愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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夏風邪は馬鹿がひく。なんて迷信だ。
はいこの一言でみなさんお察しのとおり、こんばんわ、夏風邪ひいてました馬鹿です。
熱が…ぎゃー!
ちょっと寒くなって油断したらこれだもの。
薬飲んでらくーになりました。なおった!もうなおったよ!(とか油断してるからばかをみる)(懲りない)
元気になったので久しぶりに考察めいた雑記を書いてみる。
ユキサトさんが「リバてよりかループ」ていってたから自分の「リバ」が如何なるものか考えてみたよ。
リバ、即ち銀土銀!あれ、土銀土?ほんとどっちでもいいわ。
土銀のような銀土と銀土のような土銀。
なんのこっちゃ。
いやね、銀さんはけして土方に惚れないだろうし、土方はけして近藤さん以外に乙女にならないだろうってのが前提にあるんだ。
土方は対近藤さん時にはヘタレにでも乙女にでもなればいい。当社比、の程度で。相対的には「ええ、お前オトメてる?ほんとこれ全力でオトメてる?」ぐらいが非常にもゆる。
「ヘタレてる」じゃないあたりは、土方はヘタレだろうと思っているからでして。
情けないって意味じゃないヘタレ…なんていうか、某くるる氏と語り合ったのをちょいと持ってくるんですが(すんません)
・土方は3zでも彼女をつくらず、何故かっちゅうと俺には近藤さんがいるからと思ってる。
・男にもてる男の銀さん・坂本・近藤さんは女性陣から評価は低いが、そのため土方は「おんなは見る目がねぇなあ」と思ってる。ついでに、「近藤さんのいいところは俺だけが知ってる」と思ってるふしがある。
・で、お妙さんにつれなくされる近藤さんを見ては、「志村がダメでも俺がいるぜ!」とか思ってる。
うおおおおお殴りてぇぇぇ。
身近にいたら衝動的に殴り倒しそうだ。うおおおおおって。
なん…なんだろ…特に3zにおいて土方は阿部にみえる…
阿部はすごいうざいと思うよ。桐青戦みてると特にそう思うんだけど、和さんのさりげなさったらない。捕手というか女房役というかフォローマスターというか…
あんだけやんや云う阿部のほうがうわあ…みたいなどん引きなんだろうけれども、三橋の場合にはそれがよかったというところがまたこれ相性というか人間関係というかの面白さでねって話がずれた。
ああうんそれで、唯ひとりをつくってしまうあたりが阿部や土方ら「副官」ポジションの人間の性質なんだなぁって。
もちろんそれは有限で、手の届かないところがいっぱいあるんだけれど、でも有限だからこそ有効なものもあるというか。
阿部の例でいきますね。
阿部は三橋をびびらせる。いちばん三橋のことを考えてるにも関わらず。
で、阿部は対三橋で田島にかなわない。いちばん思いやってるからこそ。
田島は空気読むのうまいから。田島は泉くんと同じくらいシビアで合理的な思考してる。阿部と違う意味で理論的。
田島の理論的、は田島のなかでだけ通用する符丁や公式がある。つまり一般的でない。
阿部は良くも悪くも一般的。だからこそ通用する。
でも田島の一般的でない理論性が活躍できる場面もいっぱいあって、それは阿部(に代表される一般的なもの)が通用しないときこそ必要とされるものだと思う。
枠内で十全に動くためには枠内に存在していることが必要とされる。=阿部。
枠内が混乱状態・膠着状態に陥ったときにそれを打破するのは枠のなかにない枠外のものにこそできる。=田島。
っていうことだと思います。あくまで端的にいうと。
ここいらへんを土方と銀さんに置き換えられるか、という、と…
阿部=土方として、
田島=銀さん、にはならない。
銀さんは境界にいる気がします。枠外、じゃなくて。
勿論、田島も枠外にいるようでいていないんです。いるのは枠内。それでいてそうした振る舞いをしてみせる=自分をプロデュースできるからこそすごいんですが。
田島は打つ(プレイする)ことで語るんですが、銀さんは説教もするので田島より境界的なんですね。
どっちもヒーローなんですが。
うーんと阿部には阿部だからこそ手の届かないところがあるといいたかったんでした。これはきっと土方にもあると思うんです。阿部と土方の相似性にあまえて重ねてしまうんですが、土方「だからこそ」手の届かない部分。それは近藤さんに対してがもっともあるに違いない、なんて。
わたしの近土像ってあまりに近藤さん好き過ぎると思うのだけれど。
ほもにならないんですよね。近藤さんが近藤さんであるからこそ。
近藤さんは「みんな」好きなんじゃないかな。頭ひとつ抜けて沖田がいて土方がいる。僅差で土方に軍配があがるのは年齢の近さ故。
土方も沖田も近藤さんは同じく「悪友」だと思ってる。
すれ違いとか片思いとか感情の履き違えとかボタンの掛け違いとか、色々言い方はあるけれど全部違う気がする。
土方が近藤さんを絶対視してるか?っていったら、「三橋に対する阿部を見ろ」、というのが的を射てるのかな。
捕手として、投手としての三橋をみる阿部は、努力を知ってるぶんの多少の贔屓目と客観的な論点から見た絶対視をしていると思います。
でもそっから離れたとき、「わっかんねー」「こいつ別の星の生物じゃね」「どうしてほしいわけ?」「なんなのほんとムカつく」となる。
それとこれとは別なんですね。
土方は近藤さんを絶対視してるんだけど、それとこれは別、と思ってる部分もきっとある。
近藤さんに対する土方を見るときに、ふと思い出す銀さんの台詞があるんです。
紅桜編、対似蔵最終戦。
「余計なもんなんかじゃねーよ。余計なもんなんかあるかよ。すべてを捧げて剣をつくるためだけに生きる?それが職人だ?大層なことぬかしてんじゃないよ。ただめんどくせーだけじゃねーかてめーは。いろんなもん背負って頭抱えて生きる度胸もねーやつが職人だなんだかっこつけんじゃねぇ」
ええとちょっと置き換えてみますよ。
職人→俺の武士道
すべてを捧げて剣をつくるためだけに生きる→近藤さんに剣を捧げて生きて死ぬ。
「余計なもんなんかじゃねーよ。余計なもんなんかあるかよ。近藤さんに剣を捧げて生きて死ぬ?それが俺の武士道だ?大層なことぬかしてんじゃないよ。ただめんどくせーだけじゃねーかてめーは。いろんなもん背負って頭抱えて生きる度胸もねーやつが俺の武士道だなんだかっこつけんじゃねぇ」
…あれ、なんかちょっと文脈があってる?
いや、ともかく、神様をつくると楽になるんです。それ故の苦しみもあるんですが。
土方は近藤さんを神様にしないで、大事なもん預けっきりにして「俺はあんたがいればいい」だなんて楽にならないで、ちゃんと自分で背負って頭抱えてってほしいんです。あなたのためになんてエゴで自己満足で美化で、誰のためにもなってない。真撰組はこのエゴの部分がすべて近藤さんにかかってるから、それがトップの近藤さんの役目であり組織ってもんだから、だからこそ神様にしちゃいけないんだと思うんです。人間でないと。
あくまで「悪友」でいてやってほしいんです。
だからわたしの「近土」は、原作で完結してる。あれ以上がない。ていうかあれより素晴らしくなりようがない。既にすばらしすぎる。
ほもにならないってのはそういうことです。
近藤さんは土方に恋しないし、土方は近藤さんに悪友として大将として人間として、惚れこんでる。
…と、いいなーなんていう妄想。
ようは「甘えるな」ということです。
当初からかなりずれた。
もうねむいので端的にいいたかったこと!
つまり銀土みたいな土銀、土銀みたいな銀土がすきなのは、
銀土は銀さんが非常に土方を好きそう、土銀は土方が非常に銀さん好きそう。
なのだけれど、銀さんは土方を好きにゃならんし土方もそうだし、
アドバンテージは常に奪い合ってる。
銀土の銀さんは土方のことは好きそうだがぶっちゃけとりあえずヤれりゃいいと思ってるふしがあり、万事屋とは別の、誰か個人=土方を好きになる銀さんは廓然大公じゃないなぁなんて思う。
土銀の土方はともすれば真撰組と銀さんをはかりにかけそうだが土方のホームは真撰組でそこは譲れる譲れない以前の問題なので近藤さんと銀さんをはかりにかける愚をおかす土方ではない(殴りてぇ)。
銀さんが誰か個人に恋して愛せたなら、きっと一個の人間として彼という男はしあわせになれるんだろうけれど、
近藤さんと坂本と銀さんは「個人」を愛さないと思うのだよなぁ。
彼らには、どんなかたちにも当てはめられない、彼らだけの愛がある。
うーんと、銀土の銀さんは万事屋より土方が好きそうで、土銀の土方は真撰組より銀さんが好きそうに見えるといいたかったんです。
そんなことがありうるか?と問われたら、それはないだろうと思うんですよね。
それはないだろう。「おたまじゃくしは蛙になる」と云うほどの当たり前さで云います。それはないだろう。
そのラインを越えるからこそ恋って面白いんだけど。
それでも銀さんは土方を好きにならないし、土方は銀さんを好きにならない。だからこその二人かな、なんて。
あと、土方は対銀さんで乙女化しない。媚びないツンデレない。反抗的という名の手管で誘わない。
…ような気がする。どんだけいい男だ。
銀さんは…しそうでしない、のかな。微妙だ。
銀さんは対土方ではヘタレない。戦争知らないくせにとかお前らはいいよなとかしょせん殺し合いごっこの喧嘩ごっことか、どうしようもない部分で本気で威圧しない。(したらマジ大人げねーわ)
…のような気がするようなしないような。
微妙すぎて明文化できそうになくなってきました。
ちゅうか寝るいうてどんだけまた書きなぐってんの。
…ちょ、寝ます。
長い。かくせばよかった。
はいこの一言でみなさんお察しのとおり、こんばんわ、夏風邪ひいてました馬鹿です。
熱が…ぎゃー!
ちょっと寒くなって油断したらこれだもの。
薬飲んでらくーになりました。なおった!もうなおったよ!(とか油断してるからばかをみる)(懲りない)
元気になったので久しぶりに考察めいた雑記を書いてみる。
ユキサトさんが「リバてよりかループ」ていってたから自分の「リバ」が如何なるものか考えてみたよ。
リバ、即ち銀土銀!あれ、土銀土?ほんとどっちでもいいわ。
土銀のような銀土と銀土のような土銀。
なんのこっちゃ。
いやね、銀さんはけして土方に惚れないだろうし、土方はけして近藤さん以外に乙女にならないだろうってのが前提にあるんだ。
土方は対近藤さん時にはヘタレにでも乙女にでもなればいい。当社比、の程度で。相対的には「ええ、お前オトメてる?ほんとこれ全力でオトメてる?」ぐらいが非常にもゆる。
「ヘタレてる」じゃないあたりは、土方はヘタレだろうと思っているからでして。
情けないって意味じゃないヘタレ…なんていうか、某くるる氏と語り合ったのをちょいと持ってくるんですが(すんません)
・土方は3zでも彼女をつくらず、何故かっちゅうと俺には近藤さんがいるからと思ってる。
・男にもてる男の銀さん・坂本・近藤さんは女性陣から評価は低いが、そのため土方は「おんなは見る目がねぇなあ」と思ってる。ついでに、「近藤さんのいいところは俺だけが知ってる」と思ってるふしがある。
・で、お妙さんにつれなくされる近藤さんを見ては、「志村がダメでも俺がいるぜ!」とか思ってる。
うおおおおお殴りてぇぇぇ。
身近にいたら衝動的に殴り倒しそうだ。うおおおおおって。
なん…なんだろ…特に3zにおいて土方は阿部にみえる…
阿部はすごいうざいと思うよ。桐青戦みてると特にそう思うんだけど、和さんのさりげなさったらない。捕手というか女房役というかフォローマスターというか…
あんだけやんや云う阿部のほうがうわあ…みたいなどん引きなんだろうけれども、三橋の場合にはそれがよかったというところがまたこれ相性というか人間関係というかの面白さでねって話がずれた。
ああうんそれで、唯ひとりをつくってしまうあたりが阿部や土方ら「副官」ポジションの人間の性質なんだなぁって。
もちろんそれは有限で、手の届かないところがいっぱいあるんだけれど、でも有限だからこそ有効なものもあるというか。
阿部の例でいきますね。
阿部は三橋をびびらせる。いちばん三橋のことを考えてるにも関わらず。
で、阿部は対三橋で田島にかなわない。いちばん思いやってるからこそ。
田島は空気読むのうまいから。田島は泉くんと同じくらいシビアで合理的な思考してる。阿部と違う意味で理論的。
田島の理論的、は田島のなかでだけ通用する符丁や公式がある。つまり一般的でない。
阿部は良くも悪くも一般的。だからこそ通用する。
でも田島の一般的でない理論性が活躍できる場面もいっぱいあって、それは阿部(に代表される一般的なもの)が通用しないときこそ必要とされるものだと思う。
枠内で十全に動くためには枠内に存在していることが必要とされる。=阿部。
枠内が混乱状態・膠着状態に陥ったときにそれを打破するのは枠のなかにない枠外のものにこそできる。=田島。
っていうことだと思います。あくまで端的にいうと。
ここいらへんを土方と銀さんに置き換えられるか、という、と…
阿部=土方として、
田島=銀さん、にはならない。
銀さんは境界にいる気がします。枠外、じゃなくて。
勿論、田島も枠外にいるようでいていないんです。いるのは枠内。それでいてそうした振る舞いをしてみせる=自分をプロデュースできるからこそすごいんですが。
田島は打つ(プレイする)ことで語るんですが、銀さんは説教もするので田島より境界的なんですね。
どっちもヒーローなんですが。
うーんと阿部には阿部だからこそ手の届かないところがあるといいたかったんでした。これはきっと土方にもあると思うんです。阿部と土方の相似性にあまえて重ねてしまうんですが、土方「だからこそ」手の届かない部分。それは近藤さんに対してがもっともあるに違いない、なんて。
わたしの近土像ってあまりに近藤さん好き過ぎると思うのだけれど。
ほもにならないんですよね。近藤さんが近藤さんであるからこそ。
近藤さんは「みんな」好きなんじゃないかな。頭ひとつ抜けて沖田がいて土方がいる。僅差で土方に軍配があがるのは年齢の近さ故。
土方も沖田も近藤さんは同じく「悪友」だと思ってる。
すれ違いとか片思いとか感情の履き違えとかボタンの掛け違いとか、色々言い方はあるけれど全部違う気がする。
土方が近藤さんを絶対視してるか?っていったら、「三橋に対する阿部を見ろ」、というのが的を射てるのかな。
捕手として、投手としての三橋をみる阿部は、努力を知ってるぶんの多少の贔屓目と客観的な論点から見た絶対視をしていると思います。
でもそっから離れたとき、「わっかんねー」「こいつ別の星の生物じゃね」「どうしてほしいわけ?」「なんなのほんとムカつく」となる。
それとこれとは別なんですね。
土方は近藤さんを絶対視してるんだけど、それとこれは別、と思ってる部分もきっとある。
近藤さんに対する土方を見るときに、ふと思い出す銀さんの台詞があるんです。
紅桜編、対似蔵最終戦。
「余計なもんなんかじゃねーよ。余計なもんなんかあるかよ。すべてを捧げて剣をつくるためだけに生きる?それが職人だ?大層なことぬかしてんじゃないよ。ただめんどくせーだけじゃねーかてめーは。いろんなもん背負って頭抱えて生きる度胸もねーやつが職人だなんだかっこつけんじゃねぇ」
ええとちょっと置き換えてみますよ。
職人→俺の武士道
すべてを捧げて剣をつくるためだけに生きる→近藤さんに剣を捧げて生きて死ぬ。
「余計なもんなんかじゃねーよ。余計なもんなんかあるかよ。近藤さんに剣を捧げて生きて死ぬ?それが俺の武士道だ?大層なことぬかしてんじゃないよ。ただめんどくせーだけじゃねーかてめーは。いろんなもん背負って頭抱えて生きる度胸もねーやつが俺の武士道だなんだかっこつけんじゃねぇ」
…あれ、なんかちょっと文脈があってる?
いや、ともかく、神様をつくると楽になるんです。それ故の苦しみもあるんですが。
土方は近藤さんを神様にしないで、大事なもん預けっきりにして「俺はあんたがいればいい」だなんて楽にならないで、ちゃんと自分で背負って頭抱えてってほしいんです。あなたのためになんてエゴで自己満足で美化で、誰のためにもなってない。真撰組はこのエゴの部分がすべて近藤さんにかかってるから、それがトップの近藤さんの役目であり組織ってもんだから、だからこそ神様にしちゃいけないんだと思うんです。人間でないと。
あくまで「悪友」でいてやってほしいんです。
だからわたしの「近土」は、原作で完結してる。あれ以上がない。ていうかあれより素晴らしくなりようがない。既にすばらしすぎる。
ほもにならないってのはそういうことです。
近藤さんは土方に恋しないし、土方は近藤さんに悪友として大将として人間として、惚れこんでる。
…と、いいなーなんていう妄想。
ようは「甘えるな」ということです。
当初からかなりずれた。
もうねむいので端的にいいたかったこと!
つまり銀土みたいな土銀、土銀みたいな銀土がすきなのは、
銀土は銀さんが非常に土方を好きそう、土銀は土方が非常に銀さん好きそう。
なのだけれど、銀さんは土方を好きにゃならんし土方もそうだし、
アドバンテージは常に奪い合ってる。
銀土の銀さんは土方のことは好きそうだがぶっちゃけとりあえずヤれりゃいいと思ってるふしがあり、万事屋とは別の、誰か個人=土方を好きになる銀さんは廓然大公じゃないなぁなんて思う。
土銀の土方はともすれば真撰組と銀さんをはかりにかけそうだが土方のホームは真撰組でそこは譲れる譲れない以前の問題なので近藤さんと銀さんをはかりにかける愚をおかす土方ではない(殴りてぇ)。
銀さんが誰か個人に恋して愛せたなら、きっと一個の人間として彼という男はしあわせになれるんだろうけれど、
近藤さんと坂本と銀さんは「個人」を愛さないと思うのだよなぁ。
彼らには、どんなかたちにも当てはめられない、彼らだけの愛がある。
うーんと、銀土の銀さんは万事屋より土方が好きそうで、土銀の土方は真撰組より銀さんが好きそうに見えるといいたかったんです。
そんなことがありうるか?と問われたら、それはないだろうと思うんですよね。
それはないだろう。「おたまじゃくしは蛙になる」と云うほどの当たり前さで云います。それはないだろう。
そのラインを越えるからこそ恋って面白いんだけど。
それでも銀さんは土方を好きにならないし、土方は銀さんを好きにならない。だからこその二人かな、なんて。
あと、土方は対銀さんで乙女化しない。媚びないツンデレない。反抗的という名の手管で誘わない。
…ような気がする。どんだけいい男だ。
銀さんは…しそうでしない、のかな。微妙だ。
銀さんは対土方ではヘタレない。戦争知らないくせにとかお前らはいいよなとかしょせん殺し合いごっこの喧嘩ごっことか、どうしようもない部分で本気で威圧しない。(したらマジ大人げねーわ)
…のような気がするようなしないような。
微妙すぎて明文化できそうになくなってきました。
ちゅうか寝るいうてどんだけまた書きなぐってんの。
…ちょ、寝ます。
長い。かくせばよかった。
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