愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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帰ってきました~下の記事参照。
もえっていうか燃えのほうでツボなんでちょっとなんかいいに来てみる。
もえっていうか燃えのほうでツボなんでちょっとなんかいいに来てみる。
まずポイント
①「無法者」
②殴りこみが銀さん単独だということ
③墓前で微笑む
①「無法者」
ちょ、これこの前100題でやったよ「銀さん無法者」発言。コンビニですごいびびった。なにしてんの、ちょ。
「夢見すぎですね自分アハハ」つってたのになんてこった。空知ことごとくツボついてきやがるいやツボってかなんていうか。
驚いたんですよ…
探してきた…
100題→「67・ひとならざる、ひと」
なんか…思ったより整合性ついててこわくなった…
錯覚錯覚錯覚(いいきかせ)
②殴りこみ単独
神楽ちゃんと新八はどっからいないんだっけ。病院でオヤジの死亡確認したときには既にいなかったような気が。
二人の存在と動向はちょっと置いといて、殴りこみが単独だということのほう行きます。
置いてきたのかな。告げてないのかな。それとも二人して黙って送り出したのかな、でもなんで。
知ってたらついてきそう。親へのコンプレックス(執着・一家言・届かない憧憬と失わせてはならないっていう義務感)は、三人とも持ってんですよね。両親健在なわけじゃないから。
でもやくざ本気で敵に回すようなとこには来ちゃならないって銀さんは思うかなぁ、と。煉獄関とかは?とかあるんですが、なんとなく。
銀さんは病院行ったのか。行ってないのか。神楽ちゃんと新八のとこに一度でも戻ったのか。誰かのとこに厄介になってたのか。
「傷付いた銀さんが静養してる場所」っていうフレーズで浮かんだのは桂なんですが(@春雨)でも自分から行かないしな銀さん。頼る筋合いがない。依頼に関係ないから。
どこいたんだろな…すぐ葬式んなったとしても跡目譲るのはそうすぐでもないだろう。そして銀さん、ちゃんと服きがえてた。血のあともなかったし。どっかで着替えてはきてるんだ。それがどこか。
不明でもいいのかもしれませんが。
あとちゃんと筋を通すというかオチをつけにいくというか、自分にとっての理由で動くことを厭わないから銀さん単独で乗り込んでっても彼の整合性は保たれるんだなぁなんてことも思いましたまる
なんか色々明らかになってないからとりあえず行く。行くからには殴りこんでもいい。殴りこむからにはとりあえず京次郎一発ぶん殴る。殴ったら遺恨は残さない。
らしいと思います。なんとなく。
③墓前にて微笑む
お登勢さんに拾われたときの銀さん想起したのはわたしだけか…
当時、銀さんもほんとは死にに行ったのかな、なんて思った。
原作の濡れ銀はえろいというよりかわいい。素のような、悲壮感のない顔してる。
かなしがることないんですよね。でも、かなしいことなんですよね。
あの三人親子(オヤジ、京次郎、鬱蔵)はこじれにこじれた悲劇だったんですよね。お互いがお互い想ってんのに、遣りかたを間違えた部類の。
悲劇だよね。よくあるよね。よくあるただの悲劇だよね。
でもかなしいんだよね。
ぎんたまが好きなのはここらへんのリアリズムにあります。ボタンの掛け違いがあるというところ。
必ず届かないものがあるというところ。でも、それがあるからがんばるんです。届けたいなぁって思って。
そういう人間的でくだらない足掻き、それだけが、届かないものつながらないもの、そうしたものをつなぐ唯一の。
テキストにしようかと思ったけど原作の焼き直しにしかできないので語ってみた…
ううーん、もうちょい語りたい!でも調べものあるので落ちます。
あっ、追記追記。
銀さん熱かった!ホットだった!
たぶんこれ総括。
自分なりの考察。間違ってっかもしれないけど。
神楽ちゃんや新八があの場にいたら銀さんはいつものどおりの、だるーい、よく云や飄々とした姿勢を崩さないんだろうなぁと思った。
対外的に、憚る相手がいない場合、どう振舞うかって、結構変わりますよね。
あれは銀さんの、彼自身のこだわりとか意趣返し(京次郎への)とかが詰まった顔なんだろうなと思った。
こだわりは…親子とか、擬似親子とか。そういう。
銀さんの云う「持ってないやつだからこその一家言」において譲れない部分があったんだろうなと。
余談だけど、わたしって銀さんの態度とかに違和感かんじたことないかもしれません。あついとかだるいとか。
ミツバ篇で沖田に違和感(もっと率直にいえばキャラ崩れ)感じたゆうじんはいるんですが、そういやそれも個人的に当てはまらない。崩れたと感じなかった。ミツバ篇の土方の惚れた発言におののいたゆうじんもいる。でもそれもおののかなかった。
整合性って後からついてくるもんで、わたしたちが思うだけの相手像じゃ、ないんですよね。見てない部分もあるし、けして見えない部分もある。
だからどんなに誰かから見て「らしくない」と思うような行動であっても、否定には及ばない。ありうることなんです。
いい云い方だと、ギャップ、です。
あぁそうかわたしの節操なしはこのへんの認識が既にあるからなのか。
自分が作り上げただけの「相手像」に安住するつもりがないからなのか。
誰が何しててもおかしくないし、それによって信頼が損なわれるとかいうこともない、ただ「へえそう」、「なるほど」でおわる。
冷淡でも他人事もでなく(いやあっても)その認識が先行してるんだな。だからなのか。
なんとなく納得した…個人的ですんません。
にしてもほんと調べものして寝ますすごい最近ねむい睡眠の秋。
①「無法者」
②殴りこみが銀さん単独だということ
③墓前で微笑む
①「無法者」
ちょ、これこの前100題でやったよ「銀さん無法者」発言。コンビニですごいびびった。なにしてんの、ちょ。
「夢見すぎですね自分アハハ」つってたのになんてこった。空知ことごとくツボついてきやがるいやツボってかなんていうか。
驚いたんですよ…
探してきた…
100題→「67・ひとならざる、ひと」
なんか…思ったより整合性ついててこわくなった…
錯覚錯覚錯覚(いいきかせ)
②殴りこみ単独
神楽ちゃんと新八はどっからいないんだっけ。病院でオヤジの死亡確認したときには既にいなかったような気が。
二人の存在と動向はちょっと置いといて、殴りこみが単独だということのほう行きます。
置いてきたのかな。告げてないのかな。それとも二人して黙って送り出したのかな、でもなんで。
知ってたらついてきそう。親へのコンプレックス(執着・一家言・届かない憧憬と失わせてはならないっていう義務感)は、三人とも持ってんですよね。両親健在なわけじゃないから。
でもやくざ本気で敵に回すようなとこには来ちゃならないって銀さんは思うかなぁ、と。煉獄関とかは?とかあるんですが、なんとなく。
銀さんは病院行ったのか。行ってないのか。神楽ちゃんと新八のとこに一度でも戻ったのか。誰かのとこに厄介になってたのか。
「傷付いた銀さんが静養してる場所」っていうフレーズで浮かんだのは桂なんですが(@春雨)でも自分から行かないしな銀さん。頼る筋合いがない。依頼に関係ないから。
どこいたんだろな…すぐ葬式んなったとしても跡目譲るのはそうすぐでもないだろう。そして銀さん、ちゃんと服きがえてた。血のあともなかったし。どっかで着替えてはきてるんだ。それがどこか。
不明でもいいのかもしれませんが。
あとちゃんと筋を通すというかオチをつけにいくというか、自分にとっての理由で動くことを厭わないから銀さん単独で乗り込んでっても彼の整合性は保たれるんだなぁなんてことも思いましたまる
なんか色々明らかになってないからとりあえず行く。行くからには殴りこんでもいい。殴りこむからにはとりあえず京次郎一発ぶん殴る。殴ったら遺恨は残さない。
らしいと思います。なんとなく。
③墓前にて微笑む
お登勢さんに拾われたときの銀さん想起したのはわたしだけか…
当時、銀さんもほんとは死にに行ったのかな、なんて思った。
原作の濡れ銀はえろいというよりかわいい。素のような、悲壮感のない顔してる。
かなしがることないんですよね。でも、かなしいことなんですよね。
あの三人親子(オヤジ、京次郎、鬱蔵)はこじれにこじれた悲劇だったんですよね。お互いがお互い想ってんのに、遣りかたを間違えた部類の。
悲劇だよね。よくあるよね。よくあるただの悲劇だよね。
でもかなしいんだよね。
ぎんたまが好きなのはここらへんのリアリズムにあります。ボタンの掛け違いがあるというところ。
必ず届かないものがあるというところ。でも、それがあるからがんばるんです。届けたいなぁって思って。
そういう人間的でくだらない足掻き、それだけが、届かないものつながらないもの、そうしたものをつなぐ唯一の。
テキストにしようかと思ったけど原作の焼き直しにしかできないので語ってみた…
ううーん、もうちょい語りたい!でも調べものあるので落ちます。
あっ、追記追記。
銀さん熱かった!ホットだった!
たぶんこれ総括。
自分なりの考察。間違ってっかもしれないけど。
神楽ちゃんや新八があの場にいたら銀さんはいつものどおりの、だるーい、よく云や飄々とした姿勢を崩さないんだろうなぁと思った。
対外的に、憚る相手がいない場合、どう振舞うかって、結構変わりますよね。
あれは銀さんの、彼自身のこだわりとか意趣返し(京次郎への)とかが詰まった顔なんだろうなと思った。
こだわりは…親子とか、擬似親子とか。そういう。
銀さんの云う「持ってないやつだからこその一家言」において譲れない部分があったんだろうなと。
余談だけど、わたしって銀さんの態度とかに違和感かんじたことないかもしれません。あついとかだるいとか。
ミツバ篇で沖田に違和感(もっと率直にいえばキャラ崩れ)感じたゆうじんはいるんですが、そういやそれも個人的に当てはまらない。崩れたと感じなかった。ミツバ篇の土方の惚れた発言におののいたゆうじんもいる。でもそれもおののかなかった。
整合性って後からついてくるもんで、わたしたちが思うだけの相手像じゃ、ないんですよね。見てない部分もあるし、けして見えない部分もある。
だからどんなに誰かから見て「らしくない」と思うような行動であっても、否定には及ばない。ありうることなんです。
いい云い方だと、ギャップ、です。
あぁそうかわたしの節操なしはこのへんの認識が既にあるからなのか。
自分が作り上げただけの「相手像」に安住するつもりがないからなのか。
誰が何しててもおかしくないし、それによって信頼が損なわれるとかいうこともない、ただ「へえそう」、「なるほど」でおわる。
冷淡でも他人事もでなく(いやあっても)その認識が先行してるんだな。だからなのか。
なんとなく納得した…個人的ですんません。
にしてもほんと調べものして寝ますすごい最近ねむい睡眠の秋。
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