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やっぱりまだあにぎん見れてないんですけど
最終シリーズって何の話?(みなさんの感想から)
まだ折り返しぐらいじゃないのか。でも今年セカンドシーズンがはじまったくらいで
「惜しまれつつも終了、で原作のストックをためて半年後とか一年後くらいにゴールデンで復活」
ていってたのが未だに制作サイドの予定だったんじゃないかと勘繰ってるので、心配はしてません。
別にいいよ、どっちでもいいよ。
スレイヤーズみたいに何年経ったって復活するものはするから。ぎんたまもきっとそうだから。
どっちでもいいよ、どうなってもいいよ。
心配はしてません。
…踊らされてなるものか(でもヲタク的には踊っとくところ)
ところで守人ってすてきですね。まさか主人公が三十路のおばちゃんとは思わなかった。
なんてすてきなんだ精/霊の守/人。12話しかないならアニメのほうも見ようかな。
てぶろ見てみたら忍タグで雷蔵が祭られててなんでだと思ったら
再放送するんですね、なるほど。
10月7日ですね、はい。
今から予定あけときます。講義?あったとしてもその日は自主休講です。
というわけで今日は五年生の話をしたいです。
このままいくと、そのうち学年が繰り下がってって、四年~三年~二年~一年~教師事務~といくかもしれない。そんな。
登場人物おおすぎるから、一発キャラはほとんど覚えてないよ。だから気後れしてソートもできないよ。
原作が好きです。(アニメは見れないことが多過ぎる)(絵本は出版社とかありすぎてわからない)(…)
ファン歴十年以上のキャリアを誇るゆうばりにきいてみた。「五年生ってどうなの?」
「三郎と雷蔵はできてなきゃおかしい。竹谷はまだキャラがつかめてない。久々知は豆腐なのは原作の借り物競走だったかだけど、アニメか絵本でもそういう話があったのかもしれない。
三郎がいるだけで話が重くなるし暗くなる。雷蔵はほんとうに和みだ。久々知は男前でかわいくて優秀だ。
誰か竹谷に個性つくってあげて」
全体的に竹谷がかわいそうな感じの答えでした(そんな)
三郎と雷蔵はもうできてるらしいです。なにが。
双忍の術ってあるけど三郎と雷蔵で双忍っていうのは公式なの?ときいたら「いいや」と返ってきた気がする。
でも術とは別口で、あの二人合わせて双忍と呼ぶのがデフォらしいですね。二次のことはなんとも。
表記が楽だしぴったりだと思うから双忍と呼ぶけども。
(ところでらくらんカップリングでまるはまりしてるのは鉢雷です。これはどう考えてもガチだからだと思う。
もう間違えようがないぐらいだから落ちたのだと思う。
らくらんて純粋にキャラが多いから組み合わせも多くて、「えっこんなカップリングが」「まさかこんなカプまで」というようなのまであるんですが、
だから王道とか最大手とかがなくて
でも鉢雷はどうがんばっても「こーなるしかないよね」な過半数で可決みたいな組み合わせなので
必ずそのジャンルの王道カプに落ちるわたしは
案の定でした。)
そのうち鉢雷で話をしそうな自分がこわい。というか
友情とか信頼とかつながりの話どまりでも
三郎と雷蔵だとカップリングの話になりそうです。なんでだ。
もうカプとか愛情友情とか無理に区分しなくてもいいと悟れたら来ることにします。
久々知はおいしいですね。つどい設定(尼子先生とファンのつどい、で先生がぽろっともらした描かれない裏側のネタや設定)で、
「久々知は土井先生の若いころをイメージして描いた」とあって
あっそれは美人なはずだわ久々知、と納得。
髪が美しい。長い。波打つようだ。
これは土井先生要素をまったく踏襲してない。よかったね、久々知。
学年別で見ると五年生がいちばん好きかもしれません。波風が立ちにくくてゆるーく仲良し。
一年と六年は基本的にまんべんなく。一年は組は原点で聖域。
三年をやっとこさ覚えてきてる。
委員会だと体育が妄想頻度高いかもしれない。学年が一~六までバランスよくばらけてるからだと思う(五年は不在だけど)
でも生物みたく小さい子がごちゃっとしてるのも捨てがたい。用具と保健も小さい子がごちゃっとしてる。
人数少ない火薬も、それはそれで所帯が小さくてまとまってそう。
会計と作法も学年がいい具合にばらけてるけど、体育みたく「明るく楽しく」ではないっぽい。
五年の話をしたいんだけどどっから手をつけていいのやら。
好きだから恥ずかしくて話もできない(どこのTUNAMIですかそれ)
すごく妄想が入った語りになると思う。ニコとか手ブロの影響受けまくった妄想になると思う。
初心者まるだしみたいなこと疑問に思ってると思う。
まだらくらん一巻読んでから一年半くらいしか経ってないよ。二十巻代はほぼ内容忘れてるよ。
コマ割までちゃんと思いだせないよ。
一番最初に出た六年生が食満だってことも、二年生が活躍してた時代があったってことも、
きれいに忘れてたよ。
気を取り直して五年の話。
三郎の雷蔵への依存度の高さはデフォなんだけど
だからこそあえて、愛情以上の友情で雷蔵が好きな三郎と、友情以上の愛情で三郎を好きな雷蔵とかどうだろう、とか想像してみたりします。試行として。
どちらにせよすごく一方通行のにおいがします。片思いとか初恋とか、実際はどうであるにせよそういった言葉の持つ真摯で甘く切ない(…)味が似合う。
でもさばさばして双忍してる二人もよい。「信頼?当然」という。
原作の「何を考えている?」「お前と同じことだよ、三郎」の、ツーカーでそれが普通な二人ですよね。
久々知妄想はとどまることを知りません。
土井先生が好きだから余計に。
でも久々知は、男前な子故の、どっかすこんと足りないものを見たりもします。妄想ですが。
あっけらかんとしてるあたりが余計に。
原作で六年生の課題をこなして生還してきた久々知が忘れられません。優秀ってほんとうなんだ。
竹谷も男前だと思うけども、久々知のそれとは違う、どっちかっていうと七松寄りの男前だと思う。
どーんと俺の胸に飛び込んでこい!
そんな感じ。
際立って面倒見がよいとかいうのではないけれど、基本的に下級生と仲がよい竹谷(と雷蔵)。普通にしてるだけ。でも背伸びしてないし無駄な力入ってないから楽に話しかけられる、とか。
単体で考えた場合、
三郎っておいしい子。
雷蔵って普通の子。
雷蔵って、「面倒見が特別いいわけじゃない、断りきれないことが多い、結果的に許容しちゃって雷蔵もそれに慣れちゃう」が多い。
割合に性格も男らしい。大雑把とか。
どっかできいたんですが、雷蔵はパワータイプで三郎はスピードタイプらしいですね。
すごく納得した。
雷蔵は正攻法で三郎はからめ手、もすごく納得。
「感謝される」「好かれる」のは雷蔵で、「憧れられる」「恐れられる」のは三郎、も納得。
それでいくと、「親しまれる」「頼られる」が竹谷で、「近づきがたい」「慕われる」が久々知とか。
竹谷は土台がしっかりしてる。雷蔵は基礎的なものが身についてる。
久々知はやろうとおもえばこなせる器用。三郎は足りないものがあっても補える器用。
とか。
パワー:竹谷、パワー寄りのバランス:雷蔵、スピード寄りのバランス:久々知、スピードでテクニック:三郎
とか、とか。
きりがなくなってきた。
らくらんの二次で文章をたいして読んでないから語彙が少ない。