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愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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薬を飲んでうなってたら頭痛が雲散霧消しました。不思議!(じゃねぇよ)

なおっておおふり見てたらなんかむらむらきた(注意:不謹慎な意味でなくて!)

たぶんそのうちおおふりも語りくると思います。新たにサイトをつくらないために笑
ハルヒのあにめではまったので、最近は本屋をはしごして既刊を読み直すところからはじめてます。あにめの印象を持って読み直すとより楽しい。

そのうちなんか小話のっけにきたら笑ってやってください。

たぶんの傾向。
ハルヒ→SOS団オールキャラ
おおふり→西浦中心オールキャラ

またてめぇオールキャラか。ほんと懲りない。
わたしだって禁がつくようなもの書いてみたいんだ…何故かかなわない理想なんだけど。
書きたいものは沢山あるのに、それを自分の理想のラインに置くと、とたんにオールキャラに化けてしまう。
どうにかならんかこれ。

ええっとなんとなくではあるものの、わたしの好きキャラは共感によって成り立ってる部分が多いみたいです。
自分と違うから好きになるんじゃなくて、憧れじゃなくて理想じゃなくて、「共感」。
一個でも「あ、わかる」「知ってる」と思う部分・心情がないと入り込めないみたい。

ぎんたまでは銀さんです。「どこがわかるの」とか「どうして」とか訊かないでね、自分でも閉口してるので。
というか一度おしゃべりしただけの某旻氏にそう看破されたので。
「銀さんの目線で銀魂世界にいる」、とか…
まじ過分なお言葉だ…。自分でも薄々気付いてた恐ろしいこととはいえ。

ハルヒでは、ハルヒとキョンと長門。
SOS団「が」、好きなんですが。特に誰といったら上記の三人。すきだ。
たぶんポジションとして鶴屋さん(部外者)なんでしょうが。
高校んときは長門みたく本しか読んでなかったなぁ笑

おおふりでは、三橋と阿部と田島。
ていうかここ抑えといたらあともうだいじょぶなんじゃないの、て感じのメンバーだな。
アウトプットが左脳なので、阿部くんの考え方は非常にすき。経験不足なところも発展途上でいい。ああいう男の子もすき。いや、ほんと男の子だなぁ阿部は。

田島さまは、うん。なんていうか、投手としての三橋にかぶる理由がある。
修羅だから。マウンドの投手とバッターボックスの四番は。あれらは絵描きやピアニストと一緒。「男」であるよりも「人間」であるよりも「田島悠一郎」であるよりも、それ以前に「バッター」であることを選んでるから。
その意味がわかってしまうかなってあたりが共感。

三橋は、あー、わたしの中学時代が三橋の中学時代とちょいとかぶってるからってのもありますな。
同学年の部長に嫌われてた。わたしは三橋みたく実力があったんじゃなくて、実際にドベだったんだけど笑

何故嫌われたかわからないくらい毛虫の如く忌まれていたなぁ。先輩が同学年の部長より、わたしみたいな出来の悪いのかわいがるから、そこのところを恨まれたのも勿論あった気がするけれど。
部活に行くのが苦痛でしょうがなかった。運動はつくづく自分に向かないなぁと思った。でも屋外の部活は好きで広いコートも好きで青空も好きで、そこから見える工場群の煙突も好きだった。だから休まなかった。下手だからという理由で後輩の練習を見させてもらったこともないけれども、たまたま小学校のときの知り合いが後輩のなかにいておしゃべりをすることもたまにあった。
団体競技じゃなかったんです。そうだったらもうちょっとましだったかもしれないけど。

同学年の部長に嫌われると、まじで部活に居場所がないですよ!気にしなかったけど(笑 部活では表立って仲良くはできないけど、仲いいやつだっていたし。コートに面した教室で美術部が部活やってて、わたしはハブられてるのいいことにそっち行って軽くおしゃべりしたりもできた。さみしかったけど楽しいこともあったのは嘘じゃない。

それでもやめなかったり行かなくならなかったりしなかったのは、わたしが臆病だったからです。部活やめると内申に響く。本ばっか読んで勉強しなかったので成績も常にあぶなかったし笑
コーチは椎間板ヘルニアかなんかでずっといなかった。おかげで居づらい居づらい。先輩がいなくなると余計に。

三年になって、同年代部長と仲がいい副部長と、部内で二番目にうまい子とクラスが一緒になった。別に部活のことは気にするようなことでもなし、話にもでなかったんですがあるとき副部長の子が
「あの子を嫌わないでやってね。悪い子じゃないから」
っていったので、あっけにとられた挙句大笑いしてしまいました。

いやンなことわかってるって!誰も悪かねーよ。勿論わたしだって悪くねーし。いやみんな悪いとこはあったんだよ。でも三年の夏で部活は終わったんだからもう時効だよ。ていうか君が謝る必要なんかない。

結局そのはなしを蒸し返すことはなく卒業したんですが。ええっと、わたしのはなしはいいんだ。
つまりですね、三橋の厄介なとこの話をすると。

三橋は、三星時代=嫌な思い出、じゃないんですよ。
三星のみんな=嫌なやつら、じゃないように。
つらかった・かなしかったのと、三星のチームメイトの行いが、乖離してるんです。
わたしの例でいくと、「部活がさみしかったこと」と「同学年部長」がイコールでつながってないのと同じ。
ええとイコールでつながった場合どうなるかというと、さみしさの責任がそこにいくわけですね。つまり誰かのせいにできる。
三橋はそれをしないんじゃないかな。ていうか、ナチュラルにしてないんじゃないかな。
これは、三星がイコールでトラウマになってるよりも厄介な事態なんですよ。

だって、三星時代とそのチームメイト=トラウマだったなら、彼らと和解したらトラウマは薄れるんです。
でも三橋は、ぜんぶがぜんぶ、乖離してる。三星と、つらさと、三星のチームメイトと。
三橋のつらさは彼自身が「不甲斐ない投手だ」という自覚を持つことに因ってるので、不甲斐ない投手→勝てない→申し訳ない、なんです。
投げて打たれたら、それは投手が投げ負けてるから。そこは投手として言い訳のきかない部分。だからこそ三橋は自分の身についてる努力や技術に誇りを持てない。その努力は「敗北」でぜんぶ否定されてきたし、技術は「遅い球」という事実に勝てないと思ってるから。

つくづく難儀なんですよね…もっと安直にトラウマにしてしまえばよかったのに。そのほうが乗り越えるのも楽だった。
捕手である阿部くんがここのところをある程度汲んでて、そのうえで「投手として」の三橋に自信と自覚を持たせようとするにしても、きっと一筋縄じゃいかねーだろーな…と思います。

三橋はいいこだなぁ。素直とか純粋とかじゃなく、敢えて「ただしい」という言葉をつかいたい。
「ただしい」を曲げないためには自分がどっかで苦しい思いをすることになる。それなのに、ただしい想いを持ち続けてきたことを、とっても誇りに思う。

阿部もそう。ちょっと屈折のにおいもするけど、ここぞというときに「ただしい」言葉を三橋にかけてやれる。やつは「今、ここ」という瞬間に間違わない。
それ以外のとこではまだ修行の余地がありまくるんだけど、ご愛嬌だ。

田島さまはすべてにおいて間違わない。ちゃんと「ただしさ」がどこにあるのか知ってる。知ってるから間違わない。間違う余地がない。
我らがヒーロー!ていいたい気持ちわかる。


ああ、なんかとってもおおふり語り。
カテゴリで困るよ…


とりあえず「おお振り」カテゴリでゆくよ。ぎんたま語りのテイストとハルヒについての言及もあるんだけどね!
ちょうはなしずれた感満載だぜ。
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