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愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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テストレポート宿題最後の授業、もろもろ終わりました。やっとこさ!

あにぎんは見れてません。明日は何もないから…見るぞ…
明日はゆうばりが横溝正史もってきてくれるから、鍋です(論理性ゼロ)

ためてたサンレッド見たので感想少し。

14話:アーマータイガーくんんんんんn
レッドさん、フロシャイム大好きですね。だからよそ者はけーれ、ですね。
いやしかしアーマータイガーくん。
如何に見事な均衡によってこの地は守られていることか!

15話:ブルゥゥゥゥぅぅぅ?
そんな「昔俺らバンド組んでたんだ」的なノリで。
武蔵新j…
あそこの商店街好きなのに何かブルーさんいるかと思うと行きずらいような…いやでも改札出たとこのスーパー安いし…いやでも…

16話:レッドさんいない(笑)
初めて知ったよ!似てないよどこが兄弟だよ!(ツッコミたかった)
ああそうか砂漠つながりか…(今ぴんときた)

楽しくてしゃーないです。
こないだバイトの事務所に原作の何巻かが放置してあってぱらっとしたら、ビル名とか普通に出てて笑いました。あにめでは誤魔化してるもろもろの名前が(笑

ゼロ年代のサブカル論読んだときに、東京・渋谷・新宿とかは土地がコード化されてて、何が起きても変じゃない、ていう雰囲気のもとに創作がなされてたけど、これって中央集権だから地方は名もなき辺境のままで。それを地方のある土地の固有名詞を取り上げることによって、中央に集まっていた特権性を地方に還元する、みたいな動きが、「池/袋ウエ/スト/ゲートパ/ーク」とか「木/更津/キャッツ/アイ」で、これは画期的なことだったとか。
サンレッドも同じ系譜で語れるかなーなんて思ってるんですが、どうかな。
権力や文化の中枢から敢えてちょっと舞台を外した、っていう構造は同じだと思う。
溝の口は江戸時代宿場町で、ちょうど多摩川の渡しからすぐの、河川という極めてマージナルなところに位置していて。江戸から出るひとも逆に入ろうとするひとにとっても境界線の役割をしてたといえるわけです。しかも溝の口からこっち、多摩川に背を向けた隣駅からは非常に勾配が多い、山削って土盛ってたってるような坂だらけの土地で。平らなのは溝の口までという、整備された土地の境界線上でもある。

つまり多摩川を渡るひとにとっては境界線の目前で足並みをととのえる地点であり、
多摩川を渡ってやってきたひとにとっては人工的にととのえられた最後の場所であり、ここからは“山”でひとの手が完全に入ったわけではないところであると、
多分そういう意味付けができるんじゃないかなぁと。河川や辺境や縁の境界性なんかも鑑みると、けっこうおもしろいことがわかるんじゃないかと思います。別にやってないけど。


なんかサンレッド語りになってる。
まだ二時なのに異様にねむたいのでおちます。ねむたのあまり上記の文章におかしいとこがあっても今は気付けないです。明日なおす。
ディスプレイの大きさによってレイアウト崩れるから改装しなきゃなー
と思いながらねます。どうしようスペースキーが壊れかけてきた反応しないぞこのやろう
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