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愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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のそのそ起きてきた。

はらがいたいあまり笑うしかなかったんですが、そのうち笑うと腹筋に響いてわらうにわらえなくなりました。
洗濯物をベッドに放ってったら山になって、でもたたむ気力がなくて、結果的にそこにうもれて寝てました。
今日は薬がなくてもちょっとまし。

昨日あまりのセンターカラーに写メって友人数名に送ったら、「井/上雄/彦先生か!?」という返信がきました。
わたしもちらっとそう思ったとはいわないでおきます。

井上先生の展覧会がこないだあったんですけど、わたしは行かなかったんですけど、知人が行ったらしくてですね。
それと井上先生のインタビューを雑誌で読んだんですけど。
あの展覧会の仕掛けはすごいなぁ、と思いました。
展覧会のねたばらしなので以下は反転。
連載中の漫画の主人公の最期の一日を描く、というのは、もっとも見たいものでありつつも原作者が描かないものであるのではないか、と思ってたので、ずばっと核心をついてきた井上先生の恐れのなさがすごい、と感服しました。すごすぎる。
勝者だから生き残ってきた武蔵の最期は、人間としての死であって敗者としての死ではないのか。とか、そこらへんは展覧会見に行ってないわたしが言及できることじゃないんですけど。
ちょこっとそれをからめて今週おじゃんぷ感想の追記。





言い忘れてたこと。

・煙管の使い道(一回書いたけど消えた)(消えたからうっかり忘れてた)(けどポイントだった)
・神威

神威についてですが。
現時点でいえることはたいしてないとわかったうえでほんの少し。
神威は神楽ちゃんの相手なんだろうけれども、神威→銀さんフラグが予想できて、どうすんのこれ、という気持ち。
あと鳳仙。日輪の言葉が届くのか否かがずっと気になってます。届くのならば日輪のために夜の王は落ちるのだろうし、届かないのならばなんで手元に置いてたの、というそこらへんが気になる。

銀さんについてですが。
原作ではいわれないだろうなと思ってました。でも暗黙の了解みたいなものだと思ってました。
それこそ井上先生の展覧会みたいな。見たいけれども描いてもらえないもの、でもそれでいい、みたいな。

銀さんは敗者なんですけれども、じゃ桂や高杉や坂本はどうなのか、といったら、
ぜんぶ定義が違う敗者だと思います。
一定義に過ぎないですが、
桂は、敗者であろうともずっと敗者であり続けるつもりはないし、自分が負けるのはよしとしても、国や人が敗者であり続けるのを容認してはならない、と思ってる。
高杉は、自分はなるほど負け犬だが、迎合して尻尾を振ってる民衆も負け犬だし、傀儡と化してご機嫌取りに終始してる幕府も負け犬だと思ってる。それは天人もそうだと思ってる。むしろ勝者はいない、ぐらいに思ってる節がある。その泥沼じみた世界の仕組みが嫌いな節がある。
坂本は、戦中から戦後を見越してたから現状を敗北と感じてはいなくても、終局を見届けられなかったことを敗走と思って負い目にしてる部分もあるかもしれなくて、もし敢えて敗者と定義するとしたらその離脱なんじゃないかとか。でも自分の選択は何度やり直してもそこで離脱するから、絶対にひっくりかえせないものだと思ってるんじゃないか。その「ひっくりかえらない」部分が、覚悟で矜持で、逆説的な悔いなんじゃないか。

一例であって、この側面ももちろんあるんですが、敗者についてはこんなのが通りいっぺんかなと。

銀さんについても通りいっぺんの講釈をすると。
銀さんは勝ち負けに終始しない。拘泥もしない。近藤さんがいってたあのとおり「目の前にいてもぜんぜん別のところで戦ってるようなやつなんだ、浄も不浄もこえたところで」みたいな。
勝負は勝とうとした時点で負けです。優れた将は勝負をせずして勝ちます。いかにして事を構えずに勝つかが論点で、腕の見せ所でもある。また有益なのは勝負をしないことだと知っている。戦争は浪費です。
そういう意味では銀さんは戦わずして勝てます。たぶん戦っても大概のものには勝てます。
でも、だからこそ敗者なんです。
勝敗に拘泥しないひとは勝負ができないんです。しても、勝負とは別のところに勝敗があるし、「試合に負けて勝負に勝つ」ができると、勝負そのものが無効化されるんです。
だから、勝負から疎外されているという意味で、まったくの敗者なんだと思います。
あと、銀さんは常に「俺のルール」で動くので。勝負のルールを「俺のルール」に則って変えてしまうこともできるし。それはルールという枠に収まることができないという意味で、失格だし脱落だよなぁと。
銀さんは勝負以前の問題で絶対的敗者だと思います。敗北によってではなく、超越・越境ゆえの絶対的優位によって飽和して崩れ落ちるもの、イメージ。
勝敗にかかわらず勝ってるし、負けてる。

というのが個人的な銀さんのイメージの根底にあります。
劣等感に似た敗北感は、勝敗に関してではなく勝負という形式そのものにおいてあるのだろうと。
あと敗者の所以は、生き残りだからです。生きて敗戦と過渡期を経験したという、その経験において敗者です。
でも生きてるもんが勝ちでもあるんです。そこらへんはぜんぶ逆説の話になる。でも全肯定。正逆と清濁あわせのんで生きてる感じが銀さんぽいな、と。

あと、銀さんが敗者なのはまだあって(まだあるのか!)
失ったものがあるからだと思います。
それは「手からとりこぼしたもの」で、そんなもの誰だってあるんですが、たぶん銀さんの場合それは誰かのいのちだったんじゃないかと。(それだってけして珍しいものじゃない)
戦中とか。あと指摘されて気付いたんですけど松陽先生とか。(銀さんにとって絶対者がいるというのがまったく想像できないため先生はほんとに気付かなかった)
自分が間に合ったなら~、という仮定は傲慢以外の何物でもないんですが、ないんですけど、でも考えずにはいられないものでもあります。それこそ絶対に。「自分にはなにかができたはずだ」と思ってしまう。思ってしまうんです。「陳腐だ」と自分で自分を笑いつつも。思わずにはいられないんです。
だから、その後悔において、敗者だと、思います。


たぶん他にも定義できるんですけど、通りいっぺんの講釈としてはここまでで。
にしても長い!
銀さん像についてのぶれは特にないです。でも原作で明言されると思ってなかったです。そして銀さんが敗者だというのは一応このサイトの結論でした。サイト始めたときからそれを結論に持ってこようと思ってた。でもこうしてねたばらしというか原作でいわれた今になってもテーマであることは変わりないのでたぶん特に変更はなしで。(蛇足だ!)

来週を待ちます。日輪さんがずっと気になってます。
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