愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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フジリュー版封神演義の話です。
ついったでも呟いてるんだけど雑記にはちょっとカプ色強い話とか感傷的な部分の話を置こうと思う。
ほぼあとしまつ後の話。
・あとしまつ後の太公望ってどこにも帰れないよね
仙人界(蓬莱)はもう彼の帰る場所じゃないんだよね…
地球に還ろうとしても一回「まだだめよん」って妲己ちゃんに言われて戻されたも同然だし。
地球すべてを寝床としてさすらうしかないんだよね。
何がつれえって太公望本人としてはそれでいいと思ってるってこと。あの遥かな昔から唯一残った始祖が、最初の一歩が復讐だった幼い羊飼いの少年(呂望)が、壊れていくことが生きながらえる術だった少年(王奕)が、孤独な魂を慰めうるものがそれだけって…それだけって!
もしもの話として、王天君と融合せず、ただの太公望のままだったら彼は最終決戦後どうするつもりだったのか。
神界システム考案したりしてたし、「その後」の見通しというのは必ずあったはず。
「その後のみなの身の振り方」を考えてあったはずだと思うんですね。そこに一応は自分も入ってたと思うんですよね、その時点では。
でももう戻らないだろうな~というか完全な気まぐれかよっぽどのことがない限り、蓬莱にも神界にも寄りつかないだろうな~
神界には複雑な関係になってしまった人が多すぎる。太公望としてならまだしも、王天君としては実に複雑な… 「もう今更さー」とか「済んだことだし」で済ませる人が大多数だろうけど、本当にそう思ってるにしたってやったことはなかったことにならないし、複雑なことに変わりはあるまいよ。
天化に訊いたなら「それでも俺っちは満足して死んでいけたさー、あの時スースに悪いことしちまったのはむしろ俺っちだし」くらいのことは言いそうな気がする。
聞仲に訊いたなら「貴様が、貴様らが性格の悪い策士だということは融合などする前からわかっていたことだ」ぐらいで済ましてくれそう。
問えば誰もがそんな感じで答えるんだろうけど、やっぱり太公望は神界には足を向けないであろう…
そもそもあそこは彼岸だし。この世のことを為し終えた方々がおられるところだし…
封神されるってそういうことだと思う。
いずれは蓬莱の人たちも神界行きらしいけどね!
蓬莱においては教主の楊戩と複雑な関係になってしまった。
「あなたが僕の師と父を殺したのですか?」「そうだ。わしの中の王天君がやった」
あれは不可避の問いだった…なのに即答だった…覚悟完了してた…太公望の覚悟はいつもさりげなくかつ即決である…
楊戩が本気で太公望(伏義)をどうにかするつもりはなかったとは思うけど、これは不可避の問いですからねって明言したのはむしろ小気味よいと思った。そのへんは伏義さまにもわかってたろうし。
でも蓬莱を帰る場所にすることはきっとあり得ないんだよー、帰ったらきっと役職付きにされちゃうし立場的に微妙過ぎるしパワーバランス崩れまくるし。
もしただの太公望のままだったら、蓬莱のどこかで桃でもかじりながらグータラしてるのがデフォルトになった元軍師(現ほぼニート。武吉の修行つけてくださいとビーナスの求愛をのらくらかわすだけのニート)が見られたかもしれない。在りえない話になってしまったけどな…
原始天尊さまは当時「マジこのジジイーー!」と思ってたけど、それだけとも言えなくて、今改めて言葉にするのなら、結局あの師弟は似た者同士だった、ってことだと思う。
原始のジジイは多くを謀ったし嘘をついたし隠し事をしたんだけども、最後まで「自分の弟子の太公望」を案じてたのも事実だった。仙界大戦では成長を喜び、最終決戦に向かう後ろ姿を「どうか重いさだめに押し潰されぬよう」と祈り、伏義となった彼をそれでも「太公望」と呼ぶ程度には。
どの時点でも「それは『弟子の太公望』を案じているのではなく、王奕=伏義の魂を秘めた依り代の順調な成長を喜んでいたのであって、ぶっちゃけ2000年かかってる失敗許されない大計画だし裏に隠された意図抜きで彼を見ることは難しかったろう」と言ってしまえるんですが、それでも伏義さまを「太公望」と呼んでたし、女禍と相討ちになったらしいことを案じてたようだし。
タヌキジジイは結局、「太公望」を弟子として結構ほんとに大事にしてたし愛情持ってたんじゃないのかな。「伏義」や「王奕」としてだけではなく。「太公望」というこすっからくて甘ちゃんで潔癖で、まだ齢百にもならない幼い弟子が。
そう思うと、あとしまつ後の太公望はもう決して「原始天尊様が一番弟子、太公望」を名乗らないだろうことが少しばかり苦いです。いや地上にいて名乗る機会もないだろうけど。
多くの隠し事をした原始天尊さまですが、その隠し事が露見して尚、「同じ立場だったらわしも同じことをしたでしょう」と納得して頷いた策士の弟子、というのは、やっぱりかわいかったんじゃないかなと思います。今も。始まりの人となった彼にもう我が弟子よとは呼べないかもしれないけど。
武吉ちゃんとスープー
…蓬莱の中でもねぇ、この二人にはいっとう会えないのがあとしまつ後の太公望だと思うんですよ…
だってこの二人がいちばん手放しかつ無邪気に彼を慕って信じて最終決戦まで共にしたじゃないですか…
それ今も変わらないじゃないですか…御主人・お師匠さまが始祖だろうが宇宙人だろうがグータラだろうが何だろうが、揺るぎない信頼じゃないですか…そもそもこの二人は太公望が何であれ太公望という人が好きじゃないですか…
会えないよねえ…
あとしまつではほぼギャグで会わないことを徹底してたけど、あれはもう数百年から千年単位で顔合わせるつもりがないと見た。
二人の中の自分がそれなりに風化してからひょっこり会うのがベストだと思ってそう。
無駄だよ…この二人に限らず、わりとみんなお前さんが好きなんだよ…
風化はしなくても自分に戻るつもりがないことを二人がある程度呑みこむまでは絶対に会わないつもりと見た。うわあ…うわあ…
武吉ちゃんには「もうわしは仙道ではないから、弟子はとれぬ。そもそも道士は弟子をとれぬ。蓬莱で誰かよき師を見つけよ」と言い、スープーには「長らく御苦労であった、わし付きの霊獣の任を解く」と言うくらいしかあとしまつ後の太公望には言う台詞がない…そしてそれが残酷であることも知ってるからきっと顔は合わせない…
スープーってほんとうにいつでもどこでも太公望と一緒だったよね。封神計画の最初から、七年霊穴で瞑想してる期間も、仙界大戦あとの一人にしてくれと言った時すら。
でももうスープーとは一緒にいれないと思った…仙道のいなくなった地上で、しばらく(数十年くらい)はまだ仙道とか憶えてる人がいても、だんだん仙道は神話の存在になってくし、霊獣目立つし。
妖怪仙人は人間に擬態出来るからわりと一定数が地上にいるもんかなって気がしてる。ほうひつとほうそうは十数年くらいあのまま石屋営んでそう。そのうち蓬莱に召し上げられるか、市井に混じるかはわからないけど。
蓬莱陣営には、もう帰れないのに帰ってきてと袖を引くものが多すぎる。だからきっと行かない。
そういう意味でいちばん会っても後腐れなく、数百年から千年単位でもお互い寂しいとか思わず、同じ地上にいるので顔合わせようと思えばすっと会えるのは申公豹なんじゃないか。
ときどき勝負ふっかけられそうだし基本意味不明だしセンス最悪だし服が悪趣味なので別に会いたいわけではないだろうけど@太公望的には
申公豹的には伏義になった太公望は恐らく勝てない相手でありつつその事実にわくわくもし、でも別に今すぐどうこうってわけじゃない保留案件(たまにつつくのも悪くない)だと思いました。
伏義になった彼を、姿かたちがほぼ太公望だからとはいえ、みなが太公望として扱う。
妲己ちゃんが呼びかけて生かしたのも「伏義」ではなく「王天ちゃん」でもなく「太公望ちゃん」だし。(あの時点でちょっとでも生きたかったのは太公望だけだろう。伏義さまは女禍と逝ってあげてもよかったし王天君はむしろママのところに行きたかったのでは)
でも彼はもう太公望ではない。太公望ではない部分が存在する、限りなく太公望だけども違う存在。
伏義としての彼と王天君としての彼と太公望としての彼って、本人的にはもう統合されてそう。というか前記事でも言ったかもしれないけど、伏義と王奕と王天君としての記憶と経験を持つ太公望、っていうのがホント一番近い気がしてる。
でも戻れないんだよねぇ、ただの太公望には。伏義と王奕と王天君をないことには出来ないし、したくない。
自分自身のことについてはもう悩んでないから一人で生きてくつもりで完全に自己完結してるけど、蓬莱や神界にいる人たちは太公望って呼ぶし太公望なら帰って来てほしいし。でも太公望だけじゃない成分入ってる本人としてはもう太公望として蓬莱にも神界にも帰属してないし。
帰属の問題だな、どこがホームかっていう。
ただの太公望だったら仙人界がホームだったけど人間界がこころの故郷で、
あとしまつ後の太公望は始祖としての記憶もあるのでホームが人間界(というよりこの星)なんだ。
地球そのものがまるごと故郷でホームで帰属するところ。
でもそれであるが故に、帰るところがないとも言えるんだ…
・腐った話
腐ってますたぶん。腐ってるはず。
うん…腐った話ですみません…
上記を踏まえて、それでもあとしまつ後の太公望をつなぎとめるものとして、腐った話を推します。
もう厄介で面倒な誰かとの絆しかないだろうこれは。
つなぎとめるのは、場所じゃなく、人です。仙人界という場所が帰属するところでなくなった以上、どこの誰でもいいので誰かに人としてつなぎとめられてくれないと、とこしえに地上を渡る風になってしまう。
まだこの星になってないんだから風にならないでください…
折角仙道なので数百年から千年くらい時間と距離を置くことが許される利点をもっと活用すべき。どんだけ頭固くても、冷静になれなくても、意地張ってても、流石に千年経てばちょっとは寛容になれるだろう。いろいろと。
腐った話なんですけど、いちばんの有力候補は楊戩かなって思いました。
スース大好きじゃないですか。それでいて、王天君の件で太公望とケリつけるっていう宿題が残ってるじゃないですか。ああいう話題が出た以上、太公望はそのうちちゃんと楊戩とケリつけに来ると思うんです。それこそあとしまつの数百年後くらいに。
楊戩との「ケリ」は結構でかい宿題だと思ってるんです。それをもしクリア出来たら、千年じゃなく数百年単位くらいでふらっと顔出してもいいんじゃないかって。
蓬莱のモモはうまいのう、貰ってゆくぞ、くらいのどうでもよさ装って。
でも楊戩との「ケリ」はあの瞬間の、刃突き付けてそれでも今は保留して先に進みましょ、という一連のアレに集約されている気もする。結局楊戩は彼を許したんだよ…
神界の人らは太公望の袖を引けないと思ってる。どんなに親しかったとしても。
一度彼岸に渡った人たちだからね…どんな葛藤も後悔も懺悔も未練も一度は終わったものなんだ…
親友といっていい普賢ですが、彼らは離れてても親友に変わりはなかったしどんな時間と距離を置いてもふと会ったらいつものように話が出来る相手であって…なんというか、普賢は太公望を引き留めない感じがします。封神計画中、仙界大戦まで一度も会いに行ったりしなかったぽいし。
一応生きてる人で始祖の彼の時間に付き合えて地上を生きる太公望のたまに帰る場所になれる人、と考えたとき、楊戩かなと。あのくらい自意識過剰かつ自信たっぷりででも不安や脆さも持っててかわいいところがあり、見目よし有能、地位もあって甲斐性も(一応)あって、お育ちがよく紳士的だけど酷い男でもあり、輪をかけてひどいひとな太公望にそれでも追いすがれるのは楊戩くらいだろうと…
あと、あとしまつ後の太公望をそれでも愛してくれる人はおれど、恋してくれるのはやつくらいかなぁなんて。
恋情くらい醜くみっともなくエゴイスティックなものでないと、自己完結してる人を引っ張れない。恋のみっともなさは楊戩によく似合うと思う。
でもあとしまつ後の数百年から千年で恋も愛に変わりそうなんですけどね、ゆるやかに。
楊戩の恋の自覚はあとしまつ前からでも後からでもいいと思います。前は自覚なしでもいいです。後だったら会いたいのに会えない感半端ないし新しい教主の仕事は山積みだし探しに行けないし行っても見つけ出せなそうだしでパンクしそうだなとは思います。なんとあわれな。
腐った話でなくとも、尊敬してるし敬愛してるし(上司として)、人柄好きだし(人間として)、ターニングポイントになった人だし(運命の人と呼んでもいい、別に腐ってなくても)、放っておけない人だし(右腕として自負があるから)、着いていきたいと思うし彼に恥じることはしたくないと思うし裏切りたくないし失望されたくないし。
なんていうか、楊戩にとっては要となった人だと思うんだな。封神計画においてとかではなく、人生通して。
太公望を信用することで、それを端緒に他者を信じてみたいとするようになった、仲間を仲間と思うようになったのでは。
最終的に信用ではなく信頼勝ち取ってるし。あの言葉聞かせたかった…
何百年後でもいいから酒入ったとわず語りで「仙界大戦たいへんだったよなー!」って盛り上がったら公主か太乙あたりに「あの時大変だったんだよ~君がバリア解除するまでじりじりしてて!そしたら私が無理だっていうのに太公望がさ~」とか「そう。あの時の返答にはそんな場合ではないのに胸がすく思いがした」とかって言ってくれないかな。何百年越しでも楊戩顔真っ赤にして突っ伏すだろうから。
腐った話にしてもそうでないにしても、楊戩にとって太公望って「敬愛する人」なんだろうな、根幹が。
だから尊重してしまう。何度か「放せ楊戩!」って太公望が言う場面あるけど、楊戩大体放しちゃってるし。尊重してしまうんだな、その選択を。
関係には基本的に相手への尊敬がないと長続きしない、らしいので、やっぱり腐った意味でも頑張っていただきたいです。スースまじ一人で悠久の時を地球見守りながら過ごすつもり満々だから。
まだまだ積もる話はあれどそろそろ夜明けなので落ちます。またもうちょっと腐った話が出来たらしたい。
ついったでも呟いてるんだけど雑記にはちょっとカプ色強い話とか感傷的な部分の話を置こうと思う。
ほぼあとしまつ後の話。
・あとしまつ後の太公望ってどこにも帰れないよね
仙人界(蓬莱)はもう彼の帰る場所じゃないんだよね…
地球に還ろうとしても一回「まだだめよん」って妲己ちゃんに言われて戻されたも同然だし。
地球すべてを寝床としてさすらうしかないんだよね。
何がつれえって太公望本人としてはそれでいいと思ってるってこと。あの遥かな昔から唯一残った始祖が、最初の一歩が復讐だった幼い羊飼いの少年(呂望)が、壊れていくことが生きながらえる術だった少年(王奕)が、孤独な魂を慰めうるものがそれだけって…それだけって!
もしもの話として、王天君と融合せず、ただの太公望のままだったら彼は最終決戦後どうするつもりだったのか。
神界システム考案したりしてたし、「その後」の見通しというのは必ずあったはず。
「その後のみなの身の振り方」を考えてあったはずだと思うんですね。そこに一応は自分も入ってたと思うんですよね、その時点では。
でももう戻らないだろうな~というか完全な気まぐれかよっぽどのことがない限り、蓬莱にも神界にも寄りつかないだろうな~
神界には複雑な関係になってしまった人が多すぎる。太公望としてならまだしも、王天君としては実に複雑な… 「もう今更さー」とか「済んだことだし」で済ませる人が大多数だろうけど、本当にそう思ってるにしたってやったことはなかったことにならないし、複雑なことに変わりはあるまいよ。
天化に訊いたなら「それでも俺っちは満足して死んでいけたさー、あの時スースに悪いことしちまったのはむしろ俺っちだし」くらいのことは言いそうな気がする。
聞仲に訊いたなら「貴様が、貴様らが性格の悪い策士だということは融合などする前からわかっていたことだ」ぐらいで済ましてくれそう。
問えば誰もがそんな感じで答えるんだろうけど、やっぱり太公望は神界には足を向けないであろう…
そもそもあそこは彼岸だし。この世のことを為し終えた方々がおられるところだし…
封神されるってそういうことだと思う。
いずれは蓬莱の人たちも神界行きらしいけどね!
蓬莱においては教主の楊戩と複雑な関係になってしまった。
「あなたが僕の師と父を殺したのですか?」「そうだ。わしの中の王天君がやった」
あれは不可避の問いだった…なのに即答だった…覚悟完了してた…太公望の覚悟はいつもさりげなくかつ即決である…
楊戩が本気で太公望(伏義)をどうにかするつもりはなかったとは思うけど、これは不可避の問いですからねって明言したのはむしろ小気味よいと思った。そのへんは伏義さまにもわかってたろうし。
でも蓬莱を帰る場所にすることはきっとあり得ないんだよー、帰ったらきっと役職付きにされちゃうし立場的に微妙過ぎるしパワーバランス崩れまくるし。
もしただの太公望のままだったら、蓬莱のどこかで桃でもかじりながらグータラしてるのがデフォルトになった元軍師(現ほぼニート。武吉の修行つけてくださいとビーナスの求愛をのらくらかわすだけのニート)が見られたかもしれない。在りえない話になってしまったけどな…
原始天尊さまは当時「マジこのジジイーー!」と思ってたけど、それだけとも言えなくて、今改めて言葉にするのなら、結局あの師弟は似た者同士だった、ってことだと思う。
原始のジジイは多くを謀ったし嘘をついたし隠し事をしたんだけども、最後まで「自分の弟子の太公望」を案じてたのも事実だった。仙界大戦では成長を喜び、最終決戦に向かう後ろ姿を「どうか重いさだめに押し潰されぬよう」と祈り、伏義となった彼をそれでも「太公望」と呼ぶ程度には。
どの時点でも「それは『弟子の太公望』を案じているのではなく、王奕=伏義の魂を秘めた依り代の順調な成長を喜んでいたのであって、ぶっちゃけ2000年かかってる失敗許されない大計画だし裏に隠された意図抜きで彼を見ることは難しかったろう」と言ってしまえるんですが、それでも伏義さまを「太公望」と呼んでたし、女禍と相討ちになったらしいことを案じてたようだし。
タヌキジジイは結局、「太公望」を弟子として結構ほんとに大事にしてたし愛情持ってたんじゃないのかな。「伏義」や「王奕」としてだけではなく。「太公望」というこすっからくて甘ちゃんで潔癖で、まだ齢百にもならない幼い弟子が。
そう思うと、あとしまつ後の太公望はもう決して「原始天尊様が一番弟子、太公望」を名乗らないだろうことが少しばかり苦いです。いや地上にいて名乗る機会もないだろうけど。
多くの隠し事をした原始天尊さまですが、その隠し事が露見して尚、「同じ立場だったらわしも同じことをしたでしょう」と納得して頷いた策士の弟子、というのは、やっぱりかわいかったんじゃないかなと思います。今も。始まりの人となった彼にもう我が弟子よとは呼べないかもしれないけど。
武吉ちゃんとスープー
…蓬莱の中でもねぇ、この二人にはいっとう会えないのがあとしまつ後の太公望だと思うんですよ…
だってこの二人がいちばん手放しかつ無邪気に彼を慕って信じて最終決戦まで共にしたじゃないですか…
それ今も変わらないじゃないですか…御主人・お師匠さまが始祖だろうが宇宙人だろうがグータラだろうが何だろうが、揺るぎない信頼じゃないですか…そもそもこの二人は太公望が何であれ太公望という人が好きじゃないですか…
会えないよねえ…
あとしまつではほぼギャグで会わないことを徹底してたけど、あれはもう数百年から千年単位で顔合わせるつもりがないと見た。
二人の中の自分がそれなりに風化してからひょっこり会うのがベストだと思ってそう。
無駄だよ…この二人に限らず、わりとみんなお前さんが好きなんだよ…
風化はしなくても自分に戻るつもりがないことを二人がある程度呑みこむまでは絶対に会わないつもりと見た。うわあ…うわあ…
武吉ちゃんには「もうわしは仙道ではないから、弟子はとれぬ。そもそも道士は弟子をとれぬ。蓬莱で誰かよき師を見つけよ」と言い、スープーには「長らく御苦労であった、わし付きの霊獣の任を解く」と言うくらいしかあとしまつ後の太公望には言う台詞がない…そしてそれが残酷であることも知ってるからきっと顔は合わせない…
スープーってほんとうにいつでもどこでも太公望と一緒だったよね。封神計画の最初から、七年霊穴で瞑想してる期間も、仙界大戦あとの一人にしてくれと言った時すら。
でももうスープーとは一緒にいれないと思った…仙道のいなくなった地上で、しばらく(数十年くらい)はまだ仙道とか憶えてる人がいても、だんだん仙道は神話の存在になってくし、霊獣目立つし。
妖怪仙人は人間に擬態出来るからわりと一定数が地上にいるもんかなって気がしてる。ほうひつとほうそうは十数年くらいあのまま石屋営んでそう。そのうち蓬莱に召し上げられるか、市井に混じるかはわからないけど。
蓬莱陣営には、もう帰れないのに帰ってきてと袖を引くものが多すぎる。だからきっと行かない。
そういう意味でいちばん会っても後腐れなく、数百年から千年単位でもお互い寂しいとか思わず、同じ地上にいるので顔合わせようと思えばすっと会えるのは申公豹なんじゃないか。
ときどき勝負ふっかけられそうだし基本意味不明だしセンス最悪だし服が悪趣味なので別に会いたいわけではないだろうけど@太公望的には
申公豹的には伏義になった太公望は恐らく勝てない相手でありつつその事実にわくわくもし、でも別に今すぐどうこうってわけじゃない保留案件(たまにつつくのも悪くない)だと思いました。
伏義になった彼を、姿かたちがほぼ太公望だからとはいえ、みなが太公望として扱う。
妲己ちゃんが呼びかけて生かしたのも「伏義」ではなく「王天ちゃん」でもなく「太公望ちゃん」だし。(あの時点でちょっとでも生きたかったのは太公望だけだろう。伏義さまは女禍と逝ってあげてもよかったし王天君はむしろママのところに行きたかったのでは)
でも彼はもう太公望ではない。太公望ではない部分が存在する、限りなく太公望だけども違う存在。
伏義としての彼と王天君としての彼と太公望としての彼って、本人的にはもう統合されてそう。というか前記事でも言ったかもしれないけど、伏義と王奕と王天君としての記憶と経験を持つ太公望、っていうのがホント一番近い気がしてる。
でも戻れないんだよねぇ、ただの太公望には。伏義と王奕と王天君をないことには出来ないし、したくない。
自分自身のことについてはもう悩んでないから一人で生きてくつもりで完全に自己完結してるけど、蓬莱や神界にいる人たちは太公望って呼ぶし太公望なら帰って来てほしいし。でも太公望だけじゃない成分入ってる本人としてはもう太公望として蓬莱にも神界にも帰属してないし。
帰属の問題だな、どこがホームかっていう。
ただの太公望だったら仙人界がホームだったけど人間界がこころの故郷で、
あとしまつ後の太公望は始祖としての記憶もあるのでホームが人間界(というよりこの星)なんだ。
地球そのものがまるごと故郷でホームで帰属するところ。
でもそれであるが故に、帰るところがないとも言えるんだ…
・腐った話
腐ってますたぶん。腐ってるはず。
うん…腐った話ですみません…
上記を踏まえて、それでもあとしまつ後の太公望をつなぎとめるものとして、腐った話を推します。
もう厄介で面倒な誰かとの絆しかないだろうこれは。
つなぎとめるのは、場所じゃなく、人です。仙人界という場所が帰属するところでなくなった以上、どこの誰でもいいので誰かに人としてつなぎとめられてくれないと、とこしえに地上を渡る風になってしまう。
まだこの星になってないんだから風にならないでください…
折角仙道なので数百年から千年くらい時間と距離を置くことが許される利点をもっと活用すべき。どんだけ頭固くても、冷静になれなくても、意地張ってても、流石に千年経てばちょっとは寛容になれるだろう。いろいろと。
腐った話なんですけど、いちばんの有力候補は楊戩かなって思いました。
スース大好きじゃないですか。それでいて、王天君の件で太公望とケリつけるっていう宿題が残ってるじゃないですか。ああいう話題が出た以上、太公望はそのうちちゃんと楊戩とケリつけに来ると思うんです。それこそあとしまつの数百年後くらいに。
楊戩との「ケリ」は結構でかい宿題だと思ってるんです。それをもしクリア出来たら、千年じゃなく数百年単位くらいでふらっと顔出してもいいんじゃないかって。
蓬莱のモモはうまいのう、貰ってゆくぞ、くらいのどうでもよさ装って。
でも楊戩との「ケリ」はあの瞬間の、刃突き付けてそれでも今は保留して先に進みましょ、という一連のアレに集約されている気もする。結局楊戩は彼を許したんだよ…
神界の人らは太公望の袖を引けないと思ってる。どんなに親しかったとしても。
一度彼岸に渡った人たちだからね…どんな葛藤も後悔も懺悔も未練も一度は終わったものなんだ…
親友といっていい普賢ですが、彼らは離れてても親友に変わりはなかったしどんな時間と距離を置いてもふと会ったらいつものように話が出来る相手であって…なんというか、普賢は太公望を引き留めない感じがします。封神計画中、仙界大戦まで一度も会いに行ったりしなかったぽいし。
一応生きてる人で始祖の彼の時間に付き合えて地上を生きる太公望のたまに帰る場所になれる人、と考えたとき、楊戩かなと。あのくらい自意識過剰かつ自信たっぷりででも不安や脆さも持っててかわいいところがあり、見目よし有能、地位もあって甲斐性も(一応)あって、お育ちがよく紳士的だけど酷い男でもあり、輪をかけてひどいひとな太公望にそれでも追いすがれるのは楊戩くらいだろうと…
あと、あとしまつ後の太公望をそれでも愛してくれる人はおれど、恋してくれるのはやつくらいかなぁなんて。
恋情くらい醜くみっともなくエゴイスティックなものでないと、自己完結してる人を引っ張れない。恋のみっともなさは楊戩によく似合うと思う。
でもあとしまつ後の数百年から千年で恋も愛に変わりそうなんですけどね、ゆるやかに。
楊戩の恋の自覚はあとしまつ前からでも後からでもいいと思います。前は自覚なしでもいいです。後だったら会いたいのに会えない感半端ないし新しい教主の仕事は山積みだし探しに行けないし行っても見つけ出せなそうだしでパンクしそうだなとは思います。なんとあわれな。
腐った話でなくとも、尊敬してるし敬愛してるし(上司として)、人柄好きだし(人間として)、ターニングポイントになった人だし(運命の人と呼んでもいい、別に腐ってなくても)、放っておけない人だし(右腕として自負があるから)、着いていきたいと思うし彼に恥じることはしたくないと思うし裏切りたくないし失望されたくないし。
なんていうか、楊戩にとっては要となった人だと思うんだな。封神計画においてとかではなく、人生通して。
太公望を信用することで、それを端緒に他者を信じてみたいとするようになった、仲間を仲間と思うようになったのでは。
最終的に信用ではなく信頼勝ち取ってるし。あの言葉聞かせたかった…
何百年後でもいいから酒入ったとわず語りで「仙界大戦たいへんだったよなー!」って盛り上がったら公主か太乙あたりに「あの時大変だったんだよ~君がバリア解除するまでじりじりしてて!そしたら私が無理だっていうのに太公望がさ~」とか「そう。あの時の返答にはそんな場合ではないのに胸がすく思いがした」とかって言ってくれないかな。何百年越しでも楊戩顔真っ赤にして突っ伏すだろうから。
腐った話にしてもそうでないにしても、楊戩にとって太公望って「敬愛する人」なんだろうな、根幹が。
だから尊重してしまう。何度か「放せ楊戩!」って太公望が言う場面あるけど、楊戩大体放しちゃってるし。尊重してしまうんだな、その選択を。
関係には基本的に相手への尊敬がないと長続きしない、らしいので、やっぱり腐った意味でも頑張っていただきたいです。スースまじ一人で悠久の時を地球見守りながら過ごすつもり満々だから。
まだまだ積もる話はあれどそろそろ夜明けなので落ちます。またもうちょっと腐った話が出来たらしたい。
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