愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
なんで今更このカテゴリで記事書いてるの…と自分ツッコミ。
いや、中野で会った子と思わぬもののけ語りをしたから。それで久々に夜中にDVDを流しつづけたから。
思えば全部初回で買ってた。すごいなわたしどんな情熱だよ(滅多にDVD買わない。動画サイトで見るから)
たぶんいろいろ貢献したかったんだ…スタッフとか…出会えてありがとう的な…(あと巻数が少なかったから…)
ほんとはグレンラガンも全部ほしい。しんかいまことも絵に惚れこんでるからほしい。
ぎんたまは膨大すぎて最早ムリ。手に入れるなら初回で…いや…いつかきっとボックスが…(きりがない)
中野のスタバで「どの話がいちばん好き?」といわれて、どれもすきだったので、
「解釈がおもしろいのは『のっぺらぼう』かなー」と答えました。
でも全編通してメリハリがきいてるのがいい。いちばん解釈難しいであろうのっぺらぼうの後に、単純明快でモノトーンで笑いどころが多い鵺がきてるとか。すごくいい。
ちょっと和んだところで最後に大正化猫が控えてるのとか。弛緩と緊張のバランスがいい。
ところで怪の化猫を見る前にもののけの座敷童子を見たひとなんですけども、
あの衝撃的な感じ、とってもよかったです。扱うテーマも生々しくって!
(ちらっと出る抜剣後の姿の描写は、わからなかったけどきっとそのうちわかるのだろうと、空気を読んであんまり気にしませんでした)
海坊主は対照的で、それでいてちゃんとカタルシスがあるところがよい。というか、もののけはシリーズ通してカタルシスがあるのが素晴らしい。
海坊主を寝る前に見てたんですけど。
当時のもののけ感想雑記みかえしてみたら、
『薬売りがげんけいさまに「斬っていいのか」を問う場面が印象的でした。』
と書いてあって、またみなおしても同じようなことを思ったので、くどいかもしれないんだけど。
薬売りは斬ることに容赦をしないと思っていたから、斬る是非を問うたことに感じるものがあったんだよなぁと。
それは縫い物の歪みと同じく、一箇所に歪みがでると全体に異常をきたすものだから、だから見つけたからには見逃しておけない。もののけってそういう歪みで、でもあるべくしてあるもので、薬売りはお裁縫をするように、歪んだ糸を切ってほぐしてくんだろうなって思ってたので。縫い直すのは薬売りの役目じゃない、縫うのは人間。
「糸を紡ぐひと」ということばがあって、それは「話の語り手」とほとんど同じ意味なんです。(ラリー・バークダルの『ナゲキバト』参照)
ある側面からみると薬売りが語り部なのだけれど、彼もまた話の主人公だということを鑑みると、彼ではない語り手の存在を考えてしまいます。すると、それはもののけを生み出す人間たち、彼らが主人公であり登場人物であり、またそれらを斬るところである薬売りを語る、語り部なのかなぁと考えた。
語り部の好例は加世ちゃんです。生き残って普通に生活して、またどっかで薬売りに会ったり会わなかったり。
知っているということが、誰にも語らなくても意味があるんです。
そんなこと思ってたらあっという間に見終わってしまった。
次は難しいらしいのっぺらでした。
中野であの子に、
「いや最後よくわっかんないんだよね、のっぺら」といわれて、
結論はつまり二つに分かれる、と説明したところ、
「救いがあるから後者で!」とのことでした。
ちょっと抜粋。
解釈①
佐々木家の事件は実際にあったことで、お蝶さんはとっくに死罪になっている。薬売りは最初から最後まであの土間(というかお勝手というか)にいた。あそこに囚われていたのはお蝶さんの死して残るこころ。情念。それがモノノ怪だった。
それなら薬売りが「お蝶の一生」というかたちで彼女の人生を俯瞰するかたちで語ったことが頷ける。
解釈②
最初から何も起こってなどいない。佐々木家の人々は惨殺などされていないし、お蝶さんも死罪になってなどいない。すべては彼女のなかで起こっていた。彼女のなかで佐々木家の人々を惨殺して、彼女のなかでとらえたれて死罪になった。そうして彼女は彼女自身を殺し続けていた。
で、薬売りの「しかし誰もいない」はどっちにもとれるんですよね。
解釈の①ならば、「最初から誰もいない」の意味合い。佐々木家の人々は勿論、お蝶さんも最初からもうそこにはいない。あの家は空き家になるなりなんなりで、薬売りもまたそこには(もう)いない。
解釈②なら、「もうお勝手には誰もいない」になる。お蝶さんがいなくなった、の意味合い。のっぺらぼう、そして自らがそうなっていたモノノ怪を斬ったので、彼女は自分を縛るものがなくなって「逃げ出した」。
鶯が象徴的ですよね。動くはずのない絵の鶯が飛び去る描写。お蝶さんは逃げ出したともとれる。
どっちでもいいんですよね。きっと。明示しないところにすくわれるような気がする。どっちであってもいいんですけれど。
うん、救いがあるから後者いいねっていってた。
余談なんですが
そこに語るべきものがあるとわかった段階で、自分が語りだした段階で、はじめて自分がそれを好きなのだとわかります。というか、気付きます。
いや、遅いし。
二次創作してはじめてこんなにぎんたまが好きなんだと気付いたです。ほんとに。
いやいや、遅いし。
語ることが既に業になってる。骨の髄までヲタクってことですね。
いやいや、今更だし!
「どの話がいちばん好き?」は結局、怪の化猫で落ち着きました。そうですよね、あれは基本。
薬売りがただの人間ってところも、もののけシリーズとは一線を画してる気が。
いろいろ盛り上がったんですが、クリムトはいっぺん生で見たら迫力あるだろうなぁとか、グリーンリバーライトすごい桑島さんすごい、いやもっとすごいのはフリーザとセルが共演したことだ、とか、
やっぱりヲタク的なところがいちばん元気でした。うん、わかってた!
初回がぜんぶあるぜ…といったら
「まじでか!初回特典見せて!てんびんさん!」
といわれた。
札なら未だに冷蔵庫に張り付いてるよ!
そのあとセンター街の漫喫でお互いのにこのマイリストを見せ合って、いかに互いがたゆまずヲタクであるのか確認した。そしてもののけ系のMADを知ってること知ってること!
ブルータスお前もか(むしろ期待を裏切らない的な意味で)
怪の化猫は入手してないんですが、ぱそ子の全画面で見たいので、そのうち血迷って買うかもしれない。
オーディオコメンタリーは全部にこにあがってるから買わなくてもいいのに…!(わかってても手を出してしまいそうだ…)
いや、中野で会った子と思わぬもののけ語りをしたから。それで久々に夜中にDVDを流しつづけたから。
思えば全部初回で買ってた。すごいなわたしどんな情熱だよ(滅多にDVD買わない。動画サイトで見るから)
たぶんいろいろ貢献したかったんだ…スタッフとか…出会えてありがとう的な…(あと巻数が少なかったから…)
ほんとはグレンラガンも全部ほしい。しんかいまことも絵に惚れこんでるからほしい。
ぎんたまは膨大すぎて最早ムリ。手に入れるなら初回で…いや…いつかきっとボックスが…(きりがない)
中野のスタバで「どの話がいちばん好き?」といわれて、どれもすきだったので、
「解釈がおもしろいのは『のっぺらぼう』かなー」と答えました。
でも全編通してメリハリがきいてるのがいい。いちばん解釈難しいであろうのっぺらぼうの後に、単純明快でモノトーンで笑いどころが多い鵺がきてるとか。すごくいい。
ちょっと和んだところで最後に大正化猫が控えてるのとか。弛緩と緊張のバランスがいい。
ところで怪の化猫を見る前にもののけの座敷童子を見たひとなんですけども、
あの衝撃的な感じ、とってもよかったです。扱うテーマも生々しくって!
(ちらっと出る抜剣後の姿の描写は、わからなかったけどきっとそのうちわかるのだろうと、空気を読んであんまり気にしませんでした)
海坊主は対照的で、それでいてちゃんとカタルシスがあるところがよい。というか、もののけはシリーズ通してカタルシスがあるのが素晴らしい。
海坊主を寝る前に見てたんですけど。
当時のもののけ感想雑記みかえしてみたら、
『薬売りがげんけいさまに「斬っていいのか」を問う場面が印象的でした。』
と書いてあって、またみなおしても同じようなことを思ったので、くどいかもしれないんだけど。
薬売りは斬ることに容赦をしないと思っていたから、斬る是非を問うたことに感じるものがあったんだよなぁと。
それは縫い物の歪みと同じく、一箇所に歪みがでると全体に異常をきたすものだから、だから見つけたからには見逃しておけない。もののけってそういう歪みで、でもあるべくしてあるもので、薬売りはお裁縫をするように、歪んだ糸を切ってほぐしてくんだろうなって思ってたので。縫い直すのは薬売りの役目じゃない、縫うのは人間。
「糸を紡ぐひと」ということばがあって、それは「話の語り手」とほとんど同じ意味なんです。(ラリー・バークダルの『ナゲキバト』参照)
ある側面からみると薬売りが語り部なのだけれど、彼もまた話の主人公だということを鑑みると、彼ではない語り手の存在を考えてしまいます。すると、それはもののけを生み出す人間たち、彼らが主人公であり登場人物であり、またそれらを斬るところである薬売りを語る、語り部なのかなぁと考えた。
語り部の好例は加世ちゃんです。生き残って普通に生活して、またどっかで薬売りに会ったり会わなかったり。
知っているということが、誰にも語らなくても意味があるんです。
そんなこと思ってたらあっという間に見終わってしまった。
次は難しいらしいのっぺらでした。
中野であの子に、
「いや最後よくわっかんないんだよね、のっぺら」といわれて、
結論はつまり二つに分かれる、と説明したところ、
「救いがあるから後者で!」とのことでした。
ちょっと抜粋。
解釈①
佐々木家の事件は実際にあったことで、お蝶さんはとっくに死罪になっている。薬売りは最初から最後まであの土間(というかお勝手というか)にいた。あそこに囚われていたのはお蝶さんの死して残るこころ。情念。それがモノノ怪だった。
それなら薬売りが「お蝶の一生」というかたちで彼女の人生を俯瞰するかたちで語ったことが頷ける。
解釈②
最初から何も起こってなどいない。佐々木家の人々は惨殺などされていないし、お蝶さんも死罪になってなどいない。すべては彼女のなかで起こっていた。彼女のなかで佐々木家の人々を惨殺して、彼女のなかでとらえたれて死罪になった。そうして彼女は彼女自身を殺し続けていた。
で、薬売りの「しかし誰もいない」はどっちにもとれるんですよね。
解釈の①ならば、「最初から誰もいない」の意味合い。佐々木家の人々は勿論、お蝶さんも最初からもうそこにはいない。あの家は空き家になるなりなんなりで、薬売りもまたそこには(もう)いない。
解釈②なら、「もうお勝手には誰もいない」になる。お蝶さんがいなくなった、の意味合い。のっぺらぼう、そして自らがそうなっていたモノノ怪を斬ったので、彼女は自分を縛るものがなくなって「逃げ出した」。
鶯が象徴的ですよね。動くはずのない絵の鶯が飛び去る描写。お蝶さんは逃げ出したともとれる。
どっちでもいいんですよね。きっと。明示しないところにすくわれるような気がする。どっちであってもいいんですけれど。
うん、救いがあるから後者いいねっていってた。
余談なんですが
そこに語るべきものがあるとわかった段階で、自分が語りだした段階で、はじめて自分がそれを好きなのだとわかります。というか、気付きます。
いや、遅いし。
二次創作してはじめてこんなにぎんたまが好きなんだと気付いたです。ほんとに。
いやいや、遅いし。
語ることが既に業になってる。骨の髄までヲタクってことですね。
いやいや、今更だし!
「どの話がいちばん好き?」は結局、怪の化猫で落ち着きました。そうですよね、あれは基本。
薬売りがただの人間ってところも、もののけシリーズとは一線を画してる気が。
いろいろ盛り上がったんですが、クリムトはいっぺん生で見たら迫力あるだろうなぁとか、グリーンリバーライトすごい桑島さんすごい、いやもっとすごいのはフリーザとセルが共演したことだ、とか、
やっぱりヲタク的なところがいちばん元気でした。うん、わかってた!
初回がぜんぶあるぜ…といったら
「まじでか!初回特典見せて!てんびんさん!」
といわれた。
札なら未だに冷蔵庫に張り付いてるよ!
そのあとセンター街の漫喫でお互いのにこのマイリストを見せ合って、いかに互いがたゆまずヲタクであるのか確認した。そしてもののけ系のMADを知ってること知ってること!
ブルータスお前もか(むしろ期待を裏切らない的な意味で)
怪の化猫は入手してないんですが、ぱそ子の全画面で見たいので、そのうち血迷って買うかもしれない。
オーディオコメンタリーは全部にこにあがってるから買わなくてもいいのに…!(わかってても手を出してしまいそうだ…)
PR
COMMENT FORM
COMMENT