愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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がんばれ、落ち着くんだわたし。
何から書いていいかわからない。
とりあえず銀さんが出てるとこ全部でぶるぶる震えてた。
見所はたっくさんあるんだ…新八vs武市先輩とか神楽ちゃんvsまた子とか。高杉の「俺ぁそれが我慢ならねぇ」に滲む苦渋とか、「俺ァね連中と組んで後ろ盾を得られねーか苦心してたんだが」云々の伏せた顔に浮かんでたであろう表情とか顔あげたら笑ってたこととか。幼少のトリオとか。
でも言葉にならない…白夜叉がすごすぎた…ていうか似蔵…
窓締め切っててよかった。
あにめって恐ろしい。
また書ききます。
何から書いていいかわからない。
とりあえず銀さんが出てるとこ全部でぶるぶる震えてた。
見所はたっくさんあるんだ…新八vs武市先輩とか神楽ちゃんvsまた子とか。高杉の「俺ぁそれが我慢ならねぇ」に滲む苦渋とか、「俺ァね連中と組んで後ろ盾を得られねーか苦心してたんだが」云々の伏せた顔に浮かんでたであろう表情とか顔あげたら笑ってたこととか。幼少のトリオとか。
でも言葉にならない…白夜叉がすごすぎた…ていうか似蔵…
窓締め切っててよかった。
あにめって恐ろしい。
また書ききます。
おちついたきがする。箇条書きできないから思いついたじゅんで。
たぶん本編にまったく関係ない語りから入るので妄想ノーセンキュー!ていう方はまるっとスルーどうぞ。
高杉が桂や銀さんへ思いを残してるならそれは何だろうって思った(今更)
松陽先生が根幹にあるのは公式なのだけれども、「思い出は大切にするもんだねぇ」発言を考えて考えて(たぶんもとのところに戻ってきたよ)の結果、先生のことはきちんと過去の出来事として昇華してると思った。そのうえで許せないものがあるとしたら。それは。
自分自身。
であるのは疑いないんだが…そこからがどうにも難しい。
松陽先生がきっかけで戦争参加で。でも戦中にも理由はありますよね。鬼兵隊の壊滅。という名の事実上の裏切りによる犬死。
ひとつだけのことが理由にならない。憎悪だってなんだって。
かなり、ぎんたまとしての妄想を離れて、高杉さんを史実と負けず劣らずの豪儀な男として考えてます。最近の本誌もそうだけれども、そして空知が悪役としてだけの「高杉」を描かないと知ってるからというのもあるけれど、どうにもあのひとはわたしが思うよりも剛毅で理知的な気がする。
憎いのは誰だろう?としたら高杉さん自身で、憎いのは何だろう?としたら、ではそれこそなんだろうと。
なんとなく右翼を考えた。
世界が間違ってるのはわかるんだけど新しいものをつくるに得手でない自分を知ってるから、せめて壊すことで次の世代がそこに新たにただしいものを、今度こそつくればいい。俺はあとのことは知らない。興味もない。なので、「壊すだけ」。
てのを考えたんだが。
…別段、間違ってると断じることもないような。
あとは、ふじょし的な妄想がはいるのかもしれないんだけど。もうひとつ、高杉さんがどうしても仕方がないほどに憎むものがあるとしたら。それは。
銀さんなんじゃないかなぁ…
あのひとは救世主だから。ひとの手の届かないことに手が届くから。結局何もかんも抱えて、問いただしても笑って流すような人間だから。こころの問題でも、腕っ節の問題でも。
でも剣は結局のところ精神に即してると思うんだ。精神論じゃなくてね。
竹串一本でも闘志殺意のみなぎった人間と、真剣手にしたへっぴり腰じゃ、勝負がわからないように。
根性とか、スポ根のようなこというつもりじゃないです。ただ、剣は技術じゃないってこと。すべての芸術や技芸は小手先の技術じゃないように。
小手先の技術が前提ではあるのですが。その先のはなし。
スポーツ・武芸も技術や基礎っていう前提はあるのだけれど、ある一線を越えるとそういう問題じゃなくなってくる。身体能力の問題も勿論ある。けれども、センス。何かをとらえる能力、センス。
とらえるのは、こころで、です。感受性とか直感とか言い換えてもいい。
だから心持ちが重要になってくる。沖田や銀さん、或いは神楽ちゃんもはいるのかもしれないけれど、彼らのはその「一線」を越える、超えてしまった精神性があるんです。
更に言い換えると「その精神性を持ち合わせていたからこそ一線を越えた」、のかな?この場合、精神性と一線の関係は不可分です。どちらが先とか後とかは、卵と鶏の議論になる。
どうにも難しいな…言葉にすると逃げてく部類のはなしですからね。
ああ逸れた。で、何で高杉が憎むとしたら銀さんになるのかというと。
過去に決定的な過失があったとか、そういうわけじゃなくてもです。でも過失は少なくとも松陽先生についてはあったんだろうな。「この世界を最も憎んでいるはずの銀時」だもんな。それを差し置いても、銀さんはその精神性故に、そして関係性のなかでのスタンス、世界でのポジション的に、そういういちばん辛い役目を負うことを宿命づけられたひとです。しゅくめいて言葉はあまりすきではない気がしますが、うまいこといえなかったので。
銀さんは業が深いんです。どうやったって。
一昨日くらいにあるところでものすげぇ考察を伺ってははぁと恐れ入ったのですが、それを引用するわけにもいかないからまぁ置いといて。
銀さんは人間の領分を越えることをしてるってことがいいたかったんです。
こないだまでの本誌の「腐れ縁」発言もそうであるし。かなり遡るけれども「俺の国」発言は未だに尾を引いてるし。
だいたい、万事屋って。頼まれたら助けますよって。
一個人には抱えられないし抱えようとしないし、抱えてはいけないし。
そうしたものを、ぜんぶ抱えて、抱えたような顔をして、それでなお平然って。
でも去るって。
銀さんが抱えてるものはぜんぶ、銀さんに依存してないんです。明日彼が消えてもいいようになってる。この矛盾。
勿論、銀さんがいなくなることで損なわれるものだってあるんですよ。万事屋とか。でも巣立ちが早まったってだけなんです。お登勢さんだって結局変わらずやってくだろうし。真撰組だって。桂は今度こそ銀さんを探したりしないと思う。
つまり、その場所からいなくなることで銀さんというパーツは欠けるけれども、その喪失は勿論あるのだけれども。
それでまわらなくなるものってないんです。
ないんです。その証拠が、みんな銀さんがある日突然ふらりといなくなってもおかしくないって思ってるということ。
その想定。そこから導き出される覚悟。
だから、依存してるけれども依存してないんです。
そんな遣り方はやだなぁ。と思うのは、それが銀さん自身の幸せと何ら結びつかないからです。こないだユートピアと銘打った夜明けのラブレター(つまりいたい文章)でちょっと云いましたが、理想と幸福が沿わないんです。そんな不毛な。なんでそんなことに。
で、こうした遣り方、そして万事屋という方法論(これについてはテキストで更新したい)(リク終わってからね!)、抱えかた、そうしたものを総合して、銀さんってばほんともう…ということになるわけです。
たとえばですね。一昨日拝見した考察のほうでいうなら(というかわたしなりの捉えなおしに過ぎないんだけど)
銀さんを人間じゃないものとして、世界という物語の中の要素として考えた場合、
彼は救世主になるんです。完全無欠の。
人間臭く弱いところまでもがそれを引き立てる重要な要素となる。
で、これはそっちと比較したわたしの妄想を鑑みて気付いたことなんですが、
銀さんをあくまでも人間のただの男としてみると、
こんなに馬鹿で可哀相な人間も他にいないんです。
わたしはどうやら、銀さんを「人間」として見ているようです。或いは、人間離れしてるからこそ人間としてみてやりたいのか。
どっちにしろ引き立つのは異質さです。銀さんはあのイレギュラーなぎんたまという作品のなかでも異質で、イレギュラーなのは周知の事実ですが、それでも認識してる以上に異質なんです。
キャラクターとして主人公じゃないとか。大人になってしまってるとか。それも言葉以上の意味を持ちます。
だって悩んだり苦しんだりしないのですもの。答えが最初から出てる。大人というより、精神構造が完成されてる。それはもう完全に神の位置です。
登場人物と同じラインに立ってない。立ってないのに、あえて同じ目線にあわせてみせる。何気なく。
そこがまたすごいとこだよなぁと。銀さんがすごいのもあるし、そんなのを主役の位置に据えた空知が。(空知は最初っから考えてそれをしたわけではないのだろうけれども、今現在までその銀さんというものを崩さずに、一貫してきた方法論があるからその継続と魅せ方がすごいと思う)
ここまで語ると銀さんのすごさ、というか異質さ、というかなんかもうどうしようもないところ、というのがちょこっとわかるのですが。
こんなひとが身近にいたら、そりゃ憎むだろうなと思いませんか。
ヒーローとして愛するのは勿論です。だって紛うことなきヒーローですもの。
救世主として無理解の視線をあてることだって然りです。
でもね、生身の男として知り合って、そうして育ってきた高杉さんだったら、自分に手が届かないものに手が届く銀さんのこと、ヒーローとして救世主として人間として、友人として、憎んだりもするだろうなって。
理解できないから憎むんです。理解できるから憎むんです。
たとえるなら、銀さんは敗北じゃなく絶対的な勝利によってまけるんです。
常に最高のタイミングで一番効果的な言動ができる、その場を用意されてるような人間がいたら。
人間だと思ったならひどい絶望だろうし(何故ってかれ以外の人間は引き立て役にしかならないわけで)、諦めの吐息しか漏らせない。
救世主、かみさま、ヒーロー、なんでもいいけど、そういうものだと思ったほうがよっぽどすわりがいい。
だからね、もし幼馴染でともだちで、腐れ縁だったら、他のあらゆる感情と同じように憎みもするだろうなって。
かみさまはそれだけで憎むに値するんです。ましてや人間のかたちでそこにいたら。
で、立ち戻って、高杉さんが憎んでるものがもしあるとしたら公式では世界で妄想では銀さんです。たぶん。
そこを踏まえると高杉さんが桂や銀さんにすがってる部分てないよなぁと。求めてるもの、は…いやそれもないか。救いじゃないな。許しでもない。慰めでもないし共感でもないような。
中学校のときの同級生を思った。仲がいいやつもいたし犬猿の仲のやつもいた。面白いやつもいたし凡庸なやつもいた。見所があるやつもいたしどうでもいいやつもいた。今どうしてるかはわからない。知ることはできるだろうけれど。無理に知ろうとも思わない。でも元気でいればいいや、その程度の。
攘夷派ってそういうものかな、と思った。中学とか高校の同級生。今はもうどうしてるかわからない感じの。でもたまに噂をどっかから聞く感じの。
わたしは攘夷派すきだすきだ云ってるわりに、妄想がいやに厳しいな。
真撰組もだいすきだーて云ってるくせに、家族じゃなくて組織であってほしいあたり、厳しいな。
万事屋はばらばらになって然りだと思ってるのも厳しいな。銀さんあいしてるわりには、認識に容赦がないな。
環境どころかもえにも優しくない妄想だよ。でもこういうものだと思うんだ…情けも容赦もない、厳しい妄想でも、かぎりなくただしいものであるならそれでいいと思うんだ…(おのれの妄想より現実を優先したのか)
書きたいことはまだつれづれあるのだけれど、ちょっと満足したのでこれにて。また明日!
たぶん本編にまったく関係ない語りから入るので妄想ノーセンキュー!ていう方はまるっとスルーどうぞ。
高杉が桂や銀さんへ思いを残してるならそれは何だろうって思った(今更)
松陽先生が根幹にあるのは公式なのだけれども、「思い出は大切にするもんだねぇ」発言を考えて考えて(たぶんもとのところに戻ってきたよ)の結果、先生のことはきちんと過去の出来事として昇華してると思った。そのうえで許せないものがあるとしたら。それは。
自分自身。
であるのは疑いないんだが…そこからがどうにも難しい。
松陽先生がきっかけで戦争参加で。でも戦中にも理由はありますよね。鬼兵隊の壊滅。という名の事実上の裏切りによる犬死。
ひとつだけのことが理由にならない。憎悪だってなんだって。
かなり、ぎんたまとしての妄想を離れて、高杉さんを史実と負けず劣らずの豪儀な男として考えてます。最近の本誌もそうだけれども、そして空知が悪役としてだけの「高杉」を描かないと知ってるからというのもあるけれど、どうにもあのひとはわたしが思うよりも剛毅で理知的な気がする。
憎いのは誰だろう?としたら高杉さん自身で、憎いのは何だろう?としたら、ではそれこそなんだろうと。
なんとなく右翼を考えた。
世界が間違ってるのはわかるんだけど新しいものをつくるに得手でない自分を知ってるから、せめて壊すことで次の世代がそこに新たにただしいものを、今度こそつくればいい。俺はあとのことは知らない。興味もない。なので、「壊すだけ」。
てのを考えたんだが。
…別段、間違ってると断じることもないような。
あとは、ふじょし的な妄想がはいるのかもしれないんだけど。もうひとつ、高杉さんがどうしても仕方がないほどに憎むものがあるとしたら。それは。
銀さんなんじゃないかなぁ…
あのひとは救世主だから。ひとの手の届かないことに手が届くから。結局何もかんも抱えて、問いただしても笑って流すような人間だから。こころの問題でも、腕っ節の問題でも。
でも剣は結局のところ精神に即してると思うんだ。精神論じゃなくてね。
竹串一本でも闘志殺意のみなぎった人間と、真剣手にしたへっぴり腰じゃ、勝負がわからないように。
根性とか、スポ根のようなこというつもりじゃないです。ただ、剣は技術じゃないってこと。すべての芸術や技芸は小手先の技術じゃないように。
小手先の技術が前提ではあるのですが。その先のはなし。
スポーツ・武芸も技術や基礎っていう前提はあるのだけれど、ある一線を越えるとそういう問題じゃなくなってくる。身体能力の問題も勿論ある。けれども、センス。何かをとらえる能力、センス。
とらえるのは、こころで、です。感受性とか直感とか言い換えてもいい。
だから心持ちが重要になってくる。沖田や銀さん、或いは神楽ちゃんもはいるのかもしれないけれど、彼らのはその「一線」を越える、超えてしまった精神性があるんです。
更に言い換えると「その精神性を持ち合わせていたからこそ一線を越えた」、のかな?この場合、精神性と一線の関係は不可分です。どちらが先とか後とかは、卵と鶏の議論になる。
どうにも難しいな…言葉にすると逃げてく部類のはなしですからね。
ああ逸れた。で、何で高杉が憎むとしたら銀さんになるのかというと。
過去に決定的な過失があったとか、そういうわけじゃなくてもです。でも過失は少なくとも松陽先生についてはあったんだろうな。「この世界を最も憎んでいるはずの銀時」だもんな。それを差し置いても、銀さんはその精神性故に、そして関係性のなかでのスタンス、世界でのポジション的に、そういういちばん辛い役目を負うことを宿命づけられたひとです。しゅくめいて言葉はあまりすきではない気がしますが、うまいこといえなかったので。
銀さんは業が深いんです。どうやったって。
一昨日くらいにあるところでものすげぇ考察を伺ってははぁと恐れ入ったのですが、それを引用するわけにもいかないからまぁ置いといて。
銀さんは人間の領分を越えることをしてるってことがいいたかったんです。
こないだまでの本誌の「腐れ縁」発言もそうであるし。かなり遡るけれども「俺の国」発言は未だに尾を引いてるし。
だいたい、万事屋って。頼まれたら助けますよって。
一個人には抱えられないし抱えようとしないし、抱えてはいけないし。
そうしたものを、ぜんぶ抱えて、抱えたような顔をして、それでなお平然って。
でも去るって。
銀さんが抱えてるものはぜんぶ、銀さんに依存してないんです。明日彼が消えてもいいようになってる。この矛盾。
勿論、銀さんがいなくなることで損なわれるものだってあるんですよ。万事屋とか。でも巣立ちが早まったってだけなんです。お登勢さんだって結局変わらずやってくだろうし。真撰組だって。桂は今度こそ銀さんを探したりしないと思う。
つまり、その場所からいなくなることで銀さんというパーツは欠けるけれども、その喪失は勿論あるのだけれども。
それでまわらなくなるものってないんです。
ないんです。その証拠が、みんな銀さんがある日突然ふらりといなくなってもおかしくないって思ってるということ。
その想定。そこから導き出される覚悟。
だから、依存してるけれども依存してないんです。
そんな遣り方はやだなぁ。と思うのは、それが銀さん自身の幸せと何ら結びつかないからです。こないだユートピアと銘打った夜明けのラブレター(つまりいたい文章)でちょっと云いましたが、理想と幸福が沿わないんです。そんな不毛な。なんでそんなことに。
で、こうした遣り方、そして万事屋という方法論(これについてはテキストで更新したい)(リク終わってからね!)、抱えかた、そうしたものを総合して、銀さんってばほんともう…ということになるわけです。
たとえばですね。一昨日拝見した考察のほうでいうなら(というかわたしなりの捉えなおしに過ぎないんだけど)
銀さんを人間じゃないものとして、世界という物語の中の要素として考えた場合、
彼は救世主になるんです。完全無欠の。
人間臭く弱いところまでもがそれを引き立てる重要な要素となる。
で、これはそっちと比較したわたしの妄想を鑑みて気付いたことなんですが、
銀さんをあくまでも人間のただの男としてみると、
こんなに馬鹿で可哀相な人間も他にいないんです。
わたしはどうやら、銀さんを「人間」として見ているようです。或いは、人間離れしてるからこそ人間としてみてやりたいのか。
どっちにしろ引き立つのは異質さです。銀さんはあのイレギュラーなぎんたまという作品のなかでも異質で、イレギュラーなのは周知の事実ですが、それでも認識してる以上に異質なんです。
キャラクターとして主人公じゃないとか。大人になってしまってるとか。それも言葉以上の意味を持ちます。
だって悩んだり苦しんだりしないのですもの。答えが最初から出てる。大人というより、精神構造が完成されてる。それはもう完全に神の位置です。
登場人物と同じラインに立ってない。立ってないのに、あえて同じ目線にあわせてみせる。何気なく。
そこがまたすごいとこだよなぁと。銀さんがすごいのもあるし、そんなのを主役の位置に据えた空知が。(空知は最初っから考えてそれをしたわけではないのだろうけれども、今現在までその銀さんというものを崩さずに、一貫してきた方法論があるからその継続と魅せ方がすごいと思う)
ここまで語ると銀さんのすごさ、というか異質さ、というかなんかもうどうしようもないところ、というのがちょこっとわかるのですが。
こんなひとが身近にいたら、そりゃ憎むだろうなと思いませんか。
ヒーローとして愛するのは勿論です。だって紛うことなきヒーローですもの。
救世主として無理解の視線をあてることだって然りです。
でもね、生身の男として知り合って、そうして育ってきた高杉さんだったら、自分に手が届かないものに手が届く銀さんのこと、ヒーローとして救世主として人間として、友人として、憎んだりもするだろうなって。
理解できないから憎むんです。理解できるから憎むんです。
たとえるなら、銀さんは敗北じゃなく絶対的な勝利によってまけるんです。
常に最高のタイミングで一番効果的な言動ができる、その場を用意されてるような人間がいたら。
人間だと思ったならひどい絶望だろうし(何故ってかれ以外の人間は引き立て役にしかならないわけで)、諦めの吐息しか漏らせない。
救世主、かみさま、ヒーロー、なんでもいいけど、そういうものだと思ったほうがよっぽどすわりがいい。
だからね、もし幼馴染でともだちで、腐れ縁だったら、他のあらゆる感情と同じように憎みもするだろうなって。
かみさまはそれだけで憎むに値するんです。ましてや人間のかたちでそこにいたら。
で、立ち戻って、高杉さんが憎んでるものがもしあるとしたら公式では世界で妄想では銀さんです。たぶん。
そこを踏まえると高杉さんが桂や銀さんにすがってる部分てないよなぁと。求めてるもの、は…いやそれもないか。救いじゃないな。許しでもない。慰めでもないし共感でもないような。
中学校のときの同級生を思った。仲がいいやつもいたし犬猿の仲のやつもいた。面白いやつもいたし凡庸なやつもいた。見所があるやつもいたしどうでもいいやつもいた。今どうしてるかはわからない。知ることはできるだろうけれど。無理に知ろうとも思わない。でも元気でいればいいや、その程度の。
攘夷派ってそういうものかな、と思った。中学とか高校の同級生。今はもうどうしてるかわからない感じの。でもたまに噂をどっかから聞く感じの。
わたしは攘夷派すきだすきだ云ってるわりに、妄想がいやに厳しいな。
真撰組もだいすきだーて云ってるくせに、家族じゃなくて組織であってほしいあたり、厳しいな。
万事屋はばらばらになって然りだと思ってるのも厳しいな。銀さんあいしてるわりには、認識に容赦がないな。
環境どころかもえにも優しくない妄想だよ。でもこういうものだと思うんだ…情けも容赦もない、厳しい妄想でも、かぎりなくただしいものであるならそれでいいと思うんだ…(おのれの妄想より現実を優先したのか)
書きたいことはまだつれづれあるのだけれど、ちょっと満足したのでこれにて。また明日!
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