愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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一日に何回雑記書く気。とつっこみたい。
19巻の感想。動乱編!
おじゃんぷ感想として吐き出してたのの取りこぼしてた分を語ります。
何を取りこぼしてたかって?
銀さんです。
あんだけ要所要所で語っておいて、あれでもまだ抑えてた。
敢えて語らんとこうとしてたんです…きりがないから。自分で甚だしく「うぜえ」とつっこんだから。
もうネタバレしてもいいだろう。というのと、冷却期間置いたんだからリアルタイム時ほど激しくならないだろうと思いまして。
土方とか鴨とか真撰組とか万斉とか土方とか鴨とか沖田とか近藤さんとか土方とかトッシーとか近藤さんとか近藤さんとか(アレ?)について語りたいんだが、
万斉絡むと高杉の思惑につながり、かつ桂高杉銀さんについて考える羽目になり、
鴨や土方や近藤さんや沖田や、真撰組や山崎のはなしをするとマジできりがないので今日は保留。
各所で取り沙汰されてる、「俺の護りてぇもんは昔っからなにひとつ変わっちゃいねぇ」、ですが。
つまり、何なんでしょうね?
ずばり、彼のルールだと思います。そんなアホな。
「俺の国」
「俺の武士道(ルール)」
それらに象徴されるところのもの。
戦中の銀さんは何を護りそこなったんだろう。
戦争に参加するに至った経験、松陽先生のことは果たして護りそこなったものなのかどうか。
銀さんは何を護れるつもりでいたんだろうか。
前に、「攘夷派は『腐れ縁』の中には入ってるけれども『俺の国』には入っていない」という話をしたんですが。
それをふまえて。
銀さんは攘夷派のみなさんを護るものとは思ってない。何故ならいわゆる戦友だから。乱戦のなかで自分以外のこと考えてられないし、だったら戦友は護る対象なんかにゃならないだろう。
銀さんが真剣に生きていたのなら、護れると十代特有の理由なき自信と青臭さで信じていたのなら、きっと戦争で彼はぜんぶ失くしたんです。
芯が折れた。信じてたものを失くした。それは彼自身のいわれなき、若さ故の万能感であって、けっしてすべてがほんとうではないんだけれど、それを失くした。
完全に信じていたわけでなく、信じていたかった、或いは、信じたかったものかもしれませんが。
何かを変えられると信じたかった。
わたしはこの見かたも大推奨です。何故なら、もしそうならば彼はここで完全な敗北を喫する。
銀さんが文学であるためには敗者であるのが然りです。ので、彼が敗者であったなら、彼を文学と語っていいことになります。
歴史は勝者のもの。文学は敗者のもの。
銀さんは敗者なんです。対比するものは他でもない真撰組。彼らは勝者。
真撰組はどんなかたちであれ存続してって、最後に侍を残すものとしてちゃんと歴史になるんです。
たぶんそれがあるべきかたち。
でもちょっとひねた見かたをしますね。
銀さんがそこで真剣に生きていた、という以上に、彼が傍観者のポーズをとるひとだということをより踏まえて。
銀さんの意識が劇的に変わった瞬間というのは、終戦や目の前の戦の敗北じゃないんでしょう。
むしろその瞬間のことを銀さんは常々想像していて、敗北の瞬間には「あー」と思うだけなんじゃないか。負けた状況によるかな。
でも思い知るのは後になってからなんじゃないかと何となく思ってます。
なので、銀さんが「失くした」というのなら、それは過渡期ではないかと。
色んなものが目まぐるしく変わってく。新しい文化が、価値観が、ひとが物が否応なしにはいってくる。それに馴れるしかない。反抗した結果が敗北であると思ってる気がする。
過渡期に銀さんは、みなが自分を通り過ぎてく感覚を得たんじゃないかな。それが今の彼につながってるんじゃないかな。だから自分はここでみんなを見送ってくんだと思ってるんじゃないか。それをどっかでかぎつけたのが「いずれ去るひと」とみんなが思ってるあたりなんじゃないか。
去るのは銀さんじゃなくて実はみんなのほうなんじゃないか。
銀さんのあの斜に構えたポーズが、終戦から十年かそこらで獲得されたもんだとは思えない。勿論戦争がいちばんでかいしあれは彼の処世術で、そこで培ったんだと思ってはいるんだけれど。いるけれども。
もともとの彼の性質に、戦争による喪失と敗北で、そしておもに過渡期から今に培ったのがあの斜に構えるポーズで処世術で分相応な遣りかたで。
何かを自分の手で護れる・変えられると信じるほど銀さんは素直じゃない気もしてるんです。信じたいと思って動くような、そういう遣りかたをとらないんじゃないかとも。
彼の遣りかた。これもまた一晩考え尽くしたいもののひとつ。
少なくとも一度は間違えたんじゃないかと思います。それが二つ名。白夜叉。
間違い、というよりは痛恨のミス。の部類。
しまったやっちまった、という。
これ以上は「後悔してるか」という実にむずかっしい問いにいくんでここでやめといて。
銀さんが真剣に生きてたのなら戦争や終戦で何もかも失くしてて完全敗北してて完璧な喪失を経験してることになって。
もうちょいひねた見かたをして銀さんが戦争の帰結も終戦後のことも薄々わかってて、失くしたとするならその後のすさまじい過渡期の中で、傷付いたとするなら「想定はできてても結局実感としては何もわかってなかった自分」とそこで初めて至る「失ったもの」のすべてで。
どっちだったとしても、あの遣りかた・ポーズは今の彼だからこそで。
で、「護るもの」ってなんでしょうね。
ここで戻ってきちゃうんですよ!つまり、彼は何を護りたかったのか。
果たして護りそこねたのか?それともずっと護ってきたものなのか?
むずかしい…どれともとれる…むずかしい…
今のところはやっぱり「俺の国」で「腐れ縁」で「俺の武士道(ルール)」でいい気がします。よう考えんでも、これ以上に確信的で核心的なことばはない。
あー…
「護りたかったもの」についてしか話してないのにこの長さとウザさは一体なんだ。
ほんと手短に語るということができませんね…
銀さんについてしゃべってるのがほんとしあわせそうで自分どうにかなれと思ったり。もうどうにかなってる?ああほんとだ(上の文を読み返して)
また機会もうけてやってきますよ(ぼそり)
とりあえず祭りの文章をどうにかしよう。あとリク。いつまでお待たせする気だ。
19巻の感想。動乱編!
おじゃんぷ感想として吐き出してたのの取りこぼしてた分を語ります。
何を取りこぼしてたかって?
銀さんです。
あんだけ要所要所で語っておいて、あれでもまだ抑えてた。
敢えて語らんとこうとしてたんです…きりがないから。自分で甚だしく「うぜえ」とつっこんだから。
もうネタバレしてもいいだろう。というのと、冷却期間置いたんだからリアルタイム時ほど激しくならないだろうと思いまして。
土方とか鴨とか真撰組とか万斉とか土方とか鴨とか沖田とか近藤さんとか土方とかトッシーとか近藤さんとか近藤さんとか(アレ?)について語りたいんだが、
万斉絡むと高杉の思惑につながり、かつ桂高杉銀さんについて考える羽目になり、
鴨や土方や近藤さんや沖田や、真撰組や山崎のはなしをするとマジできりがないので今日は保留。
各所で取り沙汰されてる、「俺の護りてぇもんは昔っからなにひとつ変わっちゃいねぇ」、ですが。
つまり、何なんでしょうね?
ずばり、彼のルールだと思います。そんなアホな。
「俺の国」
「俺の武士道(ルール)」
それらに象徴されるところのもの。
戦中の銀さんは何を護りそこなったんだろう。
戦争に参加するに至った経験、松陽先生のことは果たして護りそこなったものなのかどうか。
銀さんは何を護れるつもりでいたんだろうか。
前に、「攘夷派は『腐れ縁』の中には入ってるけれども『俺の国』には入っていない」という話をしたんですが。
それをふまえて。
銀さんは攘夷派のみなさんを護るものとは思ってない。何故ならいわゆる戦友だから。乱戦のなかで自分以外のこと考えてられないし、だったら戦友は護る対象なんかにゃならないだろう。
銀さんが真剣に生きていたのなら、護れると十代特有の理由なき自信と青臭さで信じていたのなら、きっと戦争で彼はぜんぶ失くしたんです。
芯が折れた。信じてたものを失くした。それは彼自身のいわれなき、若さ故の万能感であって、けっしてすべてがほんとうではないんだけれど、それを失くした。
完全に信じていたわけでなく、信じていたかった、或いは、信じたかったものかもしれませんが。
何かを変えられると信じたかった。
わたしはこの見かたも大推奨です。何故なら、もしそうならば彼はここで完全な敗北を喫する。
銀さんが文学であるためには敗者であるのが然りです。ので、彼が敗者であったなら、彼を文学と語っていいことになります。
歴史は勝者のもの。文学は敗者のもの。
銀さんは敗者なんです。対比するものは他でもない真撰組。彼らは勝者。
真撰組はどんなかたちであれ存続してって、最後に侍を残すものとしてちゃんと歴史になるんです。
たぶんそれがあるべきかたち。
でもちょっとひねた見かたをしますね。
銀さんがそこで真剣に生きていた、という以上に、彼が傍観者のポーズをとるひとだということをより踏まえて。
銀さんの意識が劇的に変わった瞬間というのは、終戦や目の前の戦の敗北じゃないんでしょう。
むしろその瞬間のことを銀さんは常々想像していて、敗北の瞬間には「あー」と思うだけなんじゃないか。負けた状況によるかな。
でも思い知るのは後になってからなんじゃないかと何となく思ってます。
なので、銀さんが「失くした」というのなら、それは過渡期ではないかと。
色んなものが目まぐるしく変わってく。新しい文化が、価値観が、ひとが物が否応なしにはいってくる。それに馴れるしかない。反抗した結果が敗北であると思ってる気がする。
過渡期に銀さんは、みなが自分を通り過ぎてく感覚を得たんじゃないかな。それが今の彼につながってるんじゃないかな。だから自分はここでみんなを見送ってくんだと思ってるんじゃないか。それをどっかでかぎつけたのが「いずれ去るひと」とみんなが思ってるあたりなんじゃないか。
去るのは銀さんじゃなくて実はみんなのほうなんじゃないか。
銀さんのあの斜に構えたポーズが、終戦から十年かそこらで獲得されたもんだとは思えない。勿論戦争がいちばんでかいしあれは彼の処世術で、そこで培ったんだと思ってはいるんだけれど。いるけれども。
もともとの彼の性質に、戦争による喪失と敗北で、そしておもに過渡期から今に培ったのがあの斜に構えるポーズで処世術で分相応な遣りかたで。
何かを自分の手で護れる・変えられると信じるほど銀さんは素直じゃない気もしてるんです。信じたいと思って動くような、そういう遣りかたをとらないんじゃないかとも。
彼の遣りかた。これもまた一晩考え尽くしたいもののひとつ。
少なくとも一度は間違えたんじゃないかと思います。それが二つ名。白夜叉。
間違い、というよりは痛恨のミス。の部類。
しまったやっちまった、という。
これ以上は「後悔してるか」という実にむずかっしい問いにいくんでここでやめといて。
銀さんが真剣に生きてたのなら戦争や終戦で何もかも失くしてて完全敗北してて完璧な喪失を経験してることになって。
もうちょいひねた見かたをして銀さんが戦争の帰結も終戦後のことも薄々わかってて、失くしたとするならその後のすさまじい過渡期の中で、傷付いたとするなら「想定はできてても結局実感としては何もわかってなかった自分」とそこで初めて至る「失ったもの」のすべてで。
どっちだったとしても、あの遣りかた・ポーズは今の彼だからこそで。
で、「護るもの」ってなんでしょうね。
ここで戻ってきちゃうんですよ!つまり、彼は何を護りたかったのか。
果たして護りそこねたのか?それともずっと護ってきたものなのか?
むずかしい…どれともとれる…むずかしい…
今のところはやっぱり「俺の国」で「腐れ縁」で「俺の武士道(ルール)」でいい気がします。よう考えんでも、これ以上に確信的で核心的なことばはない。
あー…
「護りたかったもの」についてしか話してないのにこの長さとウザさは一体なんだ。
ほんと手短に語るということができませんね…
銀さんについてしゃべってるのがほんとしあわせそうで自分どうにかなれと思ったり。もうどうにかなってる?ああほんとだ(上の文を読み返して)
また機会もうけてやってきますよ(ぼそり)
とりあえず祭りの文章をどうにかしよう。あとリク。いつまでお待たせする気だ。
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