愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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銀さんとか薬売りとか銀土銀とか土沖土とか考えるだに考えすぎてなきたくなるわたしはもえ飽和状態。
今月のうちならお祝いてことで多少のばかは多めにみよう。うん。
いつ生まれてたっていいんだよとりあえず祝わせろおめっとう「あんたがいてくれてよかった」と多分イコールで@銀誕
試験週間のときのアレ…絵描きさんがみまわれる書きたい症候群とおんなじ。
追い詰められてるとしゃべりたくなるんですたい。
銀さんのアイデンティティの在り処は今現在の自分そのもので「何か」に依拠してるものとは何となく思えない。
わたしが松陽先生への考察薄いのもそこらへんなんだろうな…
トラウマがなさそうなんです。あっても「それがどうした」で超克してそうなんです。孤児にしちゃ、愛されることや愛することに拘ってなさげなんです。
なんなんだろな…
土方と近藤さんは「一生にひとり」の相手で所謂「運命の相手」なんだけど恋愛じゃないんだろうな。
あーあれ。恋人と相棒がイコールじゃない感じ。パートナーの意味が違う。
絶対、根底とか最後の最後とかで、支えたり拘ったり振り返ったり袖引いたりするのはお互い、みたいな。いや近藤さんの場合よりも土方において。
信仰に似てる。盲目じゃなくて。
ちゃんと自分を鑑みた上で最後に行き着くものっていうか。
恋愛だったらこんなに続くはずなかった。感じの。
愛じゃなく恋じゃなく情じゃなく。…それでもすべてを取り去ってまだ最後になお残るもの。
そんな感じ。
銀さんは究極のさびしんぼでありつつ、絶対的にそのことばだけは似合わない。
それがさびしいことだと思ってないから。
土方と沖田の距離はいつもちゅうぶらりんで綱引き状態。
ひっぱりあってぴんと張ってるから成り立つ。緊張状態、に似てる。けどどっちかに引きずられるのはいやなので立ち位置は譲らない。すなわちひっぱりあい。
でも片手に綱持ってたまにひっぱって相手がいること確かめ合う。意識無意識関係なく。習慣で、意志で、他意なく、存在を賭して。
真剣なお遊びとか、その真剣の度合いが互いに他に見せない類のものだとか、そういう。
そのゲームのルールはいつだったかの最初にきめられちゃったので今更変えられないし変えてどうするっていうつもりもない。それに気に入ってないわけじゃない。
好きとか嫌いとかいう問題じゃあない。そういうことじゃない。
近藤さん抜きで二人の関係性と距離だけ考えたらなんかそんなイメージが…
立ち位置は別問題。
鴨って双子なんだよね。双子ってどんなんだろうね。互いだけはどうしてもとか無条件のなにかがあると思ってしまう。鏡像とか自己愛とか通り過ぎてても、絶対に拘ってしまう一線があるはずだ。
と思ってしまうのは、わたしの知り合いの双子の男たちを思い出したからで。
庇うとかたすけるとか俺があいつについてなくちゃとか、俺がいなくてもだいじょぶなようにとか、いてくれたらとか、いてくれなくてもとか、いてほしいとかいてほしくないとか。
相手だけに向ける感情があるはずだ。
「変化を主題にしてないのに徐々に自然に変化してく人々の変遷」。それがぎんたま。
高杉の転回っていつだろう。常にか。それは新八も銀さんも神楽ちゃんも桂も土方も長谷川さんも、すべてにいえるのか。
新八。まじでだめなおとこのこから、僕は侍だと名乗るようになるまで。
銀さん。もう持たねェなんて思っていつのまにかの万事屋現在。
神楽ちゃん。もっと殺伐した子だった、むかしは。
桂。行動と思想が沿わなくてはならないと思うようになった気がする。余裕を持つようになった気がする。
土方。対銀さんに代表されるあれこれ。
長谷川さん。官僚から転落。にも関わらず、今の彼は結構泣いたり笑ったりと忙しい。
わたしの文章じゃあどうにも伝わらないが土沖土の銀土銀の土ミツで、坂銀坂の高銀高の桂銀(ベクトル的に)はガチなんだ。そこに沖神をいれてもいい。
かつ銀沖銀は特別枠で、銀マダ(ベクトル的に!)。
恋愛にもなるなぁと思う。ガチで。肉体的にもありで。リバはほんともう洒落にならない感じにちゃんとリバで。
定銀というか万事屋×銀と、銀登勢はたぶんモノが違うけどそこもガチで。近土と同じカテゴリ。
ちょっとパラレルはいるかもしれないが、坂陸奥と高陸奥は無矛盾で同時並行で成り立つ。
収拾つかなくなりそうなので関係ないはなし。
わたしの高校時代の部活って攘夷派の関係図が適用できるって前にいった覚えがあるんですが。
今も適用できました。
今現在の身内の関係図が万事屋のそれと重なる。
…もうどうしようもないな。
全員の協議の結果としての結論なんですが、最初にわかったときのわたしの心の声は「もうほんとどうしようもないな自分」でした。
あくまで関係図であって、誰が誰に似てるとか、そういうんじゃないんですけど。
属性とか性質とかね。集団のなかでの役割とかね。性格は勿論ぜんぜん違う。
もうここじゃ相当勝手に名前出してるからもう断りいれるのも今更ですが。ゆうばりが新八。なっちゃんが神楽。
わたしがなにかはいわせんといて。
ちなみに定春もいました。
どうやっても真撰組にはならねーんだな。と思いました。過去現在とおしての経験において、真撰組の関係図が適用できたことは一度もありません。
なんなんだろな。
「どうしようもねーな自分」と思ってしまうのは、わたしが銀さんの論旨の不備を知ってるからです。知ってるから歯がゆい。知ってるからどうしようもない。
が、それが自分にまで適用できるとは思いたくないんだ…
どうしようもねーじゃないか自分。
関係性って残酷ですね。
また概念で考え事してるな。関係図は関係の図式化で、それは数式に置き換えられる。
この癖をどうにかせんば。
ちょ、寝ます。レポの合間に数行ずつ書いてきたけどもう限界。
なんかまた来そうだなコレ。
今月のうちならお祝いてことで多少のばかは多めにみよう。うん。
いつ生まれてたっていいんだよとりあえず祝わせろおめっとう「あんたがいてくれてよかった」と多分イコールで@銀誕
試験週間のときのアレ…絵描きさんがみまわれる書きたい症候群とおんなじ。
追い詰められてるとしゃべりたくなるんですたい。
銀さんのアイデンティティの在り処は今現在の自分そのもので「何か」に依拠してるものとは何となく思えない。
わたしが松陽先生への考察薄いのもそこらへんなんだろうな…
トラウマがなさそうなんです。あっても「それがどうした」で超克してそうなんです。孤児にしちゃ、愛されることや愛することに拘ってなさげなんです。
なんなんだろな…
土方と近藤さんは「一生にひとり」の相手で所謂「運命の相手」なんだけど恋愛じゃないんだろうな。
あーあれ。恋人と相棒がイコールじゃない感じ。パートナーの意味が違う。
絶対、根底とか最後の最後とかで、支えたり拘ったり振り返ったり袖引いたりするのはお互い、みたいな。いや近藤さんの場合よりも土方において。
信仰に似てる。盲目じゃなくて。
ちゃんと自分を鑑みた上で最後に行き着くものっていうか。
恋愛だったらこんなに続くはずなかった。感じの。
愛じゃなく恋じゃなく情じゃなく。…それでもすべてを取り去ってまだ最後になお残るもの。
そんな感じ。
銀さんは究極のさびしんぼでありつつ、絶対的にそのことばだけは似合わない。
それがさびしいことだと思ってないから。
土方と沖田の距離はいつもちゅうぶらりんで綱引き状態。
ひっぱりあってぴんと張ってるから成り立つ。緊張状態、に似てる。けどどっちかに引きずられるのはいやなので立ち位置は譲らない。すなわちひっぱりあい。
でも片手に綱持ってたまにひっぱって相手がいること確かめ合う。意識無意識関係なく。習慣で、意志で、他意なく、存在を賭して。
真剣なお遊びとか、その真剣の度合いが互いに他に見せない類のものだとか、そういう。
そのゲームのルールはいつだったかの最初にきめられちゃったので今更変えられないし変えてどうするっていうつもりもない。それに気に入ってないわけじゃない。
好きとか嫌いとかいう問題じゃあない。そういうことじゃない。
近藤さん抜きで二人の関係性と距離だけ考えたらなんかそんなイメージが…
立ち位置は別問題。
鴨って双子なんだよね。双子ってどんなんだろうね。互いだけはどうしてもとか無条件のなにかがあると思ってしまう。鏡像とか自己愛とか通り過ぎてても、絶対に拘ってしまう一線があるはずだ。
と思ってしまうのは、わたしの知り合いの双子の男たちを思い出したからで。
庇うとかたすけるとか俺があいつについてなくちゃとか、俺がいなくてもだいじょぶなようにとか、いてくれたらとか、いてくれなくてもとか、いてほしいとかいてほしくないとか。
相手だけに向ける感情があるはずだ。
「変化を主題にしてないのに徐々に自然に変化してく人々の変遷」。それがぎんたま。
高杉の転回っていつだろう。常にか。それは新八も銀さんも神楽ちゃんも桂も土方も長谷川さんも、すべてにいえるのか。
新八。まじでだめなおとこのこから、僕は侍だと名乗るようになるまで。
銀さん。もう持たねェなんて思っていつのまにかの万事屋現在。
神楽ちゃん。もっと殺伐した子だった、むかしは。
桂。行動と思想が沿わなくてはならないと思うようになった気がする。余裕を持つようになった気がする。
土方。対銀さんに代表されるあれこれ。
長谷川さん。官僚から転落。にも関わらず、今の彼は結構泣いたり笑ったりと忙しい。
わたしの文章じゃあどうにも伝わらないが土沖土の銀土銀の土ミツで、坂銀坂の高銀高の桂銀(ベクトル的に)はガチなんだ。そこに沖神をいれてもいい。
かつ銀沖銀は特別枠で、銀マダ(ベクトル的に!)。
恋愛にもなるなぁと思う。ガチで。肉体的にもありで。リバはほんともう洒落にならない感じにちゃんとリバで。
定銀というか万事屋×銀と、銀登勢はたぶんモノが違うけどそこもガチで。近土と同じカテゴリ。
ちょっとパラレルはいるかもしれないが、坂陸奥と高陸奥は無矛盾で同時並行で成り立つ。
収拾つかなくなりそうなので関係ないはなし。
わたしの高校時代の部活って攘夷派の関係図が適用できるって前にいった覚えがあるんですが。
今も適用できました。
今現在の身内の関係図が万事屋のそれと重なる。
…もうどうしようもないな。
全員の協議の結果としての結論なんですが、最初にわかったときのわたしの心の声は「もうほんとどうしようもないな自分」でした。
あくまで関係図であって、誰が誰に似てるとか、そういうんじゃないんですけど。
属性とか性質とかね。集団のなかでの役割とかね。性格は勿論ぜんぜん違う。
もうここじゃ相当勝手に名前出してるからもう断りいれるのも今更ですが。ゆうばりが新八。なっちゃんが神楽。
わたしがなにかはいわせんといて。
ちなみに定春もいました。
どうやっても真撰組にはならねーんだな。と思いました。過去現在とおしての経験において、真撰組の関係図が適用できたことは一度もありません。
なんなんだろな。
「どうしようもねーな自分」と思ってしまうのは、わたしが銀さんの論旨の不備を知ってるからです。知ってるから歯がゆい。知ってるからどうしようもない。
が、それが自分にまで適用できるとは思いたくないんだ…
どうしようもねーじゃないか自分。
関係性って残酷ですね。
また概念で考え事してるな。関係図は関係の図式化で、それは数式に置き換えられる。
この癖をどうにかせんば。
ちょ、寝ます。レポの合間に数行ずつ書いてきたけどもう限界。
なんかまた来そうだなコレ。
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