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うおっ、かぶった!
…なんのことだかわかんなくていいのです。うん。いやネタがね、かぶっちゃってね(結局いうし)
わたしはおはなしを書くときは構成から入るようで。というより、心情か構造かといったら構造のほうというか。キャラクターはあくまで要素だってはなしは結構納得かもしれません。キャラクターはファクター、そこに何らかの意味が付与されていてそれなりのカリカチュアはされているけれど、それでも一要素。それでいいんだと思います。それ以上を求めるのも自由だし、求めないのもひとつの遣り方だってことで。ときによってどっちにでもいけるのが二次創作のよいところだよなぁなどと思っております。だってそれって楽しいじゃない。
ううんとなにがいいたいのかというと、つまり構造=典型(かたち)・構成が先にあるというのは、ネタありきだということで。そのネタがかぶるってちょっと書くの頑張らなきゃよわたくし、みたいな!(なんだ)
でもよく考えたらキャラのほうが先にあるのかもね。ネタを思いついたら適当で適切なキャラをあてはめて書いているわけだし。これがこのサイトの無節操の所以かな。ネタだけなら攘夷派みっつに真撰組よっつ万事屋ひとつ、おともだちから貰ったリクに応えるのならいつつある。そんなにネタだけあって一体どうするのか。つーか書けよ。という声が聞こえますすいませんヒィ。
昨日うちにきて同人誌をベッドの上に撒き散らしてたおともだちさん二人は、よくぞこんなに…みたいな顔してました。わたしのニーズってほんとおかしい。ちょうど彼女らが来る前に届いた、通販(久々に)した同人誌たちは、坂銀と土銀でびっくりした。銀受けばっかり買ってて。しかもエロありで。というか18き(自主規制)
…なのについ一昨日注文したののほうはオール真撰組だったりして。どうにかしてくだされこの節操なしっぷり。土沖とか近土とかじゃなくてほんと真撰組の本ばっか。どうしてくれよう。
エロはなくてもカップリングは成立するからたちが悪いんだ(これがわたしなりの自己弁護のつもりだっていうから笑える)
今日、義経と弁慶ごっことかして広い公園で遊びまわっておりました。なにしてんの。
たこ焼きとか鯛焼きとか貪りつつ、お池で跳ねたり紅葉の下で飛び回ったり、ステゴザウルスに乗っかってみたり。(公園によくある材質不明・意図も用途も不明という怪しさ爆発の玩具(というより置物?インテリア?オブジェ?)のこと。例:パンダとか)
まじでかいのあるんですって。ほんと。広い公園だから。そしてほんとでかい。眺めよかったよ。(登るなよ)
おまえはいったい何歳だ、ってよくパピーにつっこまれる理由もわかったかも。
今日ですね、関東の短大に行ってる子からメールがあって。「専攻科受かったから来年も学生でいられるんだ!」って。
おめでとうおめでとう。彼女は保育士志望です。専攻科ってあれかな、もっと資格とるのかな。
わたしはといえば、今日発表のはずの色々重要なあれこれが事務の都合で発表されず、結局月末までやきもきすることに。うおおこれで進退きまるんだよな。不備があるようなないような…
不安要素がなくても不安はあるもんで、けどいまからじたばたしてどうなるようなものでもなし。にんげん開き直りって大事。とりあえずマイパピーみたいな不真面目でへらへらした憎まれっ子目指して精進します。堂々と偉そうに、当然のようにふんぞり返って、悠然と結果の発表を聞いてやるぜ。
来週忙しいというか「ちょ、先生わたしそこ発表かぶってるっていうかどっちも先生の担当だよねまじ考慮して?」みたいな事態に陥ってるのでたいへんです。更に片方のやつの打ち合わせが週3くらいで入ってます。
食事込みとかじゃないから。ほんとに真面目に一時間半語るから。そしてほんとにその能率が悪いから。
でもそこできれたりしたら駄目だよね…うん、あと一週間がんばる…ていうかもう三週間は耐えてるんだが。
個人行動とスタンドプレイが常のわたしみたいなやつには能率度外視のやり取りはきつい。どうにかしてショートカットできるとこは切っちゃいたい。けどひとりでやってるわけじゃないからな。
真面目さは美徳だけれども、真面目さから出たものならばそれはすべてよいものだとはかぎらない。
わたしはその昔、真面目っ子で、けれどああわたしがいつか泣くのならそれはこの真面目さ故だろうなんてわかっちゃって、だから先手をとるつもりで不真面目と怠慢を心がけてきたような節があるのだけれど。それが成功して、というか行き過ぎて今はもう駄目人間と化してるんだけれど。
だからこそその真面目の正体がわかるというか。
不安だから念をいれるんだ。安心できないから徹底するんだ。五分前行動も予習も復習も、不安からその一端が出たものなんだ。けしてそれがすべてではなくても、かなりの部分は占めている。
だからわたしの「真面目からの脱却」は同時に「不安からの脱却」も兼ねていたということで。まず自分が不安にとらわれてるってことを知ることからすべてが始まるから、その遣り方はまぁまずまずだったと思うんだけど。
今、打ち合わせをすることで付き合ってる「真面目さ」も、だから単純な勤勉さじゃなくてむしろ発表への不安の発露なんだろうなとは、随分前から薄々知ってはいたのだけれど。そしてそれをうまく伝えるすべもないし、優越じゃなく、伝えるのはむしろ不遜だろうかとも思っていたから、伝えようとも思ってはいないのだけれど。
能率っていうけれどもこれはむしろ「自分のペース」っていう部類だ。最短距離を目指したりそのために回り道したりするこの遣り方のことを、その速さと遅さの緩急のつけかたとその個人差を、きっとわたしの場合は「能率」って呼んでるんだ。
その言い方でいくと、たぶん速さの噛み違いだ。
ひとりだけ、みんなが遅くならざるをえないところで速いんだろうな。(これを自惚れとするのは、たぶん悪戯に自らを貶める行為だ)
真面目にすること=意識・無意識に関わらずその秘められている不安の払拭、という行為であるとできるなら、その不安を拭うための儀式が「綿密な打ち合わせ」なんだ。
能率だけのはなしならば15分でかたが付くことを、一時間半かけて話す。時間と手間をかけることも「不安を拭うための儀式」として必要なことで。
それを否定することは、過去そうであった自らの一部も否定することになるし、そうやって行動に移すのは憂いてるだけで何もしない輩よりは余程このましいと思うから、嫌だとはいいたくないのだけれど。
一体なにがジレンマだって、
上記を一切口にするつもりがないのにちょっとはわかってほしいと思ってる未練たらしい自分が、ジレンマだ。
話したところでわかってはもらえまい、と知ってるから。それは諦めでもなんでもなく、わたしの話術の拙さでもなく、ただ単純に、そう、こうした内容が彼女のプライドに触れるからだなんて、そこまでわかってるのに。そしてそれがわかってるのはわたし自身が似たような経験を持つが故であるというこの皮肉。
さて。どうしてみようか。(なんていいながらもどうするつもりもないというところに推進力のなさがあらわれてる、のかもしれない)