愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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夜中にもえを吐き出しにくるのやめたら真人間になれると思う(真顔)
ばかなんだよ…
とりとめないことマックスハート(まちがった)
3zの全蔵先生にはSごころがうずく。
わたしはSともMともつかない性質です。かといってニュートラルともいわれない(めそ…)(なんで両刀づかいという棘の冠をわたしにかぶせる)(うれしくねぇ)
いやとりあえずほんと、全蔵先生はいじり倒したい。泣かせたいくらい加虐心がうずく。
全蔵は銀さんとタメはるくらい、主役はれる男だと思います。
公式ライバルの土方や、唯一相対できる感じの近藤さん坂本や、現時点で対峙するものとして第一に据えられてる高杉や、別側面主人公の新八のことはわきにおいて。
ジャンプのね、銀さんわきにおいて、真撰組や攘夷派わきにおいて、それでも主役はれるやつがいるとしたら全蔵じゃないか。
ダークホース。でも素質充分だと思うんだ。
阿国ちゃんの件はすごいでかかったです。
オッサンとこどもの組み合わせに弱いのかしらんと疑ったくらい。
たぶん境遇がちょこっと似てる。
銀さんは戦中名を馳せたけれども今は楽隠居。でも赤貧にあえいで、とりあえず看板だけ見たら胡散臭い仕事やってます。
全蔵は父親が名高い教官で、解体されるまえのお庭番じゃ筆頭で、でも解体されてからは幕府につうじるでもなく気ままに、でも相変わらず胡散臭い仕事やってる。
似てないかな…
望めば手に入る栄誉栄達に見向きもしないとこなんか似てると思うのだけれども。
共通項を簡潔に抜き出すと、
昔:名を馳せた(ネームバリューとたぶん実力はばっちり)
過渡期:必要以上を求めなかった(姿を消す、権力ときれる)
現在:気ままに、でも培ったものをいかした仕事を続けて生きてる。
なんか書き出してみたら思ったより共通項ぴったりで驚いた。
やってみるもんだわ。
全蔵の言をそのまんまでいくなら、きっと全蔵は猫で銀さんは犬なんでしょう。いや、きっと銀さんは犬じゃないんでしょうが。犬は真撰組とか新八がよりよく当てはまるんでしょうが。
攘夷派はみんな犬ではない気がする。
とまあ、それは置いといて(はなしが変わってしまうから)
いや、全蔵が猫で銀さんが犬としたら、これはここで対極じゃないですか。日陰の忍と日向の侍。
全蔵は根っから「忍」なんでしょう。
銀さんが根っから「侍」のように。
だからこその対比。そしてだから、わたしはこのふたりをある側面から対極だと見てしまうのかもしれません。
対極におけるものって沢山ありますねん。主人公という特殊性からか、わたしはどうも主軸に銀さんを据えてしまう傾向にあるのですが。これはむしろ通常なのか?模索の嵐です。
ので、銀さんを主軸に置きつつ、前述したのの例をひくと、
土方
近藤さん、坂本(これ組み合わせありすぎてこまる)
高杉
新八
が、ぱっと思いつくものです。いやもっといっぱいあるのはわかるけど。自重しないときりないから。
土方、は…ほもかぷ語りまでとっときます。
朝までじゃ足りない。ただでさえ土銀土であれやこれやしてたっていうのに!
近藤さん、坂本。これは結構どっかで吐き出してますよね。
とりあえず「廓然大公」でひとくくりにできる。
高杉。
これは語りたいなー…
というわけでかるく語ります。かるくね、でないと眠くって途中でおちてしまうから。
高杉をぶった斬るかどうかはさして重要なことじゃありません。
のっけから問題発言きたな…て感じですが、まぁおさえて。
彼らの関係性において、生きてようが死んでようが、それはたいした問題じゃない気がします。斬ったからって、桂の高杉への思い、高杉の銀さんへの思い、銀さんのふたりへの思いはたいして変わらない。
そういう、「なにがあろうとなかろうと」という関係なんじゃないかなって。
好きとか嫌いじゃない思いがそこにある気がします。
口に出すのは「嫌い」一辺倒なくせにね。
こころの底じゃ好き、というのでもない。というか、「好き」とか「友人」とか口に出すと全部嘘になるようなもんなんだと思います。
うまく定義するためのことばがなかった。銀さんも桂も高杉も、あえて定義しようとしなかった。
あえて、という節が見え隠れ。だって明確にしたら取りこぼしちゃうものなんだもの。
「同志」ということばに反応した高杉さんの一端が察せられる気がします。
ことばにすると無粋になるんですね。でも、「昔そこそこ仲良かったけど今どうしてるのかわからない小学校(もしく中学校、高校)のクラスメイト」、っていう程度の感覚でもありそうです。
おとこのこだもの。きっと執着もなんもしてないんだろうな。
そこに執着を見つけるのは、はたから見てるわたしたちのほうか。
なんでここのはなしに坂本出てこないの…というのは、上記の理由です。第一坂本は離脱組。地球もそこでの争いも離脱済み。
彼は彼のたたかいをしてるんです。宇宙のどっかで。いや、宇宙をとびまわることで。
なのでここでは坂本は別のはなしなんですねん。
春雨が出てくるとそこがややっこしくなるんですね。離脱した坂本が絡んでくる可能性が出てくる。
でも、絡めるためには、真撰組みたくワンクッション置かないと。
動乱編は、今後第二の紅桜編が訪れたときのための、真撰組がはなしに関わるためにエピソード作りでした。
紅桜に真撰組が絡んでこなかったのは、要点が桂、銀さん、高杉の三人にあったから。
よく考えてみると、あのはなしは三人のためのエピソードだったんですよね。幼馴染設定と松陽先生が出てきて始めて、「この三人のはなしだったんだ!」と目からうろこでした。
それまでは村田兄妹なのか万事屋なのか攘夷派なのか、高杉なのか、しぼりきれてなかった。いやすべてに糸は絡んでんですが。
あそこで真撰組が出てきても解説に堕するんです。
物語にちゃんと参入するためには、それなりの手順があって、そのワンクッションが今回の動乱編。
あれで、真撰組は、同じ攘夷派でも高杉派と桂派には違う対応をとるだろう。これが解説に堕さないためのてだて。
そして動乱編は鴨のはなしでした…うう。
ムスカァァァァあっ間違った!鴨!
わざとです。
愛です。嘘です(せめてホントっていってやってよ!)
動乱編の要点は、土方であり、真撰組であり、でも中心は鴨だったんです。だって、動乱起こしたの鴨ですもの。他の誰が中心に座れる。
この理屈でいくと、「紅桜つくったの誰だよ。村田兄だよ!てことは紅桜も村田兄の物語になるんじゃ?」という意見がありますが(おのれのなかで)、それでもやっぱ紅桜は村塾トリオが主眼で、動乱編は鴨が主眼だったんです。
両方死んじゃってるし、騒動の発端だし、何が違うのか、というと。
「彼の死で物語が閉じるか」ということ、です。
村田兄が死んでも紅桜編は決着じゃありませんでした。
動乱編は、鴨の死とともに終結しました。
そこの違い。たったそれだけ。でも大きな違い。
後日談は抜かします。よって、鴨の死の後の真撰組どたばた(土方帰還)も後日談とみなします。
わかりやすいでしょう。終わり方でそれが誰の物語だったかわかるんです。
ぎんたまはどういう終わり方をするのかな…
……はっ。
また違う方向に流れてたじぶん!!ああもうこの節操のない頭め!ほろべ!(とよく云われる)
ええっと全部まとめて総括すると、
全蔵はある側面で銀さんと対極にあるタフなやつで、
銀さんを主軸とした関係性はきりがなくって、
高杉さんの云うことは直線的過ぎてかえって伝わりにくいけど核を突いてて、
坂本エピ来るんだったらむっちゃん込みの快援隊まるごと来てってことで(空知云ってたもん…!上記した意味じゃないんだろうけど!)、
紅桜は村塾トリオのはなしで、
動乱編は鴨のはなしで、
ぎんたまがパチで終わるか銀さんで終わるかってところにこの作品の本質の一端が垣間見れるんだってことです。たぶん。
これであってんのかな…書き漏らしはないな?
ああそうだ。ええっと個人的には、ぎんたまはパチの語りで、銀さんの背中で、終わるんじゃないかなぁと思ったりします。
100%妄想です。たぶんはずれる。
でも合ってる気がしないでもない…どうなんだか。
まだしばらくはわかんないことですね。
と り と め な さ す ぎ だ ろ。
全蔵と村塾トリオと鴨が同じ土俵で連鎖して語られてる……落差は…落差はどこにありますか…(もうわたしじゃ見つけられない)(節操のなさ故に)
ばかなんだよ…
とりとめないことマックス
3zの全蔵先生にはSごころがうずく。
わたしはSともMともつかない性質です。かといってニュートラルともいわれない(めそ…)(なんで両刀づかいという棘の冠をわたしにかぶせる)(うれしくねぇ)
いやとりあえずほんと、全蔵先生はいじり倒したい。
全蔵は銀さんとタメはるくらい、主役はれる男だと思います。
公式ライバルの土方や、唯一相対できる感じの近藤さん坂本や、現時点で対峙するものとして第一に据えられてる高杉や、別側面主人公の新八のことはわきにおいて。
ジャンプのね、銀さんわきにおいて、真撰組や攘夷派わきにおいて、それでも主役はれるやつがいるとしたら全蔵じゃないか。
ダークホース。でも素質充分だと思うんだ。
阿国ちゃんの件はすごいでかかったです。
オッサンとこどもの組み合わせに弱いのかしらんと疑ったくらい。
たぶん境遇がちょこっと似てる。
銀さんは戦中名を馳せたけれども今は楽隠居。でも赤貧にあえいで、とりあえず看板だけ見たら胡散臭い仕事やってます。
全蔵は父親が名高い教官で、解体されるまえのお庭番じゃ筆頭で、でも解体されてからは幕府につうじるでもなく気ままに、でも相変わらず胡散臭い仕事やってる。
似てないかな…
望めば手に入る栄誉栄達に見向きもしないとこなんか似てると思うのだけれども。
共通項を簡潔に抜き出すと、
昔:名を馳せた(ネームバリューとたぶん実力はばっちり)
過渡期:必要以上を求めなかった(姿を消す、権力ときれる)
現在:気ままに、でも培ったものをいかした仕事を続けて生きてる。
なんか書き出してみたら思ったより共通項ぴったりで驚いた。
やってみるもんだわ。
全蔵の言をそのまんまでいくなら、きっと全蔵は猫で銀さんは犬なんでしょう。いや、きっと銀さんは犬じゃないんでしょうが。犬は真撰組とか新八がよりよく当てはまるんでしょうが。
攘夷派はみんな犬ではない気がする。
とまあ、それは置いといて(はなしが変わってしまうから)
いや、全蔵が猫で銀さんが犬としたら、これはここで対極じゃないですか。日陰の忍と日向の侍。
全蔵は根っから「忍」なんでしょう。
銀さんが根っから「侍」のように。
だからこその対比。そしてだから、わたしはこのふたりをある側面から対極だと見てしまうのかもしれません。
対極におけるものって沢山ありますねん。主人公という特殊性からか、わたしはどうも主軸に銀さんを据えてしまう傾向にあるのですが。これはむしろ通常なのか?模索の嵐です。
ので、銀さんを主軸に置きつつ、前述したのの例をひくと、
土方
近藤さん、坂本(これ組み合わせありすぎてこまる)
高杉
新八
が、ぱっと思いつくものです。いやもっといっぱいあるのはわかるけど。自重しないときりないから。
土方、は…ほもかぷ語りまでとっときます。
朝までじゃ足りない。ただでさえ土銀土であれやこれやしてたっていうのに!
近藤さん、坂本。これは結構どっかで吐き出してますよね。
とりあえず「廓然大公」でひとくくりにできる。
高杉。
これは語りたいなー…
というわけでかるく語ります。かるくね、でないと眠くって途中でおちてしまうから。
高杉をぶった斬るかどうかはさして重要なことじゃありません。
のっけから問題発言きたな…て感じですが、まぁおさえて。
彼らの関係性において、生きてようが死んでようが、それはたいした問題じゃない気がします。斬ったからって、桂の高杉への思い、高杉の銀さんへの思い、銀さんのふたりへの思いはたいして変わらない。
そういう、「なにがあろうとなかろうと」という関係なんじゃないかなって。
好きとか嫌いじゃない思いがそこにある気がします。
口に出すのは「嫌い」一辺倒なくせにね。
こころの底じゃ好き、というのでもない。というか、「好き」とか「友人」とか口に出すと全部嘘になるようなもんなんだと思います。
うまく定義するためのことばがなかった。銀さんも桂も高杉も、あえて定義しようとしなかった。
あえて、という節が見え隠れ。だって明確にしたら取りこぼしちゃうものなんだもの。
「同志」ということばに反応した高杉さんの一端が察せられる気がします。
ことばにすると無粋になるんですね。でも、「昔そこそこ仲良かったけど今どうしてるのかわからない小学校(もしく中学校、高校)のクラスメイト」、っていう程度の感覚でもありそうです。
おとこのこだもの。きっと執着もなんもしてないんだろうな。
そこに執着を見つけるのは、はたから見てるわたしたちのほうか。
なんでここのはなしに坂本出てこないの…というのは、上記の理由です。第一坂本は離脱組。地球もそこでの争いも離脱済み。
彼は彼のたたかいをしてるんです。宇宙のどっかで。いや、宇宙をとびまわることで。
なのでここでは坂本は別のはなしなんですねん。
春雨が出てくるとそこがややっこしくなるんですね。離脱した坂本が絡んでくる可能性が出てくる。
でも、絡めるためには、真撰組みたくワンクッション置かないと。
動乱編は、今後第二の紅桜編が訪れたときのための、真撰組がはなしに関わるためにエピソード作りでした。
紅桜に真撰組が絡んでこなかったのは、要点が桂、銀さん、高杉の三人にあったから。
よく考えてみると、あのはなしは三人のためのエピソードだったんですよね。幼馴染設定と松陽先生が出てきて始めて、「この三人のはなしだったんだ!」と目からうろこでした。
それまでは村田兄妹なのか万事屋なのか攘夷派なのか、高杉なのか、しぼりきれてなかった。いやすべてに糸は絡んでんですが。
あそこで真撰組が出てきても解説に堕するんです。
物語にちゃんと参入するためには、それなりの手順があって、そのワンクッションが今回の動乱編。
あれで、真撰組は、同じ攘夷派でも高杉派と桂派には違う対応をとるだろう。これが解説に堕さないためのてだて。
そして動乱編は鴨のはなしでした…うう。
ムスカァァァァあっ間違った!鴨!
わざとです。
愛です。嘘です(せめてホントっていってやってよ!)
動乱編の要点は、土方であり、真撰組であり、でも中心は鴨だったんです。だって、動乱起こしたの鴨ですもの。他の誰が中心に座れる。
この理屈でいくと、「紅桜つくったの誰だよ。村田兄だよ!てことは紅桜も村田兄の物語になるんじゃ?」という意見がありますが(おのれのなかで)、それでもやっぱ紅桜は村塾トリオが主眼で、動乱編は鴨が主眼だったんです。
両方死んじゃってるし、騒動の発端だし、何が違うのか、というと。
「彼の死で物語が閉じるか」ということ、です。
村田兄が死んでも紅桜編は決着じゃありませんでした。
動乱編は、鴨の死とともに終結しました。
そこの違い。たったそれだけ。でも大きな違い。
後日談は抜かします。よって、鴨の死の後の真撰組どたばた(土方帰還)も後日談とみなします。
わかりやすいでしょう。終わり方でそれが誰の物語だったかわかるんです。
ぎんたまはどういう終わり方をするのかな…
……はっ。
また違う方向に流れてたじぶん!!ああもうこの節操のない頭め!ほろべ!(とよく云われる)
ええっと全部まとめて総括すると、
全蔵はある側面で銀さんと対極にあるタフなやつで、
銀さんを主軸とした関係性はきりがなくって、
高杉さんの云うことは直線的過ぎてかえって伝わりにくいけど核を突いてて、
坂本エピ来るんだったらむっちゃん込みの快援隊まるごと来てってことで(空知云ってたもん…!上記した意味じゃないんだろうけど!)、
紅桜は村塾トリオのはなしで、
動乱編は鴨のはなしで、
ぎんたまがパチで終わるか銀さんで終わるかってところにこの作品の本質の一端が垣間見れるんだってことです。たぶん。
これであってんのかな…書き漏らしはないな?
ああそうだ。ええっと個人的には、ぎんたまはパチの語りで、銀さんの背中で、終わるんじゃないかなぁと思ったりします。
100%妄想です。たぶんはずれる。
でも合ってる気がしないでもない…どうなんだか。
まだしばらくはわかんないことですね。
と り と め な さ す ぎ だ ろ。
全蔵と村塾トリオと鴨が同じ土俵で連鎖して語られてる……落差は…落差はどこにありますか…(もうわたしじゃ見つけられない)(節操のなさ故に)
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