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愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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明日、ピアスホールをあけることになりました。

一個目です。はじめてです。お前その年で?というか、女子高生でもないのに今更?とお思いでしょうが、はい。あけます。
ずっとあけたいとは思ってたのに意気地なしのため踏み切れなかった…

だってみんなして「痛かったな~あれは痛かった」とかっておどかすのだもの。
こここ、怖くなんてないですが、ちょっとね、ホラ、躊躇っちゃうじゃない。別に怖くなんてないのだけれど!痛いとか!そういうこといわれると、ね、ホラ…!

「耳元でキリキリとピアッサーの音がするんだよ…」


「かちんていうまで耳に刺すんだよ。途中で抜くと非常に膿んで 怖 い 目に あう から、気をつけてね!(笑顔)」



「ああ、医者であけてもらおうとしても無駄だよ!
だって今時、医者も ピアッサー 使うもの!( 超 笑 顔 )」




……お前らァァァ
わざとだろ!わざとなんでしょ!喫煙者が未喫煙者に煙草をすすめるような気持ちなんでしょ!実際そんなでもないんでしょ!わざとだろわかってんだからなお願いわざとって云ってぇぇぇお願いだから!!(必死)(だから怖くなんてないってば)(ちょっと予備知識ほしいだけだっての)


というわけで明日が決戦の日です。まずはピアッサー買ってこな。



刻印や聖痕について考えました。たとえを出していいですか?ナル/トの日向/ネジくんを出しましょう。
彼の額には命をつなぐしるしがあります。傷でもあります。もしかしたら誇りにかえることだって。
昔、ナ/ルトを読んでて、すべらかな額を失うことによって彼が得たものは、プラスの意味合いならば何なのだろうと考えたことがありました。その家名に恥じないような、日向、ひなたのにおいのする善きもの。それがあるとしたら。
額のしるしは人為的に施されたものなので、けしてそうと云えないことはわかってるのですが。聖痕、になったらなぁなんて。
勿論、現実的な意味合いでの楔だってのも忘れちゃならんのですが。そこは目をつむってはいけないところ。見据えなきゃならないところ。


神は山をつくらなかった、というのが基督教の本来とるスタンスであることはご存知ですか?

『創世記』にあります。「光あれ」と最初に云った、あれ。

天地があり、「光あれ」といい、大空の下と上に水をわけて、地と海をつくった。そのあとに、植物、太陽と星、海の中の生き物と鳥、獣、最後にアダムとイヴ。つまり人間です。
六日間で創造が行われたのですね。

詳しくは『創世記』で検索して参照どうぞ。面白いです。
そのなかで、海の記述あっても山はないんです。でも「山」という事物は現実にあるし、わたしたちにも「山」の概念はある。ならば神はどこで「山」というものに言及したか。

ここで、アダムとイヴのその後を追ってみましょうか。彼らは単純計算で五百年くらい生きてます(まじでか)その間にこどもがこどもを産んでまたそのこどもが…となって人口が増えてってます。

よく考えんでも、それでいくと人類は近親相姦で成り立ってんじゃないの。いいのこれ。よくないのか。笑えるから今ここではスルーだけれど。
人間たちは勝手してたので神の怒りに触れます。ゼロからやり直そう!となったときに、そうですあれです。ノアが出てきます。

なんか昨今のDグレについて議論してるみたいだな。ノアとかいうとそっちを思い出してしまう。

ええと戻って。ノアっていえばノアの方舟。その方舟が漂着したとされるのがトルコのとある山なんです。
ここで初めて「山」が出てくる。

それまで山はなかったのだとするのが基督教の基本スタンス。神の言葉にないものはそれまで存在していなかったのだとする。
宗教改革でおなじみのカルヴァンとルターは仲悪かったらしいのです。カルヴァンがスイスの山育ち、ルターが関東平野よりだだっぴろい平野暮らしで生まれた街から一歩もでない。こりゃあ対立もする。それぞれが山やまっさらな平地の両方を想像・実感できないのだもの。

「山は豪雨のさいに出来たのだ。地をうつ雨のその勢いのために出来たのだ」
「いいや、女性の肌よろしく、まっさらなものが美しいんだ。だから神が雨にうたせて山をつくってしまったというのはひどい誤解だ」

どっちもどっちだ。いやカルヴァンとルターの争いの正否はどうでもいいんだった。
ともかく、ここでようやくネジくんのお話にまで戻ってくるのです。

すべらかなものが美しいとするのなら。ネジくんの額は既に美しいもの足りえません。でも明らかに美しいものだけが、ほんとうに美しいわけではない。それは芸術といわれるものを見ればわかります。
美しいものを美しいというだけで成り立つのなら、芸術は「美」足りえない側面を持っているんです。
勿論、きれいなものをきれいという、そのあけすけな正当さにはかなわないんですが。いつだって馬鹿正直なものには負けてしまうぜ。でもやな気分じゃないね。

単純に美しいという対象でもない。傷。でも、傷を瑕疵としてだけ見ることがなくなったそのときに、それは美しくもなるんじゃないかな。醜い傷跡としての意味合いを持ちつつも、プラスの方面にも傾くのではないかな。たとえそれが鎖でありいのちをつながれた証であっても。
痛みと傷によって天上のメッセージを刻む聖痕をたとえに出したのはそのせいもある。


明日、すべらかな耳朶を失うわたしは夜中にそんなことを思ったりしますねん。


んなこと考えてる間に消毒液とピアッサー買ってこな。
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