愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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カテゴリはあにぎんなのか銀魂語りなのか迷う。結局カテゴライズが厳密になれない。カテゴライズの意味がない。
でも書店の棚番号も担当社員に訊いてみたら「なんとなく」「ニュアンスで」「考えるな、感じろ!」といわれたので、悟りをひらいて銀魂語りにしようと思います。
思えば図書館司書の授業も「レファレンスは本についてる分類番号で決めます」「それは誰が決めるんですか」「誰かが決めます」という具合だったので世界は案外適度に適当にまわってるんだなと感心したのでした。考えるな、感じろ!
最近はついったにいます。呟きたれながしなので雑記で書こうと思ってたことをよく忘れる。その備忘録についったを使おうとしつつ呟きで満足しちゃう。負のスパイラルだ。
日和を見てはほくほくし、サンレッドを見てはにこにこし、ぎんたまを見ては悲鳴をあげ、あにぎんを見ては抱腹絶倒しております。毎度思うんですがあにめぎんたまの挑戦の方向性と情熱は異常。いい意味で?いい意味で!
あにぎん、三月で終了ですね。でもザベスの中の人が「水戸黄門化計画」といってたアレは非常に推奨します。だからいいよ、終わらば終われ。また始めようとするときのために、今まで一枚もDVDは買ってないから。復活への布石としてDVDBOX発売とかすればいい。全力で食いつくから。踊り狂うから。BOX貯金とかしておくから。
友人とヲタク方面の話のみでメールをしてるんですが、こう、
「森繁さまがお亡くなりになったね。おっことぬしさまぁぁぁぁ」
「目玉の親父が亡くなりました。父さんんんん」
「藤田まこと氏が身罷られました。おれの人情派は永遠!」
なんかこう、二次元?とかヲタク?とかいう感じです。なんで全力にネタに走るの。なんで近況報告いっこもないの。
その中でぎんたまに、というかあにぎんについて話すときは、愛ゆえに憎まれ口、みたいになります。
以下抜粋。
「ぎんたまは春終了らしいよ。しかし“一旦終了”とか往生際悪いこといってる。カムバックする気だ。隙あらばまた夕方枠狙う気だ。懲りないねあのスタッフも。どうがんばっても深夜枠だろjk
絶対映画とか見に行くなよ。絶対調子づくからスタッフ。絶対「映画も人気あるんでテレビに復活リボーン!しちゃおっかな~」とかいいだすから。前売りとか買うなよ。「蒔絵シール!」とか「クリアファイル!」とかいってるから今。前売りだけでいくつ出す気か。前売り貧乏になるわ。
君はまた夕飯を食べながらあにぎんを見て地味に食欲をなくすという惨劇を繰り返したいのか。食事中に脱糞を見たいのか。木6お茶の間の平和がわたしたちの双肩にかかってる」
という具合です。なんだこの屈折した愛。
こんなメールをやり取りしておきながら、既に蒔絵つきを買うために新宿に明日赴く所存です。なにこの愛イタイ。
絶対見に行くし。一人でも行くし。小さな子しかいなくてもぜんぜん超いい席とるし。おおきいお姉さんばかりだったら笑顔で会釈とかするし。帰りにお茶に誘ったりしたいし。二回目に行くかどうかきめるためにとりあえず一度は見に行くし。劇場で弟とその彼女にはち合わせても気にしないし。
なんでぎんたまへの愛情表現って「…ハッ!(鼻から空気をふきだす)」みたいになるんでしょう。こうして雑記に書いてるときはともかく、身内と話すとき特に。違うのすきなの。すき故なの。愛なの。
愛って書いとけばいいと思ってんじゃねーぞ。て感じも否めませんが、いやでもなんかアイドル前にしたときみたいにワーキャーいうんじゃなくて…熱狂じゃなくて、卑近で親しみ深いものに向かってわらうような、それで自分をわらってみせるような、なんかそんな。諦観や開き直りだけじゃない一抹の爽やかさ。滑稽ぶってみせる粋。
なんでぎんたまってこんなに生活に密着して感じるんでしょう。ギャグ多めだから?下ネタ多いから?こどもの話じゃなくて大人の話だから?週刊連載だから?
どれともいえるし、同時にどれともいえないのでしょう。
そしてどれでもいいのです。どれを選んでも選ばなくても、いいんだって空知は思ってて、それが「SF人情なんちゃって時代劇コメディー」なんじゃないかなぁなんて、そんな汲み取りかただってアリだよねと思う次第であります。
ところでまだ陰陽師拝めてないんですが、グリーンリバーライトだってホント?どうまんは?外道丸は?
本誌は逃しっぱなしなのでとびとびです。式神対決はやく見たい!
でも書店の棚番号も担当社員に訊いてみたら「なんとなく」「ニュアンスで」「考えるな、感じろ!」といわれたので、悟りをひらいて銀魂語りにしようと思います。
思えば図書館司書の授業も「レファレンスは本についてる分類番号で決めます」「それは誰が決めるんですか」「誰かが決めます」という具合だったので世界は案外適度に適当にまわってるんだなと感心したのでした。考えるな、感じろ!
最近はついったにいます。呟きたれながしなので雑記で書こうと思ってたことをよく忘れる。その備忘録についったを使おうとしつつ呟きで満足しちゃう。負のスパイラルだ。
日和を見てはほくほくし、サンレッドを見てはにこにこし、ぎんたまを見ては悲鳴をあげ、あにぎんを見ては抱腹絶倒しております。毎度思うんですがあにめぎんたまの挑戦の方向性と情熱は異常。いい意味で?いい意味で!
あにぎん、三月で終了ですね。でもザベスの中の人が「水戸黄門化計画」といってたアレは非常に推奨します。だからいいよ、終わらば終われ。また始めようとするときのために、今まで一枚もDVDは買ってないから。復活への布石としてDVDBOX発売とかすればいい。全力で食いつくから。踊り狂うから。BOX貯金とかしておくから。
友人とヲタク方面の話のみでメールをしてるんですが、こう、
「森繁さまがお亡くなりになったね。おっことぬしさまぁぁぁぁ」
「目玉の親父が亡くなりました。父さんんんん」
「藤田まこと氏が身罷られました。おれの人情派は永遠!」
なんかこう、二次元?とかヲタク?とかいう感じです。なんで全力にネタに走るの。なんで近況報告いっこもないの。
その中でぎんたまに、というかあにぎんについて話すときは、愛ゆえに憎まれ口、みたいになります。
以下抜粋。
「ぎんたまは春終了らしいよ。しかし“一旦終了”とか往生際悪いこといってる。カムバックする気だ。隙あらばまた夕方枠狙う気だ。懲りないねあのスタッフも。どうがんばっても深夜枠だろjk
絶対映画とか見に行くなよ。絶対調子づくからスタッフ。絶対「映画も人気あるんでテレビに復活リボーン!しちゃおっかな~」とかいいだすから。前売りとか買うなよ。「蒔絵シール!」とか「クリアファイル!」とかいってるから今。前売りだけでいくつ出す気か。前売り貧乏になるわ。
君はまた夕飯を食べながらあにぎんを見て地味に食欲をなくすという惨劇を繰り返したいのか。食事中に脱糞を見たいのか。木6お茶の間の平和がわたしたちの双肩にかかってる」
という具合です。なんだこの屈折した愛。
こんなメールをやり取りしておきながら、既に蒔絵つきを買うために新宿に明日赴く所存です。なにこの愛イタイ。
絶対見に行くし。一人でも行くし。小さな子しかいなくてもぜんぜん超いい席とるし。おおきいお姉さんばかりだったら笑顔で会釈とかするし。帰りにお茶に誘ったりしたいし。二回目に行くかどうかきめるためにとりあえず一度は見に行くし。劇場で弟とその彼女にはち合わせても気にしないし。
なんでぎんたまへの愛情表現って「…ハッ!(鼻から空気をふきだす)」みたいになるんでしょう。こうして雑記に書いてるときはともかく、身内と話すとき特に。違うのすきなの。すき故なの。愛なの。
愛って書いとけばいいと思ってんじゃねーぞ。て感じも否めませんが、いやでもなんかアイドル前にしたときみたいにワーキャーいうんじゃなくて…熱狂じゃなくて、卑近で親しみ深いものに向かってわらうような、それで自分をわらってみせるような、なんかそんな。諦観や開き直りだけじゃない一抹の爽やかさ。滑稽ぶってみせる粋。
なんでぎんたまってこんなに生活に密着して感じるんでしょう。ギャグ多めだから?下ネタ多いから?こどもの話じゃなくて大人の話だから?週刊連載だから?
どれともいえるし、同時にどれともいえないのでしょう。
そしてどれでもいいのです。どれを選んでも選ばなくても、いいんだって空知は思ってて、それが「SF人情なんちゃって時代劇コメディー」なんじゃないかなぁなんて、そんな汲み取りかただってアリだよねと思う次第であります。
ところでまだ陰陽師拝めてないんですが、グリーンリバーライトだってホント?どうまんは?外道丸は?
本誌は逃しっぱなしなのでとびとびです。式神対決はやく見たい!
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