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愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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よくよくカテゴリで迷う。

ぎんたまの話なんだけどそうじゃない話でもある!
もえについてです。

自分はヲタクだと思ってるが腐女子かというと微妙な気がしてます。よく腐女子に怒られる。おもにカップリング的なところで怒られる。
腐ってるのは確実なんだけど。あとなんでもかんでももえにつなげようとするあたりとか、すごくヲタクの習性だと思うのに!

ぎんたまはいい年こいたオッサンが多いんであまり迷わずにいられたんですけど、
全体的に年齢層の低いらくらんとか(ほとんどの子らが15歳未満とかどんだけ)(先生とか凄腕とかがやっと大人)
もうカップリングの話とかしてられないワンピとか(あの一味内でカプとかいってると罪悪感がうまれる)
もえ語りをしてると、カプの話なんですけど、そうじゃない話になります。

「関係性の話としてだね、君。カプであるかどうかは二の次なわけだよ」

とかっていうことが多い。異様に多い。
「その関係性の名前はカップリングじゃないのか」といわれて、「いやどっちでもいいんだ、どっちがよりよいかなんだ」と答えたら
「それはもう愛情の話であってカプとかもえの話ではない」といわれました。エー

でも「愛情の話」発言はとても納得した。たぶんそういう話がしたい。
すごく端的にいうのなら、肉体関係=カプ、ともならない。
相手をすごく好きで好きが好きに!とかなってるのが、恋愛であってもなくてもどっちでもいい。
つまり「好きなんだよ」っていうのが大事なのです。

土銀土において、相手を守ったり振り返ったり支えたり助けたりしないあたりがお互いの矜持で言い難い信頼だったりするように。
(別に土銀土が例なのは他意はないです。こっから軒並み続けようと思ったけど膨大すぎるから挫折した)(一応ぎんたまにおける最大手かなと思って引用してみた)
相手に向ける感情とか遣りかたとかが、その二人の間でちゃんと肯定されてるのなら、
それが一番よい在りかたなんじゃないかと思ったんです。
たぶんそれが「愛情の話」。愛なんて呼ぶものじゃないのかもしれないけど!

ぎんたまでカップリングが混線してても違和感をおぼえにくいのは、いい大人のすることだからかな、と
最近思いました。
つまり自己責任だからなんだよね、あっちでもこっちでも何しててもいいんだけど、収拾つけられるだけの度量があるからやってんだよね、という。(逆説的に、てめえで収拾つけられないことやってんじゃねぇよいい大人だろうが、という思いもある。よくも悪くも!)

これでいくとらくらんは、一年生とかカプ妄想するの無理です。みんなぎゅってしてごろごろしててほしい。
二年も無理かな…三年も…
四年はぎりぎり。13歳って!
五年から上はフリーダムでいいです。どこがどうなってもいいです。どうにでもなってください。
成長した妄想とかだったらある程度カップリングでもおもしろいかなー。六年生のきり丸と土井先生とか。
カプに限りなく近い愛情が理想です。そういう意味ならきり乱も果てしなくアリ。

神楽ちゃんとか新八とか沖田とかも、ぎりぎりっちゃあぎりぎりです。

ワンピとかおおふりとかは、原作がよっぽどなので、たぶん生産できないんだと思いました。
グレラガは完璧にうまく終わってるので、どこにも何かをつけ足せない。
なんかもうつまり、好きだー、で終始してます。アレ、一行で事足りた。

ちょこちょこいろいろ書いてるんですが、やたらモノローグが多いです。根暗だからです。
それと珍しく見てたドラマが今日最終回だったんですけど、
「この世に愛はあるの?」
と何度も問い直されてきて、
それになんと答えるべきだろうか、と考えたりしました。

今日あげたいテキストがあったんだけどお出かけするから無理ぽい。
愛の話です。
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