愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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こう、たまにふっと思うんですが
銀さんって若造なんですね。年齢的に。
桂もまだ二十代なんですね。
坂本も。近藤さんも。
年相応の顔ってどんなのさ、というのを考えていて、ああこのひとらは年相応じゃないなぁなんて思ったので、つい。
個人的に、二十代前半のときの銀さんや坂本の顔が思い浮かびません。想像しづらい。
この二人はたぶん、二十代前半っていったら時代の過渡期で、戦中とも今のそれとも違う顔をしてたんじゃないだろうか、なんて妄想に端を発するんですけれど。
とるスタンスを変えないことをきめてた桂はともかく。そしてちょうどそのころスタンスをきめたであろう近藤さんはともかく。
挑戦してたであろう坂本といろいろ模索してた銀さんはきっと今とは違う顔をしてて、それは余裕がなかったり、戦中の反動で幼かったり、気が抜けたどころか魂抜けてたり、気合いれるどころか気負ってたり、したんじゃないのかなぁなんて。
桂は変えないことにきめてたし、同志もいたし。
近藤さんには道場の連中がいたし。
坂本には陸奥がいて、銀さんにはお登勢さんがいて。
でも、どの時点までかはわからないけれど、坂本と銀さんはひとりっきりだった時期があるんじゃないかと思ってます。
高杉と土方が割愛なのは、やつらはどっかしら二十代にみえるからです。
達観だったり老成だったり包容力がすごかったり自律できてたり、が顕著なやつらは「年相応」ということばが似合わないなーなんて思ったので四人ほどあげてみました。この四人にかぎった話でもないですが!
年齢が問題というか、そのかぎられた時間のなかでどれだけの密度でなにを感じて生きてきたのか、というのがそこに垣間見える気がしたのです。
銀さんと坂本はその密度が濃いんじゃないかなぁと思います。あと高杉も。蛇足ながら沖田と神楽ちゃんも。
というかぎんたまの連中はみんな「濃っ!」って感じのやつらばっかりですが。
あにぎんを見てから原作読むと、いかに原作銀さんがローテンションかつ無感情平坦ついでに淡々かというのがわかります。
あれは酷薄なのか、擦り切れてるだけであついのか。(熱いで篤い)
坂本も笑ってるけど、笑いたくて笑ってるのか笑うべきだから笑ってるのか。
もっといえば、利益になるから笑ってるのか、笑ってるから利益になるのか。後者でしょうけども前者を枠内にいれた後者じゃないか。
ともあれ密度の高さを考えるとめまいがするようなやつらなんですけれども、そしてそんな坂本や銀さんや高杉や沖田がだいすきなんですけれども、
その経験値を積むに至った経験が、濃度の高さのぶんだけちょっとだけせつないなぁなんて、思います。
沖田とか神楽ちゃんとか、もっと平穏だってよかったじゃない。それをいうなら新八だってか。
銀さんらだってそんな青春すごすことなかったじゃない。なんて。
今へらっと笑ってるやつらばっかりなので余計に。
その経験を踏まえて形成されてる今のきみたちが好きだ!
そんな気持ち。
なんでこんなこといってるかというと、今度また、しばらくしたらともだちとぎんたま語りをしようかということになってて、あーでもないこーでもないと喧々諤々議論することになるのが目に見えてるので、今のうちにつらつらいいたいことはいっておこうと思ったのでした。あとでがらっと変わることもあるんで。
それとこないだ遊んだときに数か月ぶりに会う子に
「りつかちゃんのそのローテンションひさしぶり!」「なんて低感情なんだろう!」「いいねその無感情加減!」と複雑な絶賛をされたので、なにかしら弁明したい気持ちでいっぱいであった次第です。
銀さんって若造なんですね。年齢的に。
桂もまだ二十代なんですね。
坂本も。近藤さんも。
年相応の顔ってどんなのさ、というのを考えていて、ああこのひとらは年相応じゃないなぁなんて思ったので、つい。
個人的に、二十代前半のときの銀さんや坂本の顔が思い浮かびません。想像しづらい。
この二人はたぶん、二十代前半っていったら時代の過渡期で、戦中とも今のそれとも違う顔をしてたんじゃないだろうか、なんて妄想に端を発するんですけれど。
とるスタンスを変えないことをきめてた桂はともかく。そしてちょうどそのころスタンスをきめたであろう近藤さんはともかく。
挑戦してたであろう坂本といろいろ模索してた銀さんはきっと今とは違う顔をしてて、それは余裕がなかったり、戦中の反動で幼かったり、気が抜けたどころか魂抜けてたり、気合いれるどころか気負ってたり、したんじゃないのかなぁなんて。
桂は変えないことにきめてたし、同志もいたし。
近藤さんには道場の連中がいたし。
坂本には陸奥がいて、銀さんにはお登勢さんがいて。
でも、どの時点までかはわからないけれど、坂本と銀さんはひとりっきりだった時期があるんじゃないかと思ってます。
高杉と土方が割愛なのは、やつらはどっかしら二十代にみえるからです。
達観だったり老成だったり包容力がすごかったり自律できてたり、が顕著なやつらは「年相応」ということばが似合わないなーなんて思ったので四人ほどあげてみました。この四人にかぎった話でもないですが!
年齢が問題というか、そのかぎられた時間のなかでどれだけの密度でなにを感じて生きてきたのか、というのがそこに垣間見える気がしたのです。
銀さんと坂本はその密度が濃いんじゃないかなぁと思います。あと高杉も。蛇足ながら沖田と神楽ちゃんも。
というかぎんたまの連中はみんな「濃っ!」って感じのやつらばっかりですが。
あにぎんを見てから原作読むと、いかに原作銀さんがローテンションかつ無感情平坦ついでに淡々かというのがわかります。
あれは酷薄なのか、擦り切れてるだけであついのか。(熱いで篤い)
坂本も笑ってるけど、笑いたくて笑ってるのか笑うべきだから笑ってるのか。
もっといえば、利益になるから笑ってるのか、笑ってるから利益になるのか。後者でしょうけども前者を枠内にいれた後者じゃないか。
ともあれ密度の高さを考えるとめまいがするようなやつらなんですけれども、そしてそんな坂本や銀さんや高杉や沖田がだいすきなんですけれども、
その経験値を積むに至った経験が、濃度の高さのぶんだけちょっとだけせつないなぁなんて、思います。
沖田とか神楽ちゃんとか、もっと平穏だってよかったじゃない。それをいうなら新八だってか。
銀さんらだってそんな青春すごすことなかったじゃない。なんて。
今へらっと笑ってるやつらばっかりなので余計に。
その経験を踏まえて形成されてる今のきみたちが好きだ!
そんな気持ち。
なんでこんなこといってるかというと、今度また、しばらくしたらともだちとぎんたま語りをしようかということになってて、あーでもないこーでもないと喧々諤々議論することになるのが目に見えてるので、今のうちにつらつらいいたいことはいっておこうと思ったのでした。あとでがらっと変わることもあるんで。
それとこないだ遊んだときに数か月ぶりに会う子に
「りつかちゃんのそのローテンションひさしぶり!」「なんて低感情なんだろう!」「いいねその無感情加減!」と複雑な絶賛をされたので、なにかしら弁明したい気持ちでいっぱいであった次第です。
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