないですよねって。
ていうか誰かいるの知ってるからわたしもひとりじゃないっていうか。少なくともわたしがいるからどこかの誰かもひとりじゃないと言いたいというか。
手は握れないけど絆と書いて「いと」と読むやつはネットによってでもぎんたまによってでも何でもつながっているというか。
もう何がいいたいのかわからないのであった。
とりあえずぎんたまのすべてが愛おしいのであった。
ちょっとみなさんこれ見てみんなで泣いてください。
いやわたしはひとりにしていいんだけど、ブルハとか、歌詞シンクロはんぱないとか、もうとにかくぎんたまがいとしくなった。
そこらへん、誰もひとりじゃないですよねって。
ていうか誰かいるの知ってるからわたしもひとりじゃないっていうか。少なくともわたしがいるからどこかの誰かもひとりじゃないと言いたいというか。
手は握れないけど絆と書いて「いと」と読むやつはネットによってでもぎんたまによってでも何でもつながっているというか。
もう何がいいたいのかわからないのであった。
とりあえずぎんたまのすべてが愛おしいのであった。
今週のぎんたまの訓題が「財布は尻ポケットにいれるな」だった気がするんですが、立ち読み時、ものっそいジーンズの尻に財布いれてた。
と、いうことを、一日経って思い出しました。
遊びの予定がひとつぽしゃったので、思いがけず休日ができた。
木曜なんですけれど。動乱編見れないかと思ってたから結果的にはプラマイゼロです。
今日、食べ放題に行ってきたんですが、誰も自重しないのが笑えました。
「ちょ、ちょ、待って。もうダメです。三か月です」
「妊婦かァァ誰の子だ!」
「ケーキの子です」
「クリームにまみれて生まれてくる気ですか」
食べ放題だからってはしゃいで食べ過ぎるあたりはぜんぜん大人じゃない。
いったい人は、いつになったら大人になれるのだろう…とりあえずしばらくはなれなそうです。
旻氏の花屋パロを拝読して、はよわたしもやらかさんと、という気になったりしました。設定とかって言い出したもん勝ちですよね。
こどもが生まれてくるときに、初めて父親も母親も生まれるっていう、そんな言葉を思い出したりしました…
というかあのドラマを本当に見たことがないんですが。実際どんな話だったのでしょう。
というか最終回とかどんな終わりかたをしたんでしょうか。「薔/薇の/ない花/屋」。誰か教えて。
あっあっそれと、ずっと言おう言おうと思いながら言いそびれてたのですが、
先週の動乱編の、暗闇になった車内で沖田が近藤さんに手をさしのべるシーン。
ご多分にもれず、KOでした。お、おきた…!なんて顔するの!!
もうあれのせいで前半はひたすら沖田沖田です。
今週の動乱編がこわくて仕方ない。
紅桜のときは、感慨深いばっかりで、アニメのクオリティ自体はそんなに気にしてなかったので、ものすごい衝撃でしかも不意打ちでガツンともってかれたのですが
あれを知ってる今となっては、またやらかされるんじゃないかと正直なところ怖いです。
あの衝撃がくると、ポカーンと口あけてる他なくなるんだ…!
我にかえってぶるっとします。おそろしかった…白夜叉は。
今回は、ホラ、他にも見どころはありますし。
一番ガツーンとくるのが銀さん関連なあたり自分わかりやすいと思うのですが
でもやっぱり今回見たいのは鴨なので。あと近藤さんとか。
心臓落ちつけて臨むかな、と今から深呼吸してます。
まだ明日は水曜だというのに既に先走っている!
と、いうことを、一日経って思い出しました。
遊びの予定がひとつぽしゃったので、思いがけず休日ができた。
木曜なんですけれど。動乱編見れないかと思ってたから結果的にはプラマイゼロです。
今日、食べ放題に行ってきたんですが、誰も自重しないのが笑えました。
「ちょ、ちょ、待って。もうダメです。三か月です」
「妊婦かァァ誰の子だ!」
「ケーキの子です」
「クリームにまみれて生まれてくる気ですか」
食べ放題だからってはしゃいで食べ過ぎるあたりはぜんぜん大人じゃない。
いったい人は、いつになったら大人になれるのだろう…とりあえずしばらくはなれなそうです。
旻氏の花屋パロを拝読して、はよわたしもやらかさんと、という気になったりしました。設定とかって言い出したもん勝ちですよね。
こどもが生まれてくるときに、初めて父親も母親も生まれるっていう、そんな言葉を思い出したりしました…
というかあのドラマを本当に見たことがないんですが。実際どんな話だったのでしょう。
というか最終回とかどんな終わりかたをしたんでしょうか。「薔/薇の/ない花/屋」。誰か教えて。
あっあっそれと、ずっと言おう言おうと思いながら言いそびれてたのですが、
先週の動乱編の、暗闇になった車内で沖田が近藤さんに手をさしのべるシーン。
ご多分にもれず、KOでした。お、おきた…!なんて顔するの!!
もうあれのせいで前半はひたすら沖田沖田です。
今週の動乱編がこわくて仕方ない。
紅桜のときは、感慨深いばっかりで、アニメのクオリティ自体はそんなに気にしてなかったので、ものすごい衝撃でしかも不意打ちでガツンともってかれたのですが
あれを知ってる今となっては、またやらかされるんじゃないかと正直なところ怖いです。
あの衝撃がくると、ポカーンと口あけてる他なくなるんだ…!
我にかえってぶるっとします。おそろしかった…白夜叉は。
今回は、ホラ、他にも見どころはありますし。
一番ガツーンとくるのが銀さん関連なあたり自分わかりやすいと思うのですが
でもやっぱり今回見たいのは鴨なので。あと近藤さんとか。
心臓落ちつけて臨むかな、と今から深呼吸してます。
まだ明日は水曜だというのに既に先走っている!