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愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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映画観てきました。

まだ一回。
明後日二回目行くのでとりあえずの感想です。

ネタバレ前提ですので視聴済みの方推奨。







感想がなかった。

うん…

語りおおせてた。

何もあの映画に言葉を足す必要がないように感じました…あれ…文字書き失かk
でもそれじゃ流石にアレなんで。ああでもないこうでもないって話。


あれが、今の、この連載してる、銀魂、アニメ銀魂の前提に映画があるんだよって風にも考えられるなと思って、
つらいやらいとおしいやら。
呪われた銀さんがいて、呪われた銀さんが五年踏ん張って後を託した五年前の銀さんがいて、
その五年前銀さんが最初は一人で、最後はみんなで立ち向かった十五年前の敵がいて、
今がある。
…としたら、すごく、その。

最近読んだ本で時間ループ系が結構多いんですけど、シュタインズゲートとか、「魔法使いの弟子たち」とか。(進/撃/の巨/人も時間ループものじゃ?という推論を小耳にはさんだ)
結果的に「すべてを知ってる一人」が主人公で、彼(或いは彼女)の背負うものが重すぎると思いながら観てたり読んでたりしてたんですが、この映画におけるそれは五年後銀さんであり現在銀さんだよねって。
特に五年後銀さんの背負いっぷり。
自分のせいで地球が滅んでくのを、守った・生きた・愛した町が荒廃していくのを、仲間が自分の背負った呪いに侵され死の淵に居るのを、ただ見てる。見てるしかない。新八神楽が仲たがいしているのを、見てる。ずっと。
なんちゅう五年間だろうと思いました。

銀さんは自分がいなくなってもみんな何とかやってくだろう、って思ってる人だとずっと思ってて
それはそうなんだけど、そうするしかないんだけど、
でもそうじゃないっていうのがいつになったらわかるんだろうあのアンポンタン、と新八神楽は思ってて、
それも銀さんわかってない癖にわかってて、でもやっぱり、だからこそ、「何も変わりゃしねーさ」と笑うんだろうなと
それを限りなく公式で示された気がしてどうしよう。
もうずっと私的万事屋がこれ以上ない完成形で何ひとつ加える必要がなくて二次創作出来てない。

あとこれはやばいと思ったのが
銀さんが一人で腹を切ろうとしたところです。
金魂篇のときも腹切ってますけど、
銀さんて死のうとしたことがないんですよね。金魂篇のあれは死ぬために切ろうとした腹じゃないと思ってる。
あ、でも本質的には一緒かもしれません…自分が生きるためではなく、自分じゃない誰かを生かすために切ろうとしたという意味で。
でも銀さんて能動的に死のうとしない人だと思ってました。なんか。信条が、源外のジーサンに最初の花火の話で答えた「長生きすりゃあいいんじゃねーの」っていう
もうどうしてもどうやってもまず生きろ。というところから始まってる人な気がして。
それが銀さんの強さなのかなと思いましたが、強さの一部ではあるけどすべてじゃないんだろうな。

銀さんってホント、ホンット、
自己評価が低い。

十五年前に行ったあれだって、
「十五年前の俺がえんみと戦う前に、感染済みの俺が行ってえんみ倒してくれば十五年前の俺感染しなくね?その時点で未来変わるんじゃね?」じゃなくて、
「感染した時点の俺殺せばよくね?」なんて結論に何故なるのか。

ちょっとあの、ふざけた感想も書きたいんですけど
あまりに銀さんが主人公過ぎて、いや、
あまりにも銀さんの話だったので、
ちょっと、銀さんに終始してしまいます。

あのお墓、辰五郎さんのお墓もある墓地なのかなぁ…
お登勢さんと源外さん変わらないんだなぁ
あ、山崎も変わってなくて安心しました。安定感のある変わりかたでした。

安定感がないのはぱちぐらです。あの子らあんなんなってしまうのっていう。
近藤さんがいってた、「何年経ってもあいつらは変わらない、そう思ってたんだけどなあ」って。
あれは仮定としての「銀さんの不在を埋められなかった新八と神楽」なんだろうなって。
あの二人が常に距離あけて立ってるのは、そこが空白じゃなく誰かが帰ってくるためにあけてあるスペースだとしたら。
死んだ、もういない、もう帰ってこない、と何度も口にしつつ、
生きてる、きっとどこかにいる、帰って来てほしい、とずっと思い続けてる。
思ってるから、逆のことしかいえない。銀さんは死んだ、もういない、お前なんかと万事屋は出来ない、足手まとい、もう捨てた、と繰り返すのは、それを否定したいから。否定してほしいから。
誰に?
銀さんに。

そういうぱちぐらのあがきが透けて見えて、いたたまれないような、その分だけいとおしいような、たまらない気持ちになりました。
もう二度と、と口にするのは、
もう一度、と思ってるからです。

あーあとあれです、「俺をやれんのは、俺だけだろ」
これは五年後銀さんが口にした言葉で、五年前銀さんに幕引きを頼む言葉で、
五年間それだけを頼りに踏ん張ってたってことで、
なんというか…
誰にもそれを頼めなかったんだな、って。
誰にも背負わせたくなかったんだなって。
一人で腹切ろうとして、切れなかったら過去から自分呼んでまで自分の始末をつけようとして
一人で。
銀さんが銀さんを背負わせていいと思う人は誰なんだろう。いないんだろうな。俺のことなんか背負わなくたっていいさ、お前はもうお前の背負うもんしょって立ってんだ、とかいっちゃうんだろうな。
なれるとしたら新八神楽がそれになれるのかな、当人たちはなりたいと思ってるけど銀さんがだめなんだろうな。だからギリギリの線が「三人と一匹でいること」なんだろうな。
万事屋って完成形だな…

背負いたいと思う子どもら二人に対し、そのことに耐えられないのが銀さんの弱さで大人の弱さなんだろうなと思いました。背負いたい・背負えるようになりたいという子どもの強さとの対比。
あの自己評価の低さが銀さんなれど、背負わせてくれないのに自分は背負いこんじゃうのが銀さんの銀さんたる所以なれど、
マイナスに左右しまくるとこうなる。みたいな話でもあったなと。

あと、笑いどころもいっぱいありましたが、
「どうやって完とするか?」を考えたんだろうなって映画、でした。たぶん。
いつ終わっても、なかったことにはならない。
そういう話を空知先生はしたかったように思う。思うだけ。
だからいつでも終われるし、いつまでも続くものなんてないけど永遠だよ、みたいな。まさに「万事屋よ永遠なれ」。
何が変わっても、終わっても、
それでもエンドロールの後に、万事屋の日常は続いていく。
続いていくと思うことが出来る。思っていてくれさえすれば、続く。
「糖分」の額の裏にひっそりと三位一体フィルムを残して。
何もなかったことにはならない。

…空知、ラピュタに行かないでくれっていってた空知が、
「俺そろそろ行くけど、みんなさびしがらないでくれよな。続くし。ラピュタ飛ぶし。今も飛んでるし。これからもどっかで飛び続けるし」といってるようで、
なんか勝手にそんなことを思ってすごくさびしくなってしまった…
いや、雑感に過ぎないです。銀魂が終わるとかそういう話はしてないです。ただ「いつかその時は来るよ」というのを「すべてが終わった世界」「銀さん不在の万事屋」をみて想起しただけで。

別に映画のような形ではなくとも、いつか万事屋の三人は離ればなれになるだろうし、
離ればなれとまではいかなくても、ぱちぐらは独り立ちして万事屋を卒業する日が来るし、
たとえば神楽ちゃんが宇宙のどっかで、新八が慌ただしい日々の中で、銀さんが変わらぬかぶき町の万事屋の変わらぬ椅子でいちご牛乳飲みながら、或いはもうそこにはおらず誰も知らないどこかでふと、
短いような長いような、一緒にいて馬鹿やって笑ってた時間を思い出す。
それと同じように、万事屋三人が、離れても、もう二度と会うことがなくても万事屋であるように、
わたしたち視聴者もいつか「卒業」して、その頃を懐かしく思い出す日が来るんだなと。


今わかりました。私的万事屋が完成形な理由。
いずれ離れる万事屋三人(と一匹)が今ひとときそこにいて馬鹿をやって、いつかどこかでそれを思い出し、二度と帰らなくてもあそこがホームだといつまでだって思うように、
そんなのがわたしにとっての銀魂なんです。
ホームなんです。
一緒に年をとってきたんです。
いつか思い出す頻度が減ってもそれは変わらないんです。
銀魂読んで笑ったなぁとか、ついったで盛りあがったなぁとか、あの話らへんのとき学校卒業したんだよなぁとか、その篇は引っ越す前の近所のコンビニで読んだんだとか、
そういうどうでもいいような記憶とずっと一緒にあるんです。きっと。
日常とか生活とかに密着して生きてる作品なんだなと、たまにずっと前の巻読み返して当時の時事ネタみる度に思ってました。
今回の映画だって。
「三位一体フィルム揃えたくなってきただろ?さぁ揃えようぜ(笑)」と映画そのものが推奨してるとんでもねぇ映画本編なんですが(その見方はどうなんだろう)
それってDVDになってから観てる人には関係ないですよね。つまり、映画館で上映してそれを観てる、今・此処にいるわたしたちに向けてる映画なんですよね、あれ。
踊らされてるとわかっても、踊りだしたい気にもなる。
今・此処にいる自分たちに向けられていて、踊るのは今しかないと映画がいってる。
そりゃ今の時点で紅桜の4割増し行きますよ。大ヒットの紅桜も上回りますよ。


そうそう、渋谷の映画館に行ったんですけど、
同じエレベーターに乗ったジーサン(推定70代)が同じ階で降りて同じチケット売り場目指し、「何のチケットお求めでしょう?」「銀魂で」と答えるのを聞いた瞬間、
得体のしれない気持ちになりました。
おじいちゃんです。おひとりです。
マジでか、と思いました。

紅桜の4割増しは、
我々のような最後の祭りかもしれないと騒ぐヲタ勢ではなく、
今までアニメ銀魂をリアルタイム視聴してきた、積み重ねてきたアニメ放送で勝ち取ってきた、「普段はアニメ映画を観ないパンピー層」が支えているのかもしれない。
そうだったらいいな、と思いました。
いや、実際女性が多かったのでやっぱりヲタ勢は多大なんでしょうけども笑


ここまで比較的まじめっぽい感想なので最後は友だちに送りつけた箇条書きで。

・映画泥棒
・「俺をやれんのは俺だけだろ」by銀時(五年後)
・三位一体商法(零巻風メモ帳と入場者特典のフィルムを集めるんだ!)(そんな商法に騙されるな!財布の紐は固くしめておけby神楽)
・万事屋しんぱっさん(ツッコミとお通ちゃんのCDは捨てた)
・万事屋グラさん(アルアル口調とエセ中国語を捨てた)
・カーネルサンダースがあんな目にあうなんて
・三位一体商法(入場者特典フィルム三種=銀時、新八、神楽を揃えると万事屋の出来上がり!)(6~12日は万事屋、その次の週は真撰組、その次の週は攘夷派、それ以降は全9種類ランダムだよ!)=最低9回は観ろ。
・五年後沖田はエセ抜刀斎
・五年後土方は史実ルックだけどノリは今まで通り
・九ちゃんとツッキーは髪切った←「やだ~失恋でもした?」まったく変わらぬさっちゃん←銀さん不在の五年間←「わたしがまったく変わらなかったのはね、この変わってしまった世界で、わたしだけは五年前と変わらず、あの人を迎えてあげたかったから」
・三位一体商法(「一枚じゃ意味ないネ、みっつ揃って初めてひとつネ」「もうどこにも行かないで下さい」「みっつでひとつなら、いつかまた揃う日も来るさ」)
・銀さん不在の五年間で仲違いしてそれぞれ万屋事を名乗るぱちぐらに銀さんが「お前ら何でもしてくれる万事屋なんだろ?じゃあ」「俺と万事屋、やってくれるよな」
・五年後→十五年前
・銀さんは世界を滅ぼした大魔王
・銀さんは世界を救った救世主
・三位一体商法(「未来を変えるために、五年後のあなたの願いを叶えるために生まれたわたしは、五年前から来たあなたを救うことが出来ない」→「未来は変わった。これでやっと、あなたを救うために未来を変えることが出来る。わたしに蓄積されたこのデータで」=三位一体フィルム)
・「お前が忘れても、いいさ。俺が憶えてるからな」


こんなに徹底して「映画観に来いよ」という内容に終始した映画みたことない。観に来てまんがな。
三位一体マジ罪作り。


あっ初回の三位一体はぱっつぁんでした。
二回目は何が出るかな…かぶったらその場で友だちに交換してもらうつもりなんだけど流石に銀さん出たら交換してくれないだろうな…笑

二回目以降は観たらその都度、記事上げるかもしれません。
最後になりましたが、その、
よかったです。観に行ってよかった。ありがとうしかいえない。
常に画面に見とれてました。アニメスタッフありがとう。ふっさんひぐっさんありがとう。
ありがとう空知先生。
銀魂を好きでよかった。
大好きです。
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