愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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風邪はなおりました!風邪にいいもの教えてくれた方とか励ましとかどうもありがとうございました!
体調が定まらない時期だったみたいで。もう大丈夫です。
木曜の相棒に狙いすましてゆうばりのとこに遊び行って、コナン映画新作(フルスコア)とザ・三名様と明智対二十面相(田/村正/和とビー/トたけ/しという異色すぎる組み合わせ)借りてきて見て気付いたら朝でした。
翌日は気になってるよねーという世紀末の魔術師(コナン)見て、やっと帰ってきました。
相棒(映画)とらくらん映画は次にとっておく。
しかし今週おじゃんぷの元ネタの映画探したのだけど、なかった!残念!
肉球編みました!
桂はうざさの度合と男前度が釣り合ってる気がしてならない。
定春はあいされている。
神楽ちゃんいや子どもらの「正しさ」をまっすぐ見る目には毎度感服。それは、「こどもだから」という理由だけでは必ずしもないんだということも含めて。
すごく好きな話なので来週楽しみです。
天知先生からのお便り笑った笑った。
「撮影してる」「演じてる」設定って好みです。楽しい。
舞台おりたら、カットの声がかかったら、それまでの関係性や役割とまったく違う立場があるんだってこととか。
それで笑いあったり反対に無視しあったり。演じてる役割が現実に与える影響とか。劇中で仲が悪いとつい外でも顔合わせづらいとか、だから撮影終わったらちょっと声かけてみようとか。
高校のとき演劇部だったんですが
日常で関係性が形成されてるなら、劇は劇以上の意味を与えないんですが、
お題出しあってエチュード(即興劇)するときとかは、終わっても影響があるなぁなんて思いました。怖いこというとかとぼけてみせるとかね。あくまで演じてるだけでも。あとで怖がられたりとかされたりとか。
あと、あまり知らない同士で演技が先にあると(つまり劇によって知りあう・交流する)と
劇のイメージって強かったです。相手のキャラクターとか、集団における役割とか、立場の強さ弱さとか。劇中のイメージで見てしまう。
だから、ぎんたまが演じてる設定で、
舞台おりたらマブダチ土方と沖田とか、途端にしゃべらなくなる桂とか、アイドルなので気軽に話しかけられなくなる神楽ちゃんとか、ムードメーカーがんばる芸人新八(俳優業のほうが評価高い)とか、滅多に出番ないけど差し入れすごいまめな高杉(歌舞伎界の大物)とか、
そういうイフがあっても面白いなぁなんて。そんなことを考えました。
肉球編から話ずれた。
俳優業のほうが仕事入ってくるけど芸人でいたいなぁって思ってる新八の葛藤とか
普段は非常に穏やかで優しいけど仕事には厳しいというか豹変する高杉とか
大根と笑われながらも愚直にがんばるちょい役の山崎とか
主役だけど当初は人付き合いが面倒でしゃーなかった銀さん(すぐ打ち切りって聞いてたからそのつもりでいたのに続編決定とか二期とかでエーと思ったり)(主役だからって舞台おりても出演者をつなげなくてもいいだろとか思ってたり)(カメラまわってる間だけのつもりでいたり)が丸三年の撮影の中で出演者と関わって、酒飲んだり愚痴きいたり別の仕事もがんばろうとする誰かの背中押したりして、名実ともに「みんなの銀さん」、俳優や主役になってく変遷だとか
そういうの全部画面越しに見て、見届ける監督(空知)とか
妄想にもほどがある。
でも万事屋なんて「いつのまにか抱えっちまった」「いつのまにこんなに大事に思うようになってしまった」の典型ですよね。
真撰組と万事屋の関係とか、桂の変容とかにもいえる。
変化を主題にしてはいないんだけど、でも必ずある時間とともに訪れる変化を、
いとしいなぁなんて思います。
ますます肉球編と話ずれた。
いや、でも、星喰(金太郎)の内面の変遷とか、まさに上記なんじゃないかと思うんだ。ジジィとダチ公でいたいと思うようになるだなんて、きっと想像もしてなかった。
ああ来週楽しみ。
きっと原作至上主義なんですが、動いて声がついて色がつくアニメって、素敵だよねって
三月までっていわれたからじゃないですけど、思います。
体調が定まらない時期だったみたいで。もう大丈夫です。
木曜の相棒に狙いすましてゆうばりのとこに遊び行って、コナン映画新作(フルスコア)とザ・三名様と明智対二十面相(田/村正/和とビー/トたけ/しという異色すぎる組み合わせ)借りてきて見て気付いたら朝でした。
翌日は気になってるよねーという世紀末の魔術師(コナン)見て、やっと帰ってきました。
相棒(映画)とらくらん映画は次にとっておく。
しかし今週おじゃんぷの元ネタの映画探したのだけど、なかった!残念!
肉球編みました!
桂はうざさの度合と男前度が釣り合ってる気がしてならない。
定春はあいされている。
神楽ちゃんいや子どもらの「正しさ」をまっすぐ見る目には毎度感服。それは、「こどもだから」という理由だけでは必ずしもないんだということも含めて。
すごく好きな話なので来週楽しみです。
天知先生からのお便り笑った笑った。
「撮影してる」「演じてる」設定って好みです。楽しい。
舞台おりたら、カットの声がかかったら、それまでの関係性や役割とまったく違う立場があるんだってこととか。
それで笑いあったり反対に無視しあったり。演じてる役割が現実に与える影響とか。劇中で仲が悪いとつい外でも顔合わせづらいとか、だから撮影終わったらちょっと声かけてみようとか。
高校のとき演劇部だったんですが
日常で関係性が形成されてるなら、劇は劇以上の意味を与えないんですが、
お題出しあってエチュード(即興劇)するときとかは、終わっても影響があるなぁなんて思いました。怖いこというとかとぼけてみせるとかね。あくまで演じてるだけでも。あとで怖がられたりとかされたりとか。
あと、あまり知らない同士で演技が先にあると(つまり劇によって知りあう・交流する)と
劇のイメージって強かったです。相手のキャラクターとか、集団における役割とか、立場の強さ弱さとか。劇中のイメージで見てしまう。
だから、ぎんたまが演じてる設定で、
舞台おりたらマブダチ土方と沖田とか、途端にしゃべらなくなる桂とか、アイドルなので気軽に話しかけられなくなる神楽ちゃんとか、ムードメーカーがんばる芸人新八(俳優業のほうが評価高い)とか、滅多に出番ないけど差し入れすごいまめな高杉(歌舞伎界の大物)とか、
そういうイフがあっても面白いなぁなんて。そんなことを考えました。
肉球編から話ずれた。
俳優業のほうが仕事入ってくるけど芸人でいたいなぁって思ってる新八の葛藤とか
普段は非常に穏やかで優しいけど仕事には厳しいというか豹変する高杉とか
大根と笑われながらも愚直にがんばるちょい役の山崎とか
主役だけど当初は人付き合いが面倒でしゃーなかった銀さん(すぐ打ち切りって聞いてたからそのつもりでいたのに続編決定とか二期とかでエーと思ったり)(主役だからって舞台おりても出演者をつなげなくてもいいだろとか思ってたり)(カメラまわってる間だけのつもりでいたり)が丸三年の撮影の中で出演者と関わって、酒飲んだり愚痴きいたり別の仕事もがんばろうとする誰かの背中押したりして、名実ともに「みんなの銀さん」、俳優や主役になってく変遷だとか
そういうの全部画面越しに見て、見届ける監督(空知)とか
妄想にもほどがある。
でも万事屋なんて「いつのまにか抱えっちまった」「いつのまにこんなに大事に思うようになってしまった」の典型ですよね。
真撰組と万事屋の関係とか、桂の変容とかにもいえる。
変化を主題にしてはいないんだけど、でも必ずある時間とともに訪れる変化を、
いとしいなぁなんて思います。
ますます肉球編と話ずれた。
いや、でも、星喰(金太郎)の内面の変遷とか、まさに上記なんじゃないかと思うんだ。ジジィとダチ公でいたいと思うようになるだなんて、きっと想像もしてなかった。
ああ来週楽しみ。
きっと原作至上主義なんですが、動いて声がついて色がつくアニメって、素敵だよねって
三月までっていわれたからじゃないですけど、思います。
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