愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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レポ書くやつの現実逃避でまたやってきたよ!先週のあにぎん(幾松さん)をやっと昨日見たよ!そして今日のあにぎんは見れなかったよ!(…卒アルに載せるサークル写真の撮りの日だったんだよ…)
同じサークルの子にビデオ頼みましたが。いつ見れるんだろ。このアパートに備え付けのテレビはビデオデッキもなんもないから、誰かん家行って見せてもらわんば。
テスト終わるとすぐに本州に戻って、関東で家探しせなきゃあかんのです。ビデオ録った子まで帰ってしまう。
嘘のようなシリアス予告をかましてくれたえいりあん編早く見たい。
同じサークルの子にビデオ頼みましたが。いつ見れるんだろ。このアパートに備え付けのテレビはビデオデッキもなんもないから、誰かん家行って見せてもらわんば。
テスト終わるとすぐに本州に戻って、関東で家探しせなきゃあかんのです。ビデオ録った子まで帰ってしまう。
嘘のようなシリアス予告をかましてくれたえいりあん編早く見たい。
あのね、最早これ、カプ語りじゃない。
そんなのが言い訳にも冗談にもならんくらい脱線してます。や、そもそもの本線はどこだっけな。
例2:高杉と桂と銀さん
松陽先生が根底に、銀さんが視界内にいる間柄ぽいです。幼馴染だといいなとは、紅桜編の前から思ってたんですが。でもこれは史実の影響もありますね。
高杉は松陽先生のことを忘れられてないんだろうなと思いますねん。ここからはわたしの妄想なんですが。
高杉はぼっちゃんで、育ちいいから基本的にまじめで誠実。ぼっちゃん故に先生にも最初は反発してるんだけどいつのまにか(何かきっかけがあってもいいのだけれど)先生のことを認めて尊敬するようになってて、でも高杉はまじめ故の極端(笑)で「せんせいだいすきー」になったものの、先生が気にかけてる銀さんが気に食わなくてつっかかってそんなことしてるうちに戦争の激化でもなんでも先生を亡くして、松陽先生のことが大きな傷として残ってるといい。
銀さんは最初からみなしごとして松陽先生に養われてるのでもいいし、そうでなくて十歳前後で先生に拾われて途中参入してもいい。それなら余計に高杉は「おれが先だったのに」とか、不毛で馬鹿馬鹿しくてあたりまえのことを思うのにね。
全然関係ないんですが、わたしこの台詞いわれたことありますねん。「わたしのほうが先に好きになったんだからね」! いじらしくて思わず苦笑しちゃいました。なんつーかこう…甘酸っぱいね!
閑話休題。
えーと高杉ですが。松陽先生のことは取り返せない最初の損失であるとよいです。後の戦争参加とかの起因になるような。で、戦と鬼兵隊壊滅が最後の打撃であるとよい。そして傷を抱えるに至るのが左目の喪失であるとなおよい。
えーとこれを前提にして、こっから高桂語り。
昔から嫌いだ発言を踏襲して、カプとして成り立っててもぜんぜん仲悪くてよいです。むしろ反発しあう関係であるとよい。桂はまじめの裏返しでとんがってる高杉のこと放っとけないでいつも声かけるし、高杉は誠実なとこだけ桂と共有してるけどだからこそまじこいつうざいわと思ってうんざりしてるとよい。うんざりしてるにも関わらず、共有してるところ故に反発しながらも憧れてもいるとよい。
高杉は誠実であることに背を向けたひとなんだと思うのだけれどなぁ。その時点での目的のためにでも、手段としてでも、一向に構わないんですが。でも一途なとこは変わってない。かたちを変えても続いていくものはあるということです。
けれどかたちを変えたことによって失われたものもあって、だから高杉は今も愚直にまっすぐな桂のことが鼻につくけど羨ましい。桂はそんなに複雑なかたちでは高杉のこと考えてない、そんな誠実の一側面で、幼馴染を気にかける。すれ違いってどこにでもあるもんですけれど、思うディテールも遣り方も質も何もかも違っても、とりあえず互いを思いあってればいいんじゃないかなぁなんて思いますねん。友愛でもなんでも。
銀さんとの関係にもいえることですけど。彼らは恐らく幼馴染で、とても大事なものを共有してきた仲で、けれども衝撃的な体験をいくつも超えてきた故に、関係として歪んでしまっている部分があるんだと思います。じゃなきゃ、誰が幼馴染と殺しあう。現在の立場とか対外的な主張とか、譲れないもんとかあってもなくても、少なからず変質してるものはある。歪みとは時間の経過によって醸造されるものです。
えーと特に高杉と桂、高杉と銀さんにいえることなのですが。別離とその距離が齎す感傷や、時間という距離を置いたことで取り返しがつかなくなった傷があるのだと思うんですねん。傷ってのは痛みを伴うアレじゃなくて、どっちかっていうと不備とか、瑕疵のほうの。
主に高杉の側にあるのだと思いますけれどね。「あんなに一緒だったのに~」がリフレインします。高杉ってそういう子だと思うんだ。ずっとみんな一緒だと根底で思ってたような。松陽先生に何があったか知らないけれどその体験によって銀さんや桂との結びつきがある意味で深く特別なものになって、でも戦争後に道が分かたれるってことわかってなくて、戦争末期でそれを突然つきつけられて裏切られたとか思ってしまうような。錯覚だってわかってるのに置いてかれると思ってしまうような。
なんとなくですねん。
松陽先生リスペクツな桂の長髪を高杉は疎ましく思い、原体験にしちゃってとらわれてる高杉にそれを理由にするなと桂は怒りつつもひとのこと言えないと思ってるといい。お互いさま同士で口にもできない。不毛だね!
うーんカプとして考えるとしてもこのラインはわたしの中で一向に変わらんとです。先生のことが根幹。高杉は桂の肩越しに銀さんを見て舌打ちし、桂は高杉の視線の先にこそ銀さんを見る。逆でもよい。幼馴染ゆえに、銀さん本人がいないところでも彼らにとっての銀さんの存在は欠かせず、継続してくものと思えます。なんだかなぁ、銀さん割と巻き込まれてるだけのところあるじゃないか。だからって放ってもいけないんで仕方ないんですが。
……えぇー…わたしこんなに高杉について語ってたかー…あれぇ…
や、嫌いなわけないデスヨ、高杉サン。もちろんデスとも(片言なのは嘘を誤魔化す緊張のためでなく、高杉語りをしすぎた自分の過ぎたるぎんたまへの愛情のためですのであしからず)(つまりは愛溢れすぎて狼狽してるんだ。そうなんだ)
なんか、高杉と銀さんについてとか、銀さんと桂についてとか、幼馴染トリオで云いたいことは山のようにあれど、時間がありません。ていうか高杉については上記の半分くらいでいいよね。そのくらいでまとめるべきじゃないか。長すぎて誰も読まないよ。わたしだって読み返すの億劫だからこのまま投稿しちゃうよ(待て)
あー…今日は高桂高の日ということで…
なんだかんだいってやっぱりカップリングじゃないよこれ。
そんなのが言い訳にも冗談にもならんくらい脱線してます。や、そもそもの本線はどこだっけな。
例2:高杉と桂と銀さん
松陽先生が根底に、銀さんが視界内にいる間柄ぽいです。幼馴染だといいなとは、紅桜編の前から思ってたんですが。でもこれは史実の影響もありますね。
高杉は松陽先生のことを忘れられてないんだろうなと思いますねん。ここからはわたしの妄想なんですが。
高杉はぼっちゃんで、育ちいいから基本的にまじめで誠実。ぼっちゃん故に先生にも最初は反発してるんだけどいつのまにか(何かきっかけがあってもいいのだけれど)先生のことを認めて尊敬するようになってて、でも高杉はまじめ故の極端(笑)で「せんせいだいすきー」になったものの、先生が気にかけてる銀さんが気に食わなくてつっかかってそんなことしてるうちに戦争の激化でもなんでも先生を亡くして、松陽先生のことが大きな傷として残ってるといい。
銀さんは最初からみなしごとして松陽先生に養われてるのでもいいし、そうでなくて十歳前後で先生に拾われて途中参入してもいい。それなら余計に高杉は「おれが先だったのに」とか、不毛で馬鹿馬鹿しくてあたりまえのことを思うのにね。
全然関係ないんですが、わたしこの台詞いわれたことありますねん。「わたしのほうが先に好きになったんだからね」! いじらしくて思わず苦笑しちゃいました。なんつーかこう…甘酸っぱいね!
閑話休題。
えーと高杉ですが。松陽先生のことは取り返せない最初の損失であるとよいです。後の戦争参加とかの起因になるような。で、戦と鬼兵隊壊滅が最後の打撃であるとよい。そして傷を抱えるに至るのが左目の喪失であるとなおよい。
えーとこれを前提にして、こっから高桂語り。
昔から嫌いだ発言を踏襲して、カプとして成り立っててもぜんぜん仲悪くてよいです。むしろ反発しあう関係であるとよい。桂はまじめの裏返しでとんがってる高杉のこと放っとけないでいつも声かけるし、高杉は誠実なとこだけ桂と共有してるけどだからこそまじこいつうざいわと思ってうんざりしてるとよい。うんざりしてるにも関わらず、共有してるところ故に反発しながらも憧れてもいるとよい。
高杉は誠実であることに背を向けたひとなんだと思うのだけれどなぁ。その時点での目的のためにでも、手段としてでも、一向に構わないんですが。でも一途なとこは変わってない。かたちを変えても続いていくものはあるということです。
けれどかたちを変えたことによって失われたものもあって、だから高杉は今も愚直にまっすぐな桂のことが鼻につくけど羨ましい。桂はそんなに複雑なかたちでは高杉のこと考えてない、そんな誠実の一側面で、幼馴染を気にかける。すれ違いってどこにでもあるもんですけれど、思うディテールも遣り方も質も何もかも違っても、とりあえず互いを思いあってればいいんじゃないかなぁなんて思いますねん。友愛でもなんでも。
銀さんとの関係にもいえることですけど。彼らは恐らく幼馴染で、とても大事なものを共有してきた仲で、けれども衝撃的な体験をいくつも超えてきた故に、関係として歪んでしまっている部分があるんだと思います。じゃなきゃ、誰が幼馴染と殺しあう。現在の立場とか対外的な主張とか、譲れないもんとかあってもなくても、少なからず変質してるものはある。歪みとは時間の経過によって醸造されるものです。
えーと特に高杉と桂、高杉と銀さんにいえることなのですが。別離とその距離が齎す感傷や、時間という距離を置いたことで取り返しがつかなくなった傷があるのだと思うんですねん。傷ってのは痛みを伴うアレじゃなくて、どっちかっていうと不備とか、瑕疵のほうの。
主に高杉の側にあるのだと思いますけれどね。「あんなに一緒だったのに~」がリフレインします。高杉ってそういう子だと思うんだ。ずっとみんな一緒だと根底で思ってたような。松陽先生に何があったか知らないけれどその体験によって銀さんや桂との結びつきがある意味で深く特別なものになって、でも戦争後に道が分かたれるってことわかってなくて、戦争末期でそれを突然つきつけられて裏切られたとか思ってしまうような。錯覚だってわかってるのに置いてかれると思ってしまうような。
なんとなくですねん。
松陽先生リスペクツな桂の長髪を高杉は疎ましく思い、原体験にしちゃってとらわれてる高杉にそれを理由にするなと桂は怒りつつもひとのこと言えないと思ってるといい。お互いさま同士で口にもできない。不毛だね!
うーんカプとして考えるとしてもこのラインはわたしの中で一向に変わらんとです。先生のことが根幹。高杉は桂の肩越しに銀さんを見て舌打ちし、桂は高杉の視線の先にこそ銀さんを見る。逆でもよい。幼馴染ゆえに、銀さん本人がいないところでも彼らにとっての銀さんの存在は欠かせず、継続してくものと思えます。なんだかなぁ、銀さん割と巻き込まれてるだけのところあるじゃないか。だからって放ってもいけないんで仕方ないんですが。
……えぇー…わたしこんなに高杉について語ってたかー…あれぇ…
や、嫌いなわけないデスヨ、高杉サン。もちろんデスとも(片言なのは嘘を誤魔化す緊張のためでなく、高杉語りをしすぎた自分の過ぎたるぎんたまへの愛情のためですのであしからず)(つまりは愛溢れすぎて狼狽してるんだ。そうなんだ)
なんか、高杉と銀さんについてとか、銀さんと桂についてとか、幼馴染トリオで云いたいことは山のようにあれど、時間がありません。ていうか高杉については上記の半分くらいでいいよね。そのくらいでまとめるべきじゃないか。長すぎて誰も読まないよ。わたしだって読み返すの億劫だからこのまま投稿しちゃうよ(待て)
あー…今日は高桂高の日ということで…
なんだかんだいってやっぱりカップリングじゃないよこれ。
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