[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
最近、「燃えよ剣」を読んだおともだちさんがいまして。影響されて次の次にまわしてもらうことと相成りました。
影響を受けるとわかってるものは見方が偏るからできるだけ触れずにいたいのだけれど、興味がでてきたのだから仕方ない。現在の「土方と沖田」観の根幹を築いた作品らしいしね!
授業中になっちゃんが、「山崎が死んじゃった…!」といってわたしの袖を引いたので、水谷豊似の先生の声でうとうとしてた目がぱっちり覚めました。なに?え!今日ジャンプ発売日じゃないやん!とかなってたら彼女の手許にしばりょの御本があったのであぁと納得。そっちなんだ!
余談ですが、沖田(総司くんのほう)が死んだときには今にも首を吊りそうなメールが届きましたよ。はやまらないで!とりあえず総悟くんのほうは無事だよ!
なのでしばりょ先生の御本を真ん中に、史実とぎんたまと真撰組についてみんなで語り合いました。ぎんたまって絶対死にそうにないよね…みたいなところが結局のところ着地点です。
これまた余談。この間買った同人誌で、そんな死にネタがありました。穏健派の攘夷が成功して将軍家は滅んで倒幕が成って。幕府側についてた真撰組は追われて。沖田は結核でその倒幕直前に夭折してて。
近藤さんと土方は残党として追われてるんだけど、近藤さんが途中で重症を負って、土方は絶対見捨てないって引き摺ってるんだけど局長副長なんて目立つ顔ぶれだから道々狙われて。最後に近藤さんが、俺は足手まといだお前は生きろっていって追っ手の前に飛び出すんです。土方は勿論必死で助けようとするんだけど結局目の前で近藤さんは斬られるという。
その同人誌の骨子はそこにないんですが、場面として。場面としてね、そういうのがあったよっていう。
真撰組は死なないだろうなっていうのが、ぎんたま的世界観をかんがみたわたしの感想です。死ぬのは攘夷派の面々だよね。桂は兎も角高杉とか。
空知は新しい時代とかについて好意的に描いてる気がする。桂みたいなのがだんだん時代を迎合してく過程とか見てるとそう思う。なにより銀さんの在りかた。そういうのが。
だから新時代を担う一端の真撰組は汚濁を浴びつつ地べたを這いつつ、しぶとく生きてってくれるんだろうなと。それだけはたぶん確信に近い。
だからこそ旧時代を表す攘夷派勢はことによっちゃあ死ぬんだろうな、なんて。真撰組に対する確信の裏返しで。新時代を許容するってのはつまりそういうこと。
そう考えると、時代を舞台にして生きるんじゃなくて背景にして流れてくみたいな銀さんは、ある種の越境者といえるのかもと思いました。だから一ヶ所に留まりきれないんだよ馬鹿なひとだなぁ。生き方っていうか処世術っていうか生きる遣り方というのか。下手というわけじゃないしむしろ器用貧乏の部類なんだけど、なんていうかなぁ、けして平凡なしあわせを掴みきれないひとだ。資格の問題なんてものはそもそもなく、幸福に弱いわけでも凡庸な日常を軽んずるわけでもないのに。たぶんわたしたちや周囲が、それは彼に似合わないって思うんだろうな。生き方はともかく、死に方として。それを自分でもどっかで望んでるから、自ずから応えてみせて彼は去るんだろうな、なんて。おっと危ないな妄想が溢れた。
とりあえずしばりょを読んでから後のことは語れ、ということで。
おともだちから借りたDSでポケモンルビーをやりこんでる今更な奴でした。うおあ色々締め切りだらけだってのに!