愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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毎度思いますが「もえ吐きだし」とか「感想文」とか「その他まんが」のカテゴリをいい加減つくったほうがいい気がしてます。「アニメみました」はつくったんだけどな。
すごく面白いんだけど周りにしゃべれるともだちがいないので
今日は「GIANT KILLING」の話をしにきました。というか感想文です。もえ吐きだしです。その他まんがです。
ぎんたまのサイトなのでぎんたま縛りの話で!と思ってるけど、ここくらいしか吐きだし場がないので結局ぜんぜん違う作品の話もしてるっていう。いいんだ、このパッションがいちばん大事なものなんだ。
昨今のジャンプ本誌は安心して泣き出す域にきてるからしばらく感想が書けていませぬ。
今日はぜんぜん違う「玉」だけどこっちも「魂」にかかる玉な気がしないでもない、フットボール漫画の話です。
前にも一度やらかしましたが新刊が出たので辛抱たまらんな状態です。
前置きなし。
後に回すと忘れそうなので最初に。
・若いドリさん!ドリさん!!あああ!かっこいいよ守護神だよ
・若い!村越!
・歪みない赤崎(笑)
・笠っさんはタッツの後見人(なんとなく)
・成田さんが…実に正統派で…かっこいいです
・ちったい有里たんかわゆす。これはこの頃のクラブを憶えてて成長したらワーカホリックにもなるよね。
パねぇ現役タッツ。かっけぇ。
「こいつがいればどんな状況でも何とかしてくれる」感がすごい。
素敵で無敵すぎる。
敢えてぎんたまでいうならば、最新刊は白夜叉全盛期を見てる気分です。
ああ、こりゃ英雄だよっていう。
「選手:達海猛」は間違いなくスーパースターでした。
すごく滾るんだけど、すごくせつない。
きりきりくるというより、真綿で絞められてってる圧迫感が…いや閉塞感がすごい。
選手:達海の活躍をみるのは、
劇場版紅桜見に行ってあのバクチダンサーかかるあたりからのアクションを見てたときと
なんだかちょっと近い感触です。すごく滾る。すごくかっこいい。でも白夜叉時代を思うとそういうことだけもいってらんない。
もう絶対破綻するのわかってて見てますからね。
銀さんが敗戦を経験して今現在を万事屋銀ちゃんとして生きてるように、
達海猛も若くしての引退を経て監督として今を生きてるっていうのを。
白夜叉って、白兵戦の伝説でこころの支柱だったと思うんです。その時その場にいた人間にとっては。時代の方便としての梟雄。
だからこそ絶対に歪むものがある。
わかってても支柱にしちゃう例としては桂です。ジャイキリでいえば笠っさん。みんながこいつに寄りかかっちゃ駄目だと思いつつも魅せられてしまうのを否定できない。
もうタッツが次にどう思うかなんてすごくすんなり想像できます。
「ああ、ここを離れなきゃいけないんだな」って
きっとそう思うんだろうなぁと。
その場所が好きだからこそ離れる。ここにいたらこの場所も自分も駄目になる。みたいな。
縛られたくない性分のくせにすごく愛情深い質だと思ってます、タッツも銀さんも。「白夜叉」も「選手達海」も、自身が英雄視されることで歪むものがあると知りつつ、そこでそう振る舞うことをやめられなかったし、その時その場での最善手だと知っていた。
英雄をやめることは容易かったはずなんです。同時にそんなことはできない相談だとも思います。
卵か鶏かの理論ですが、「ゴールきめるからエースなのか、エースだからゴールきめるのか」って作中でもいわれてますけど、それとおんなじで、
彼らが英雄なのは、彼らが彼らである所以に関わってることなんだと思います。彼らが彼らをやめれば、それはやめられますが、でもそんなことできるわけもない。
サッカーを楽しまない達海は達海じゃないし、
何かを護ろうとしない銀さんは銀さんじゃない。
…みたいな。もっと根幹の話かもしれませんが。これ以上核心的な「根幹」に言及できないのでとりあえずはこんなところです。
そして何度もきっと言及されてるんですが銀さんが護ろうとしたのはモノやヒトや理念や国じゃなくて、自分のルールなんだと思います。手前の剣の半径数メートルで描く円弧の内側。そこだけ。
奇しくもおじゃんぷ本誌で絶賛展開中のかぶき町大抗争で明言されてますが
<ここから単行本未収録じゃんぷネタバレ>
銀さんが護ろうとしてたのは、厳密にはお登勢さんじゃなく、次郎長が護ろうとしてたのも、厳密にはかぶき町じゃなくお登勢さんではない。かぶき町やお登勢さんを護ろうとしてるんだけど。「護りたいものは何か」と問われて指すとしたらお登勢さんとかぶき町しかないんだけど。
でも同時にお登勢さんもかぶき町も「護ろうとしてるもの」の代名詞なんです。
彼らが護ろうとしてるのは、自分の「武士道・ルール・鉄の掟」なんです、きっと。手前の狭い了見の範囲で、狭いからこそ手が届いて、矮小だからこそ蔑ろにしちゃいけない。そういうもの。
たぶんそれは男だからとか侍だからとか敗けて生き残ることを経験してるからとか、そういうことが問題ではない。
ただそうだから、そうであるだけ。
すごく、人間だな、って思います。
<ここまで>
ある事の所以が、「その人がその人だからだ」という以外に求められないというのは、
小気味よくもなんだかせつないです。
ときどきどうしようもない時があるので。白夜叉然り、選手達海然り。
「ETUは達海のワンマンチーム」というのは、何よりショックな言葉なんだろうなと思いました。
絶対いわれたくない言葉だよね。
わたしの心情を一言で表すなら「小僧そこへなおれ(^ω^#)ピキピキ」です。
使いなれないAA文字を使う程度にはキます。いやなおらせても何も言えませんが。言えませんが「そこへなおらんかい」と言いたい。言えないけど。何一つ言えないけど言いたい。
団体競技は個々のワンマン主義者たちから生まれるチームプレーなんじゃないのかな。
チームプレーは妥協ではなくどちらかというと折衷、もっというと個と個の接触(ぶつかり合いであろうと感覚の共有による和がもたらしたものであろうと問わない)によって生まれる、ひとつの化学反応なんじゃないかな。なんて。
学生時代はスタンドプレーばっかりだったわたしがいうのはちょっとおこがましいんですが。
でも、絶対的支柱がそこにあったら心情的に頼ってしまうよね。心情的に、だけで済まなくなるのは時間の問題だよね。そのうち寄りかかって体重預けてることも忘れるよね。
もー十五巻は読んでてせつないせつない。
笠っさんと会長の方法論は違う。違うけど達海に魅せられてるのは同じ。でも、達海うんぬんばっかりがチームよりも優先されちゃダメなんじゃないかな。
個人として限りなく魅せられるのはいいけど、それを仕事にしようとしちゃうと達海は食いものになっちゃうんじゃないかな。でも笠っさんも会長もサッカーが仕事のひとだから、そうなっちゃうのは不可抗力なのかな。
タッツは生身の人間なんだから擦り切れて目減りしちゃうよ。そうなってもきっと本人は文句ひとついわないよ。
結果として、使い減らされて若くして致命的な故障を背負って、タッツは大局的に見たらETUのためにETUから出ていくんですねわかります。
なにこのつらい話。
すごく話がとびますが、真撰組が近藤さん親衛隊であってほしくないっていうのは、こういうことを考えるからなんだと思います… 組織もえもありますが。
近土近も、できるだけ恋愛じゃなくて悪友しててほしいってのは、そういうことだと思う。
でも土方が使い減らしたくらいで近藤さんは擦り減らないとは思う。
タッツは周囲ぜんぶがタッツを使い減らした節がある気がしてる。チームメイトも最終的にはそういう…仲間だけどライバル、俺らのエース、って信用と信頼がどっかで崩れた気がしてる。
叱ってやったり慰めてやったりする立ち位置が笠っさん以外いないって何事。あと僅差で後藤。
なにこれ孤独すぎる。
また話がとびますが。
タッツは自分が選手時代に経験したことを、ぜんぶ監督になってから活かしてるんだなって思いました。
移籍に迷う石浜にいったことはぜんぶ過去の自分にいってることだよ。
「拾って育ててくれたクラブを今出ていくのはクラブに対する裏切りだと思ってない?」とか。まんま。
裏切りじゃないんだよ、って十五巻の#146の笠っさんの台詞を無言の背中で聞いてるタッツ二十五歳は、もうわかってたと思う。
裏切りじゃないんだけど、裏切りにしか、見えないんだよ、って、わかってたと思う。
だってここから一巻のあの村越につながるんですもん。
「あんたはETUをあんたなしじゃいられないチームにしてからそれを手放した」みたいな。
「一度ETUを見捨てた」と有里ちゃんにいわしめた、あの一巻の第一話につながるんですもん。
すごくせつない。
椿の練習後のイメトレと、タッツの夜の練習場ウロウロは、うまいこと重なるなぁなんて。
「椿は達海の再来」と笠っさんはいったけど、どっちかっていうと現役達海は持田様タイプな気がしました。
持田様はいうこというけど、チームの勝利のため。
タッツもいうこというけど、チームで楽しむため。
…ここは相違点かな?楽しむことが勝利につながってるから、相違点なのかどうかは微妙かもしれませんが。
単純にモッチーとタッツの性格の違いかな。
重なると思いました。
ピッチの上で余裕かました面で心理戦、はジーノ。
どっからでもゴールを狙う、それはFWだからとかそういうことが問題じゃない、というのは夏木。
決して人一倍フィジカルが強い、というわけではないところから始まってる、というのは世良。
期待されて縛られてるエースとしての立ち位置、は成田さんにしろ村越にしろ。
その他にも、きっといろいろ。
タッツはぜんぶ持ってたんだな、って思いました。そりゃスターにもなる。
だから今、わかるものがあるんだな、って。
現役引退して失くしたものは、失くしたものじゃなくて今もそこにあるものだって、
監督達海をかえりみて思います。
十六巻がどんなことになったって泣くものか…最終的にはそこに帰ってくるんだって、ちゃんとわかってれば泣くものか…
…そこに帰結する、ということに泣くのかもしれません。なんてこった。
白夜叉にしろ選手達海にしろ、バッドエンド前提の物語です。それは過去だから、若かったから、というだけの理由じゃないんだけど、苦渋を舐めて尚、自らをそこに追いやったものと手が切れないのが、いちばんの業です。
後藤に「あいつはフットボールから離れられない」といわしめたアレ。
木刀に佩きかえた銀さん然り。
銀さんの場合は刀は命を奪うものでもあるのでわかりやすい業のかたちですよね。でもタッツも負けず劣らずだと思うんだ。それに今も縛られてるひとがいるから(村越とか羽田さんとか、ゴローさんやシゲさん)(あとETUフロント勢)。
東京ダービーはもう、こんなつらそうな達海みたことない…って感じでした。
でも十六巻はもっとつらいことになるんだろうな、って考えたら、東京ダービーはすなおに心躍らせておこうと思いました。
あ、まだあった。タッツが選手時代に経験して今監督になって活かしてること。
石浜の話に代表される、移籍の話を先週に伝えるなど、「うちのこ」としてだけじゃなく、プレイヤーとしての選手を大事にすること。
それからバス囲み事件のときのアレ。コッシーにいったやつ。
「お前を出せるわけねーだろ。矢面に立つのも俺の仕事なんだよ」
「お前らはボール蹴ることだけ考えてろ」
すごく今かぶる。
「チームのゴタゴタとか、バランスとか、そんなんはキャプテンが背負うもんじゃない」「お前は監督に恵まれなかっただけだ」
すっごくかぶる。
選手としてのタッツはこれにこう答えてる。
「チームのためになるならさ」「怪我人は怪我人なりに、できることを」「まぁ割り切ってるよ」
十五巻で何回タッツは「クラブ/チームのため」「割り切ってるよ」といっただろうか…数えません遣り切れなくなるから。
監督としてのタッツがいってるのは、まるっと過去の自分へのアンサーなんだな、と。
あのときの自分にこう答えてやりたかった、から出発してるとは思わないんですが。
その誠実に嘘はないんですが、どっかしらに無理はあって、だからクラブや自分の身体に歪みとなってあらわれているものを、知り抜いていたと思いました。知ってたからってどうにかできるものではないという。
白夜叉が「敵からも味方からも恐れられた」はこれに通じる気がしてる。
…「白夜叉」も「選手:達海猛」も、強い遠い英雄じゃ、ないと思ってます。
今いる「坂田銀時」と「監督:達海猛」にすんなり矛盾なくつながるんだと、別人でもなんでもなく、幼いとか若いとか過去だとかじゃなく、今・そこにいる彼、と同じものだと思ってます。
違うひとじゃない。遠くなんてない。
少なくとも彼ら自身にそういう意識はない。経験として思い出してああ遠い時代だなーと思うことがあったとしても、別人じゃない。
そこが肝要だと思ってます。
なんかもー、ジャイキリの話がしたかったんだかタッツだいすきっていいたかったんだか、銀さんがすきですってだけなのか、よくわからなくなってきました。全部です。
十六巻を伏して待つ日々に突入致します。
すごく面白いんだけど周りにしゃべれるともだちがいないので
今日は「GIANT KILLING」の話をしにきました。というか感想文です。もえ吐きだしです。その他まんがです。
ぎんたまのサイトなのでぎんたま縛りの話で!と思ってるけど、ここくらいしか吐きだし場がないので結局ぜんぜん違う作品の話もしてるっていう。いいんだ、このパッションがいちばん大事なものなんだ。
昨今のジャンプ本誌は安心して泣き出す域にきてるからしばらく感想が書けていませぬ。
今日はぜんぜん違う「玉」だけどこっちも「魂」にかかる玉な気がしないでもない、フットボール漫画の話です。
前にも一度やらかしましたが新刊が出たので辛抱たまらんな状態です。
前置きなし。
後に回すと忘れそうなので最初に。
・若いドリさん!ドリさん!!あああ!かっこいいよ守護神だよ
・若い!村越!
・歪みない赤崎(笑)
・笠っさんはタッツの後見人(なんとなく)
・成田さんが…実に正統派で…かっこいいです
・ちったい有里たんかわゆす。これはこの頃のクラブを憶えてて成長したらワーカホリックにもなるよね。
パねぇ現役タッツ。かっけぇ。
「こいつがいればどんな状況でも何とかしてくれる」感がすごい。
素敵で無敵すぎる。
敢えてぎんたまでいうならば、最新刊は白夜叉全盛期を見てる気分です。
ああ、こりゃ英雄だよっていう。
「選手:達海猛」は間違いなくスーパースターでした。
すごく滾るんだけど、すごくせつない。
きりきりくるというより、真綿で絞められてってる圧迫感が…いや閉塞感がすごい。
選手:達海の活躍をみるのは、
劇場版紅桜見に行ってあのバクチダンサーかかるあたりからのアクションを見てたときと
なんだかちょっと近い感触です。すごく滾る。すごくかっこいい。でも白夜叉時代を思うとそういうことだけもいってらんない。
もう絶対破綻するのわかってて見てますからね。
銀さんが敗戦を経験して今現在を万事屋銀ちゃんとして生きてるように、
達海猛も若くしての引退を経て監督として今を生きてるっていうのを。
白夜叉って、白兵戦の伝説でこころの支柱だったと思うんです。その時その場にいた人間にとっては。時代の方便としての梟雄。
だからこそ絶対に歪むものがある。
わかってても支柱にしちゃう例としては桂です。ジャイキリでいえば笠っさん。みんながこいつに寄りかかっちゃ駄目だと思いつつも魅せられてしまうのを否定できない。
もうタッツが次にどう思うかなんてすごくすんなり想像できます。
「ああ、ここを離れなきゃいけないんだな」って
きっとそう思うんだろうなぁと。
その場所が好きだからこそ離れる。ここにいたらこの場所も自分も駄目になる。みたいな。
縛られたくない性分のくせにすごく愛情深い質だと思ってます、タッツも銀さんも。「白夜叉」も「選手達海」も、自身が英雄視されることで歪むものがあると知りつつ、そこでそう振る舞うことをやめられなかったし、その時その場での最善手だと知っていた。
英雄をやめることは容易かったはずなんです。同時にそんなことはできない相談だとも思います。
卵か鶏かの理論ですが、「ゴールきめるからエースなのか、エースだからゴールきめるのか」って作中でもいわれてますけど、それとおんなじで、
彼らが英雄なのは、彼らが彼らである所以に関わってることなんだと思います。彼らが彼らをやめれば、それはやめられますが、でもそんなことできるわけもない。
サッカーを楽しまない達海は達海じゃないし、
何かを護ろうとしない銀さんは銀さんじゃない。
…みたいな。もっと根幹の話かもしれませんが。これ以上核心的な「根幹」に言及できないのでとりあえずはこんなところです。
そして何度もきっと言及されてるんですが銀さんが護ろうとしたのはモノやヒトや理念や国じゃなくて、自分のルールなんだと思います。手前の剣の半径数メートルで描く円弧の内側。そこだけ。
奇しくもおじゃんぷ本誌で絶賛展開中のかぶき町大抗争で明言されてますが
<ここから単行本未収録じゃんぷネタバレ>
銀さんが護ろうとしてたのは、厳密にはお登勢さんじゃなく、次郎長が護ろうとしてたのも、厳密にはかぶき町じゃなくお登勢さんではない。かぶき町やお登勢さんを護ろうとしてるんだけど。「護りたいものは何か」と問われて指すとしたらお登勢さんとかぶき町しかないんだけど。
でも同時にお登勢さんもかぶき町も「護ろうとしてるもの」の代名詞なんです。
彼らが護ろうとしてるのは、自分の「武士道・ルール・鉄の掟」なんです、きっと。手前の狭い了見の範囲で、狭いからこそ手が届いて、矮小だからこそ蔑ろにしちゃいけない。そういうもの。
たぶんそれは男だからとか侍だからとか敗けて生き残ることを経験してるからとか、そういうことが問題ではない。
ただそうだから、そうであるだけ。
すごく、人間だな、って思います。
<ここまで>
ある事の所以が、「その人がその人だからだ」という以外に求められないというのは、
小気味よくもなんだかせつないです。
ときどきどうしようもない時があるので。白夜叉然り、選手達海然り。
「ETUは達海のワンマンチーム」というのは、何よりショックな言葉なんだろうなと思いました。
絶対いわれたくない言葉だよね。
わたしの心情を一言で表すなら「小僧そこへなおれ(^ω^#)ピキピキ」です。
使いなれないAA文字を使う程度にはキます。いやなおらせても何も言えませんが。言えませんが「そこへなおらんかい」と言いたい。言えないけど。何一つ言えないけど言いたい。
団体競技は個々のワンマン主義者たちから生まれるチームプレーなんじゃないのかな。
チームプレーは妥協ではなくどちらかというと折衷、もっというと個と個の接触(ぶつかり合いであろうと感覚の共有による和がもたらしたものであろうと問わない)によって生まれる、ひとつの化学反応なんじゃないかな。なんて。
学生時代はスタンドプレーばっかりだったわたしがいうのはちょっとおこがましいんですが。
でも、絶対的支柱がそこにあったら心情的に頼ってしまうよね。心情的に、だけで済まなくなるのは時間の問題だよね。そのうち寄りかかって体重預けてることも忘れるよね。
もー十五巻は読んでてせつないせつない。
笠っさんと会長の方法論は違う。違うけど達海に魅せられてるのは同じ。でも、達海うんぬんばっかりがチームよりも優先されちゃダメなんじゃないかな。
個人として限りなく魅せられるのはいいけど、それを仕事にしようとしちゃうと達海は食いものになっちゃうんじゃないかな。でも笠っさんも会長もサッカーが仕事のひとだから、そうなっちゃうのは不可抗力なのかな。
タッツは生身の人間なんだから擦り切れて目減りしちゃうよ。そうなってもきっと本人は文句ひとついわないよ。
結果として、使い減らされて若くして致命的な故障を背負って、タッツは大局的に見たらETUのためにETUから出ていくんですねわかります。
なにこのつらい話。
すごく話がとびますが、真撰組が近藤さん親衛隊であってほしくないっていうのは、こういうことを考えるからなんだと思います… 組織もえもありますが。
近土近も、できるだけ恋愛じゃなくて悪友しててほしいってのは、そういうことだと思う。
でも土方が使い減らしたくらいで近藤さんは擦り減らないとは思う。
タッツは周囲ぜんぶがタッツを使い減らした節がある気がしてる。チームメイトも最終的にはそういう…仲間だけどライバル、俺らのエース、って信用と信頼がどっかで崩れた気がしてる。
叱ってやったり慰めてやったりする立ち位置が笠っさん以外いないって何事。あと僅差で後藤。
なにこれ孤独すぎる。
また話がとびますが。
タッツは自分が選手時代に経験したことを、ぜんぶ監督になってから活かしてるんだなって思いました。
移籍に迷う石浜にいったことはぜんぶ過去の自分にいってることだよ。
「拾って育ててくれたクラブを今出ていくのはクラブに対する裏切りだと思ってない?」とか。まんま。
裏切りじゃないんだよ、って十五巻の#146の笠っさんの台詞を無言の背中で聞いてるタッツ二十五歳は、もうわかってたと思う。
裏切りじゃないんだけど、裏切りにしか、見えないんだよ、って、わかってたと思う。
だってここから一巻のあの村越につながるんですもん。
「あんたはETUをあんたなしじゃいられないチームにしてからそれを手放した」みたいな。
「一度ETUを見捨てた」と有里ちゃんにいわしめた、あの一巻の第一話につながるんですもん。
すごくせつない。
椿の練習後のイメトレと、タッツの夜の練習場ウロウロは、うまいこと重なるなぁなんて。
「椿は達海の再来」と笠っさんはいったけど、どっちかっていうと現役達海は持田様タイプな気がしました。
持田様はいうこというけど、チームの勝利のため。
タッツもいうこというけど、チームで楽しむため。
…ここは相違点かな?楽しむことが勝利につながってるから、相違点なのかどうかは微妙かもしれませんが。
単純にモッチーとタッツの性格の違いかな。
重なると思いました。
ピッチの上で余裕かました面で心理戦、はジーノ。
どっからでもゴールを狙う、それはFWだからとかそういうことが問題じゃない、というのは夏木。
決して人一倍フィジカルが強い、というわけではないところから始まってる、というのは世良。
期待されて縛られてるエースとしての立ち位置、は成田さんにしろ村越にしろ。
その他にも、きっといろいろ。
タッツはぜんぶ持ってたんだな、って思いました。そりゃスターにもなる。
だから今、わかるものがあるんだな、って。
現役引退して失くしたものは、失くしたものじゃなくて今もそこにあるものだって、
監督達海をかえりみて思います。
十六巻がどんなことになったって泣くものか…最終的にはそこに帰ってくるんだって、ちゃんとわかってれば泣くものか…
…そこに帰結する、ということに泣くのかもしれません。なんてこった。
白夜叉にしろ選手達海にしろ、バッドエンド前提の物語です。それは過去だから、若かったから、というだけの理由じゃないんだけど、苦渋を舐めて尚、自らをそこに追いやったものと手が切れないのが、いちばんの業です。
後藤に「あいつはフットボールから離れられない」といわしめたアレ。
木刀に佩きかえた銀さん然り。
銀さんの場合は刀は命を奪うものでもあるのでわかりやすい業のかたちですよね。でもタッツも負けず劣らずだと思うんだ。それに今も縛られてるひとがいるから(村越とか羽田さんとか、ゴローさんやシゲさん)(あとETUフロント勢)。
東京ダービーはもう、こんなつらそうな達海みたことない…って感じでした。
でも十六巻はもっとつらいことになるんだろうな、って考えたら、東京ダービーはすなおに心躍らせておこうと思いました。
あ、まだあった。タッツが選手時代に経験して今監督になって活かしてること。
石浜の話に代表される、移籍の話を先週に伝えるなど、「うちのこ」としてだけじゃなく、プレイヤーとしての選手を大事にすること。
それからバス囲み事件のときのアレ。コッシーにいったやつ。
「お前を出せるわけねーだろ。矢面に立つのも俺の仕事なんだよ」
「お前らはボール蹴ることだけ考えてろ」
すごく今かぶる。
「チームのゴタゴタとか、バランスとか、そんなんはキャプテンが背負うもんじゃない」「お前は監督に恵まれなかっただけだ」
すっごくかぶる。
選手としてのタッツはこれにこう答えてる。
「チームのためになるならさ」「怪我人は怪我人なりに、できることを」「まぁ割り切ってるよ」
十五巻で何回タッツは「クラブ/チームのため」「割り切ってるよ」といっただろうか…数えません遣り切れなくなるから。
監督としてのタッツがいってるのは、まるっと過去の自分へのアンサーなんだな、と。
あのときの自分にこう答えてやりたかった、から出発してるとは思わないんですが。
その誠実に嘘はないんですが、どっかしらに無理はあって、だからクラブや自分の身体に歪みとなってあらわれているものを、知り抜いていたと思いました。知ってたからってどうにかできるものではないという。
白夜叉が「敵からも味方からも恐れられた」はこれに通じる気がしてる。
…「白夜叉」も「選手:達海猛」も、強い遠い英雄じゃ、ないと思ってます。
今いる「坂田銀時」と「監督:達海猛」にすんなり矛盾なくつながるんだと、別人でもなんでもなく、幼いとか若いとか過去だとかじゃなく、今・そこにいる彼、と同じものだと思ってます。
違うひとじゃない。遠くなんてない。
少なくとも彼ら自身にそういう意識はない。経験として思い出してああ遠い時代だなーと思うことがあったとしても、別人じゃない。
そこが肝要だと思ってます。
なんかもー、ジャイキリの話がしたかったんだかタッツだいすきっていいたかったんだか、銀さんがすきですってだけなのか、よくわからなくなってきました。全部です。
十六巻を伏して待つ日々に突入致します。
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