愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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めもめも。
・攘夷派は「俺の国」にはいってない。
・国と国境線。ライン。ライン引きの定義。定義するところのもの。されるところのもの。
・ライン、糸、意図、絆。
・銀さんの台詞の一貫性(と同時に、相反することを述べても矛盾が是となること)(それを含めた一貫性)
・背中合わせ
桂誕生日おめでとう。
今夜は銀桂銀語りに来るから待ってて。
ちょっと語りの前にやってみた→脳内メーカー
「りつか」
己を疑う。
休んでるとこが動けばちっとはましなんじゃないかな。
でも個人的に「言質に置き換えられたもの」=「嘘」と定義してるんで、それでいくと、これもまぁ…
「ラペイルージア」
おーい、後頭部を侵食されてるぞ。
遊びごころがなきゃ創作なんてやってられませんよね!
秘密はあって然るもの。隠してるわけでもないけれど。
云う機会がなかっただけ。(嘘つきの常套句)
ちなみに本名は、100%「友」でした。マジで。
ありえないから。我がことながらありえないから。
色々やってみた結果、面白かったのが以下の四人。
「坂本辰馬」
超 納 得。
お前はそういうやつだと思ってたよさかもつ。
「高杉晋助」
ごめ、なんか涙でてきた。
お前はそういうやつだと思ってるよ高杉。
「土方十四郎」
馬っ鹿!お前ってやつはほんともう馬鹿!!
お前はそういう子だと思ってたよとうしろう。
「坂田銀時」
ちょ、ごめ、どうしよう。
すげぇ的確。
嘘でコーティングされた中身は「友」=「腐れ縁」と「食」=「甘味」と「寂」=ありとあらゆる意味づけのできる寂寥・孤独がつまってた。
あんたはどこまでもそういう人じゃないかと、予想はしてたけどせつねぇよ銀さん…
あれ、待てよ。ていうことはわたしの本名のなかに100%の割合でつまってた「友」も「腐れ縁」てことになるか。
…どんだけ~。
以下からほも語り。
・攘夷派は「俺の国」にはいってない。
・国と国境線。ライン。ライン引きの定義。定義するところのもの。されるところのもの。
・ライン、糸、意図、絆。
・銀さんの台詞の一貫性(と同時に、相反することを述べても矛盾が是となること)(それを含めた一貫性)
・背中合わせ
桂誕生日おめでとう。
今夜は銀桂銀語りに来るから待ってて。
ちょっと語りの前にやってみた→脳内メーカー
「りつか」
己を疑う。
休んでるとこが動けばちっとはましなんじゃないかな。
でも個人的に「言質に置き換えられたもの」=「嘘」と定義してるんで、それでいくと、これもまぁ…
「ラペイルージア」
おーい、後頭部を侵食されてるぞ。
遊びごころがなきゃ創作なんてやってられませんよね!
秘密はあって然るもの。隠してるわけでもないけれど。
云う機会がなかっただけ。(嘘つきの常套句)
ちなみに本名は、100%「友」でした。マジで。
ありえないから。我がことながらありえないから。
色々やってみた結果、面白かったのが以下の四人。
「坂本辰馬」
超 納 得。
お前はそういうやつだと思ってたよさかもつ。
「高杉晋助」
ごめ、なんか涙でてきた。
お前はそういうやつだと思ってるよ高杉。
「土方十四郎」
馬っ鹿!お前ってやつはほんともう馬鹿!!
お前はそういう子だと思ってたよとうしろう。
「坂田銀時」
ちょ、ごめ、どうしよう。
すげぇ的確。
嘘でコーティングされた中身は「友」=「腐れ縁」と「食」=「甘味」と「寂」=ありとあらゆる意味づけのできる寂寥・孤独がつまってた。
あんたはどこまでもそういう人じゃないかと、予想はしてたけどせつねぇよ銀さん…
あれ、待てよ。ていうことはわたしの本名のなかに100%の割合でつまってた「友」も「腐れ縁」てことになるか。
…どんだけ~。
以下からほも語り。
銀桂銀
ベクトルからいくと、桂→銀です。
ていうかこのふたりで受け攻めが考えにくい。
桂は中身こそごんぶとである気がする。銀さんは桂にかぎらず誰に対しても「受身」だ。
難しいやっちゃ。
ええっと、某所でくるるさんと語り合ったのをちょろっと持ってくると(ごめんくるるさん)
恋愛にするにはね、どうしても壁があるんです。
時間という壁。立場の溝。
じゃ、今までに何かあったかっていわれたら、たとえば銀さんは、桂にはどうしても手を出さない気がする。
坂本とか高杉とかといやんあはんな仲になってても(この比喩いやだ)、桂にはどうこうしようとか、してほしいとかなかったろうなと。
だってもっとも身近だったから。いちばんそういう関係になりにくい、或いは最後に守りたい一線だったんじゃないんだろうか。
それなら桂は本命かっていうと、そんなことはないと思います。むしろ、くるるさんの言葉を勝手に引用するんですが(ごめんなさ…)、「友人で長くいすぎた」。
腐れ縁の友人を持つと、ちょろっとわかるような気が。
一例です。
人格破綻者だったり、馬鹿だったりほんともうどうしようもなかったり。思えばわたしの相方は、何回も変わったけれどもタイプだけは変わらなかった。
世話焼きで情報通で毒舌で。それでいて肝心なところで空回り。
友人だなんていうのは今更すぎて馬鹿らしいし、改まっていうのは照れだけじゃなく嘘くさい。
ほんともう馬鹿。そしてお互いにそう思ってる。
のに、どうしても。どうしてか一緒に帰ってたことを思い出すとか、相方といって頭に浮かぶのは、そいつ。
銀さんと桂の関係って、どうしても名付けようとするなら友人だよなと。
銀さんと桂を考えると、高杉がくっついてきます。イエーイ幼馴染。
幼馴染てもんがいないのでこれはわたしの想像が多大なんですが。
幼馴染ゆえに、ずっとべったりじゃなかったろうと思いました。むしろその意思で離れた時期もあったろうと。
戦争参加直前あたりから、戦時下はそうだったんじゃないかな。
高杉さんは鬼兵隊がホームだったんじゃないかと個人的に思ってるんですが、桂や銀さんと友達ごっこしてられるか、みたいなのもちょっとあったんじゃないかと。いや、反発だけでやってたんじゃないんですが。むしろごく自然な一人立ち。
銀さんはなんで桂のとこから「一人立ち」しなかったのかって考えると、上記の相方妄想がちらっと浮かびます。
銀さんは誰かが自分を動かすことが必要とされるなら、黙ってそれを待とうとしてた節があります。主体性のなさ。銀さんは理由や動機がなくともちからがあったから、それ故に駒になったんじゃないかと。
そしてたまたま動かすのが桂だった。もしかしたら桂は「動かす」役割じゃなくて、銀さんの馴染みでたんなるお目付け役のようなものだったのかもしれませんが。
年齢的に、桂がその頃の攘夷党を仕切っていたとは考えにくいです。十代後半。もっと年かさの、経験豊富で大将になるべき人間がいただろう。
若くて馬鹿なやつは大抵やってた、みたいな描写があるので、攘夷党は結構フランク、というかリベラル、というか、組織として成りきれてない組織だったんじゃないかという気がします。
指揮系統がしっかりしてたんなら、ゲリラ戦だってもっとどうにかなってたろう。そもそも指揮官がいたなら、あんな散発的なゲリラ戦をしいたか。
疑問になるところですねん。
桂が指揮官じゃなかったろうというのは年齢的なこともあって確信なのですが、それでも軍隊で野戦昇進する兵隊がいるように、上がどんどん死んでったら下がくりあがってたろうなぁという気もします。
地位はなかったろうけど事実上なんらかの位置にはいたろう。その集団では、てことですが。あくまでその程度。
その頃から攘夷党の党首だったとは思えない。
はなしずれた。
めもを思い出す。「攘夷派は俺の国にはいってなかった」
動乱編(未読のかたスミマッセン)で、「腐れ縁」=「たとえるなら新八神楽と真撰組」が明言されたのですが。
じゃあ攘夷派って「腐れ縁」に入らないのか。
入ってると思います。けれども、それと護ることがイコールにならない。
新八神楽だったら無条件で「護る」になるのにね。
こどもだから、てのもあるだろうし、一番身近な、そしてホームだから、てのもあるでしょう。
真撰組は条件付き。
その条件とは、ずばり「依頼されたとき」。
これは銀さんが「万事屋」だからですね。
万事屋と真撰組として、その名義で関わってるのが彼らの関係の仕方だってのもありますねん。
あとはね、ホームとして別々だから。その歴然たる事実を認め、また違うものであることに敬意を評して、必要な距離を以って、
呼ばれた/依頼されたときにしか、出向かない。
随分いーい関係になったんだなぁと思います。もっと真撰組と銀さんは殺伐した関係だと思ってた。
土方の銀さんへの認識の変わり具合によるものだと思ってます。
二人の関係自体は何ら変わってません。真撰組と万事屋。ではなにが変わってここまできたのかというと、土方の認識。
銀さんはそれこそ最初っから、屋根の上で土方の剣を一刀の下に叩き折ったときから、わかってた気がします。
一日局長→ミツバ編→動乱編。もしかしたら柳生編もあるだろう。
そうした経験の数々が認識を深め、変えていったんでしょう。
もちろん花見とかサウナとかRPGとかも欠かせませんけどね!
で、ええっとはなしずれた。
攘夷派が「腐れ縁」に入ってはいても「俺の国」には入ってないことについて。
彼らの関係が個人対個人であったことが理由のひとつです。
ホームを同じくするものじゃなかったってこと。戦時下でいくら結びつきがつよくなることを強いられようと、です。
高杉のホームが鬼兵隊で、銀さんは桂と基本的にくっついてるけど思想的には他所を向いてて、個人的に馬は合うけれども坂本がその場所を去る人間だってのはわかってて。
ぜんぶ、手の届かないことだったんです。
高杉が鬼兵隊を大事にしてたであろうことも、桂の思想と銀さんの思惑に差異があったってのも、坂本が持つ理想と意志のことも。
銀さんのみならず、誰にもどうにもできないことだったんです。
そしてそれらは、彼ら一人一人のものだった。だから手を触れることがかなわなかった。
それに、変えるようなものじゃなかったんです。
高杉が銀さんや桂のもとを離れようとしてるのは彼の意思で才覚だし、その負けん気と透徹した意思こそが銀さんや桂が一緒に育ってきた高杉って男で、彼の魅力なんです。
桂のこともそう。銀さんは政治的なことや組織的なものにあらかじめ沿わない人間ですが、桂の理路整然としたところ、それは組織にあるべき一点のひかりです。「現実主義なき理想主義は屑で、理想主義なき現実主義もまた屑だ」、みたいな言葉があります。こないだ講義でやったんだけどプリントなくしたからあやふや(オイィ)(だいたいあってる)
桂はこの言葉を体現するような人間だなぁと。
坂本の坂本たるところは「理想と大義」にこそあります。そして「利益」。
損得を計算にいれているのに目指してるところは「理想」や「大義」。あくまでもそこはずれない。そんな坂本は戦時下で死んでいい男じゃない。
やっぱり、誰も彼も、彼らが彼らであるが故に止めるなんてとんでもなかった。だから、その裁量で動くなら、彼らのやることの責任は彼らでとるべきなんです。護るとかそういうのはむしろ失礼にあたる。
死ぬなら死ぬだろうさ。でもそこでお前が死ぬべきじゃないなら、その程度の才覚があるなら、俺が認めたお前という人間のもとに、お前はけして死なないだろう。
そんな感じ。
なので大事な古馴染み、戦友、「腐れ縁」でありながら、護る対象には入っていないんです。その必要がない。
でも銀さんは目の前で彼らが危機に見舞われてたら、相手をぶん殴って助けて、一言、上記のような台詞をかますんでしょうが。
見捨てられはしないんだが選択の結果だとしたら生も死もいつだって許容してやるつもりでいる。
戦友という言葉を考えます。
戦友はきっと、「腐れ縁」とも「友人」とも違う。
俺の国、なのかそうではないのか…
背中をあずけるということ。相手に背をあずけられるということ。
信頼関係ができるのだと思います。
も、ちょっと「戦友」ついて考えたいんだが、銀桂銀から随分離れたような気がするので軌道修正。
「腐れ縁」なんだけどノット「俺の国」
呼ぶのもむず痒いような、腐れ縁の一形態、というか別名、「絆(いと)」。
くるるさんと語ったんですが、銀さんと桂には、親愛はたしかにあり、友愛もあり、しかしそれを表向き否定するという前提がついている。憎まれ口を叩きあう、それもまた付き合いの長さ故。銀さんと土方の憎まれ口とは違う意味で。
誰に対しても正面きってそんなことを口にしない、銀さんという男のことを知ってる桂だからこそ、桂は自分から云ってみせるんじゃないでしょうか。
まぁ、もともと桂が非常に恥ずかしい男だというのもあるんでしょうが!(笑
誰かを好きな銀さんが思い浮かびません。
こないだ近土語りでちらっといった、「廓然大公」のことば。
あれを踏まえると、誰かを想う銀さんが浮かばないのも道理だよなぁと。
ただの恋情が馬鹿げて思えてくる。銀さんと近藤さんにはきっと、恋情でも恋愛でもとらえられない、彼らだけの愛がある。
銀桂銀について考えてたつもりが近藤銀さん語りになった(アレ)
近藤さんと銀さんの記憶喪失のあたりも掘り下げてみたいです。この二人を失うってことはどういうことなのか。彼ら自身が彼らを失うということ。そこにいるのに、いないということ。
あっ、ほんとに銀桂銀をはなれちゃったよ笑
わたしはカプに優しくない妄想をするようだと最近気付きました。
おかしいな…だめなカプなんて数えるほどしかないのに…
だめなカプは「条件付き駄目」です。もともと「カプ」というのは関係性の名付け方のひとつだと思ってるので、「この二人の関係のなかでこの方向性はあるべきものじゃないんではないか」としたもの、それが「条件付き駄目」です(なに解説してるんだ)
その条件付き駄目を率直にあげると、リバなしの銀桂、銀妙、近藤さん絡みのカプ、身体の関係上での沖土、現在進行形での坂高、リバなしの銀土、銀新です。
むかしは沖神も銀神も銀高もだめだった。不思議なもんで、時とともに妥協点を見つけてだんだん大丈夫になってくるカプがとても多い。今はもう沖神や銀神なんて素で喜びます。ほんともう不思議だ。
上記のカプが好きだというかたはまるっとスルーしてくださいね。
リバなしの銀桂は、もう上のほうの語りの通り。
銀妙。ぎんたまは新八の成長物語としてはじまった。ので、万事屋はお妙さんと分離してなきゃいけないんです。姉から巣立つことで新八の成長物語ははじまったから。銀さんとお妙さんがくっついたら、そこが破綻するんです。
近藤さん絡み。このひとでほも考えるのが無理だ。いや、みんな惚れるんだけど、そういう誰か一人の色恋の方面に傾かないからこそ近藤さんは近藤さんなんじゃないかと思って。太陽はすべてに等しく、残酷なまでにただ等しくそそぐ。
身体の沖土。土沖はあるだろうし土沖土もあるだろう。沖田が攻めるカプもあるだろう。でも沖田は土方をこそ攻めることができないような気がする。
現在進行形での坂高。坂本は地球のちっさい争いを離脱した大きな男だから。同じ場所にいたら案外面白いコンビなんだろうけれど、上記の「腐れ縁と俺の国」妄想よろしく、だからこそ護ろうとかしないと思うんだ。執着しない男・坂本。
リバなし銀土。ただでさえ銀さんが強すぎるんです。銀土にした場合はもう圧倒的すぎて。土方はいいように転がされるだけになってしまう。そんなに土方は甘くも馬鹿でもないだろうと。(思いたい、のかな)
銀新。これはただ一点、「銀さんが新八に救いを求めるか」ということ。
否ではないかな。新八にかぎらず誰にも銀さんは救済や断罪を求めないのではないかと思うので。
あと新八が男前すぎる。少年てよりかひとりの男。
初回あんなにダメガネだったのに。
珍しく駄目なものを語ったな…
ご気分害された方いたら申し訳ございませ!一意見に過ぎないのでご容赦のほどを。
これでほんとのほんとに、攘夷派勢はコンプリートかな?主要四人は語ったようだ。
さてこれから真撰組だ!楽しみだ。
ていうか銀桂銀については語り倒したいこと山ほどあるんでこれで終わりじゃないですよ。ていうかカプ論なんて流動的なものですので。きっと半年後には変わる。
ヅラ誕生日おめでとう!日付変更線は過ぎたけれども!(え)
ベクトルからいくと、桂→銀です。
ていうかこのふたりで受け攻めが考えにくい。
桂は中身こそごんぶとである気がする。銀さんは桂にかぎらず誰に対しても「受身」だ。
難しいやっちゃ。
ええっと、某所でくるるさんと語り合ったのをちょろっと持ってくると(ごめんくるるさん)
恋愛にするにはね、どうしても壁があるんです。
時間という壁。立場の溝。
じゃ、今までに何かあったかっていわれたら、たとえば銀さんは、桂にはどうしても手を出さない気がする。
坂本とか高杉とかといやんあはんな仲になってても(この比喩いやだ)、桂にはどうこうしようとか、してほしいとかなかったろうなと。
だってもっとも身近だったから。いちばんそういう関係になりにくい、或いは最後に守りたい一線だったんじゃないんだろうか。
それなら桂は本命かっていうと、そんなことはないと思います。むしろ、くるるさんの言葉を勝手に引用するんですが(ごめんなさ…)、「友人で長くいすぎた」。
腐れ縁の友人を持つと、ちょろっとわかるような気が。
一例です。
人格破綻者だったり、馬鹿だったりほんともうどうしようもなかったり。思えばわたしの相方は、何回も変わったけれどもタイプだけは変わらなかった。
世話焼きで情報通で毒舌で。それでいて肝心なところで空回り。
友人だなんていうのは今更すぎて馬鹿らしいし、改まっていうのは照れだけじゃなく嘘くさい。
ほんともう馬鹿。そしてお互いにそう思ってる。
のに、どうしても。どうしてか一緒に帰ってたことを思い出すとか、相方といって頭に浮かぶのは、そいつ。
銀さんと桂の関係って、どうしても名付けようとするなら友人だよなと。
銀さんと桂を考えると、高杉がくっついてきます。イエーイ幼馴染。
幼馴染てもんがいないのでこれはわたしの想像が多大なんですが。
幼馴染ゆえに、ずっとべったりじゃなかったろうと思いました。むしろその意思で離れた時期もあったろうと。
戦争参加直前あたりから、戦時下はそうだったんじゃないかな。
高杉さんは鬼兵隊がホームだったんじゃないかと個人的に思ってるんですが、桂や銀さんと友達ごっこしてられるか、みたいなのもちょっとあったんじゃないかと。いや、反発だけでやってたんじゃないんですが。むしろごく自然な一人立ち。
銀さんはなんで桂のとこから「一人立ち」しなかったのかって考えると、上記の相方妄想がちらっと浮かびます。
銀さんは誰かが自分を動かすことが必要とされるなら、黙ってそれを待とうとしてた節があります。主体性のなさ。銀さんは理由や動機がなくともちからがあったから、それ故に駒になったんじゃないかと。
そしてたまたま動かすのが桂だった。もしかしたら桂は「動かす」役割じゃなくて、銀さんの馴染みでたんなるお目付け役のようなものだったのかもしれませんが。
年齢的に、桂がその頃の攘夷党を仕切っていたとは考えにくいです。十代後半。もっと年かさの、経験豊富で大将になるべき人間がいただろう。
若くて馬鹿なやつは大抵やってた、みたいな描写があるので、攘夷党は結構フランク、というかリベラル、というか、組織として成りきれてない組織だったんじゃないかという気がします。
指揮系統がしっかりしてたんなら、ゲリラ戦だってもっとどうにかなってたろう。そもそも指揮官がいたなら、あんな散発的なゲリラ戦をしいたか。
疑問になるところですねん。
桂が指揮官じゃなかったろうというのは年齢的なこともあって確信なのですが、それでも軍隊で野戦昇進する兵隊がいるように、上がどんどん死んでったら下がくりあがってたろうなぁという気もします。
地位はなかったろうけど事実上なんらかの位置にはいたろう。その集団では、てことですが。あくまでその程度。
その頃から攘夷党の党首だったとは思えない。
はなしずれた。
めもを思い出す。「攘夷派は俺の国にはいってなかった」
動乱編(未読のかたスミマッセン)で、「腐れ縁」=「たとえるなら新八神楽と真撰組」が明言されたのですが。
じゃあ攘夷派って「腐れ縁」に入らないのか。
入ってると思います。けれども、それと護ることがイコールにならない。
新八神楽だったら無条件で「護る」になるのにね。
こどもだから、てのもあるだろうし、一番身近な、そしてホームだから、てのもあるでしょう。
真撰組は条件付き。
その条件とは、ずばり「依頼されたとき」。
これは銀さんが「万事屋」だからですね。
万事屋と真撰組として、その名義で関わってるのが彼らの関係の仕方だってのもありますねん。
あとはね、ホームとして別々だから。その歴然たる事実を認め、また違うものであることに敬意を評して、必要な距離を以って、
呼ばれた/依頼されたときにしか、出向かない。
随分いーい関係になったんだなぁと思います。もっと真撰組と銀さんは殺伐した関係だと思ってた。
土方の銀さんへの認識の変わり具合によるものだと思ってます。
二人の関係自体は何ら変わってません。真撰組と万事屋。ではなにが変わってここまできたのかというと、土方の認識。
銀さんはそれこそ最初っから、屋根の上で土方の剣を一刀の下に叩き折ったときから、わかってた気がします。
一日局長→ミツバ編→動乱編。もしかしたら柳生編もあるだろう。
そうした経験の数々が認識を深め、変えていったんでしょう。
もちろん花見とかサウナとかRPGとかも欠かせませんけどね!
で、ええっとはなしずれた。
攘夷派が「腐れ縁」に入ってはいても「俺の国」には入ってないことについて。
彼らの関係が個人対個人であったことが理由のひとつです。
ホームを同じくするものじゃなかったってこと。戦時下でいくら結びつきがつよくなることを強いられようと、です。
高杉のホームが鬼兵隊で、銀さんは桂と基本的にくっついてるけど思想的には他所を向いてて、個人的に馬は合うけれども坂本がその場所を去る人間だってのはわかってて。
ぜんぶ、手の届かないことだったんです。
高杉が鬼兵隊を大事にしてたであろうことも、桂の思想と銀さんの思惑に差異があったってのも、坂本が持つ理想と意志のことも。
銀さんのみならず、誰にもどうにもできないことだったんです。
そしてそれらは、彼ら一人一人のものだった。だから手を触れることがかなわなかった。
それに、変えるようなものじゃなかったんです。
高杉が銀さんや桂のもとを離れようとしてるのは彼の意思で才覚だし、その負けん気と透徹した意思こそが銀さんや桂が一緒に育ってきた高杉って男で、彼の魅力なんです。
桂のこともそう。銀さんは政治的なことや組織的なものにあらかじめ沿わない人間ですが、桂の理路整然としたところ、それは組織にあるべき一点のひかりです。「現実主義なき理想主義は屑で、理想主義なき現実主義もまた屑だ」、みたいな言葉があります。こないだ講義でやったんだけどプリントなくしたからあやふや(オイィ)(だいたいあってる)
桂はこの言葉を体現するような人間だなぁと。
坂本の坂本たるところは「理想と大義」にこそあります。そして「利益」。
損得を計算にいれているのに目指してるところは「理想」や「大義」。あくまでもそこはずれない。そんな坂本は戦時下で死んでいい男じゃない。
やっぱり、誰も彼も、彼らが彼らであるが故に止めるなんてとんでもなかった。だから、その裁量で動くなら、彼らのやることの責任は彼らでとるべきなんです。護るとかそういうのはむしろ失礼にあたる。
死ぬなら死ぬだろうさ。でもそこでお前が死ぬべきじゃないなら、その程度の才覚があるなら、俺が認めたお前という人間のもとに、お前はけして死なないだろう。
そんな感じ。
なので大事な古馴染み、戦友、「腐れ縁」でありながら、護る対象には入っていないんです。その必要がない。
でも銀さんは目の前で彼らが危機に見舞われてたら、相手をぶん殴って助けて、一言、上記のような台詞をかますんでしょうが。
見捨てられはしないんだが選択の結果だとしたら生も死もいつだって許容してやるつもりでいる。
戦友という言葉を考えます。
戦友はきっと、「腐れ縁」とも「友人」とも違う。
俺の国、なのかそうではないのか…
背中をあずけるということ。相手に背をあずけられるということ。
信頼関係ができるのだと思います。
も、ちょっと「戦友」ついて考えたいんだが、銀桂銀から随分離れたような気がするので軌道修正。
「腐れ縁」なんだけどノット「俺の国」
呼ぶのもむず痒いような、腐れ縁の一形態、というか別名、「絆(いと)」。
くるるさんと語ったんですが、銀さんと桂には、親愛はたしかにあり、友愛もあり、しかしそれを表向き否定するという前提がついている。憎まれ口を叩きあう、それもまた付き合いの長さ故。銀さんと土方の憎まれ口とは違う意味で。
誰に対しても正面きってそんなことを口にしない、銀さんという男のことを知ってる桂だからこそ、桂は自分から云ってみせるんじゃないでしょうか。
まぁ、もともと桂が非常に恥ずかしい男だというのもあるんでしょうが!(笑
誰かを好きな銀さんが思い浮かびません。
こないだ近土語りでちらっといった、「廓然大公」のことば。
あれを踏まえると、誰かを想う銀さんが浮かばないのも道理だよなぁと。
ただの恋情が馬鹿げて思えてくる。銀さんと近藤さんにはきっと、恋情でも恋愛でもとらえられない、彼らだけの愛がある。
銀桂銀について考えてたつもりが近藤銀さん語りになった(アレ)
近藤さんと銀さんの記憶喪失のあたりも掘り下げてみたいです。この二人を失うってことはどういうことなのか。彼ら自身が彼らを失うということ。そこにいるのに、いないということ。
あっ、ほんとに銀桂銀をはなれちゃったよ笑
わたしはカプに優しくない妄想をするようだと最近気付きました。
おかしいな…だめなカプなんて数えるほどしかないのに…
だめなカプは「条件付き駄目」です。もともと「カプ」というのは関係性の名付け方のひとつだと思ってるので、「この二人の関係のなかでこの方向性はあるべきものじゃないんではないか」としたもの、それが「条件付き駄目」です(なに解説してるんだ)
その条件付き駄目を率直にあげると、リバなしの銀桂、銀妙、近藤さん絡みのカプ、身体の関係上での沖土、現在進行形での坂高、リバなしの銀土、銀新です。
むかしは沖神も銀神も銀高もだめだった。不思議なもんで、時とともに妥協点を見つけてだんだん大丈夫になってくるカプがとても多い。今はもう沖神や銀神なんて素で喜びます。ほんともう不思議だ。
上記のカプが好きだというかたはまるっとスルーしてくださいね。
リバなしの銀桂は、もう上のほうの語りの通り。
銀妙。ぎんたまは新八の成長物語としてはじまった。ので、万事屋はお妙さんと分離してなきゃいけないんです。姉から巣立つことで新八の成長物語ははじまったから。銀さんとお妙さんがくっついたら、そこが破綻するんです。
近藤さん絡み。このひとでほも考えるのが無理だ。いや、みんな惚れるんだけど、そういう誰か一人の色恋の方面に傾かないからこそ近藤さんは近藤さんなんじゃないかと思って。太陽はすべてに等しく、残酷なまでにただ等しくそそぐ。
身体の沖土。土沖はあるだろうし土沖土もあるだろう。沖田が攻めるカプもあるだろう。でも沖田は土方をこそ攻めることができないような気がする。
現在進行形での坂高。坂本は地球のちっさい争いを離脱した大きな男だから。同じ場所にいたら案外面白いコンビなんだろうけれど、上記の「腐れ縁と俺の国」妄想よろしく、だからこそ護ろうとかしないと思うんだ。執着しない男・坂本。
リバなし銀土。ただでさえ銀さんが強すぎるんです。銀土にした場合はもう圧倒的すぎて。土方はいいように転がされるだけになってしまう。そんなに土方は甘くも馬鹿でもないだろうと。(思いたい、のかな)
銀新。これはただ一点、「銀さんが新八に救いを求めるか」ということ。
否ではないかな。新八にかぎらず誰にも銀さんは救済や断罪を求めないのではないかと思うので。
あと新八が男前すぎる。少年てよりかひとりの男。
初回あんなにダメガネだったのに。
珍しく駄目なものを語ったな…
ご気分害された方いたら申し訳ございませ!一意見に過ぎないのでご容赦のほどを。
これでほんとのほんとに、攘夷派勢はコンプリートかな?主要四人は語ったようだ。
さてこれから真撰組だ!楽しみだ。
ていうか銀桂銀については語り倒したいこと山ほどあるんでこれで終わりじゃないですよ。ていうかカプ論なんて流動的なものですので。きっと半年後には変わる。
ヅラ誕生日おめでとう!日付変更線は過ぎたけれども!(え)
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