愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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今週のおじゃんぷねたばれをちょこっと。
最終的に「銀さんの白夜叉ってなにか」「銀さんと沖田の同類項」「神楽ちゃん」「新八」「万事屋」になりました。なにそれ。なにこれ。
ねたばれっていうか…
うーん神楽ちゃんにとっての夜兎の血と銀さんにとっての白夜叉とって考えたときに、
違うものだよなって結論に至った。
あとマジギレ沖田と鬼の副長もぜんぜん別カテゴリだと思った。
鬼の副長はむしろ平時における鬼なわけで。非常時における鬼は沖田なわけで。
副長の鬼の所以は決断の非情さと合理にあるんじゃないかと。
しかし沖田の鬼は銀さんの白夜叉と一脈つうじるんじゃないか。
ここらへんたぶん銀さんと沖田が同類項だと感じられる所以です。
沖田の鬼と銀さんの白夜叉って「抑制のきかない部分」じゃないってことなんです。いや沖田は若いからやりすぎることもあるだろうけど。白夜叉当時の銀さんだって抑制きいてたかどうかなんてわかんないですけど。
でも神楽ちゃんのあれとは違うよなー
神楽ちゃんのあれは抑制されてた部分というか、抑制されるべき部分というか、
神楽ちゃんの意識の及ばない部分であるんだよな、はみだしてる余録的な。
沖田のあれと銀さんの白夜叉は、彼らのなかにあるんですたぶん。
血じゃなくて。生まれじゃなくて育ちじゃなくて。
沖田総悟という人間、坂田銀時という男のなかにあるんです。
でも神楽ちゃんの夜兎は血で生まれで育ちなんですよねー
いや、育ちじゃないのかな…でもその過程で定春一号事件とかがあるわけで。やっぱり育ちも含めるのかな。
でもとりあえず沖田と銀さんのあれは、個人の領域にある。中心核にある。
ドエスコンビのドエスはここらへんにあるんじゃないか…
陳腐ないいかたをすると暴力性で嗜虐性で衝動なんですけど、言い訳につかえるようなそんな簡単なものじゃないと思う。同時に鬱屈と厭世でもあると思う。正当な挑発で斜に構えた嘲笑だと思う。血潮で虚無だと思う。でも正気だと思う。それがなによりの狂気だと思う。
紅桜編の白夜叉降臨した銀さんの目を見てものすごい納得したことがあるんですが
つまり、たぶん、その、あれって没頭なんです。集中というか。
みやざきはやおが某ドキュメントでちょっと前に
「仕事してるとき怖い顔してるっていわれるそうですけど」ってインタビューでいわれて、
「そりゃそうでしょう。悩んでんのにニコニコしてたら変でしょう。集中してるときに笑えないですよ」
みたいなこと答えててですね。「あぁ」と思ったのですが。
あとですね。わたし読書が趣味でして。パソコン向ってないときはずっと本読んでるっていってもいいくらい四六時中読んでてですね。読んでる間に話しかけられても素で気付かないことがざらで。
で、「りつかちゃん本読んでるときこわいよー」ていわれてですね。それはたぶん集中してるからでして。
それで、たぶんそういうことだと思うんですけど。
集中のメカニズムじゃないんですが、あれはたぶん狂気なんです。狂っているというのは没頭しているということで。逆なのかもしれないんですが。
集中してるときに人間らしい顔というのはできないわけで。いやいちばん人間をむき出しにしてるのかもしれないんですけど。
だから、似蔵の刃のうえの銀さんのあの目を見たとき、つまりこれはそういうことなんじゃないかと。私見なんですが。
精妙さや精密さは、訓練がものをいいます。が。
それが凄絶といわれる領域に届くためには、絶対的に集中や没頭というものが要るんです。
沖田は属してるところに因るんだと思うんですが、精妙で精密で。
で、銀さんがときどき凄絶なまでの切れ味を見せるのは、その一瞬の没入なんじゃないかと。
絵を描いてるときに、どこも見てない目でカンバス見てるひとっていませんか。全体を見てる眼で部分を描いてる。部分を描写する手で全体をえがいてる。ひとつがすべてですべてがひとつ。描くために描いていて、手段と目的が同一。
あれは狂気であると同時、集中なんです。たぶん。
だから同じメカニズムで読み解いてるんですが…
絵描きと読書と人斬りを同列に置いてしまった。いいのかコレ。ダメじゃないか?
そして「そんなに集中できるってのはある種才能では?」といわれた経験からいうんですが、集中は訓練によって持続も可能です。才能じゃないです。好きか嫌いかです。できるかできないかじゃない。誰にでもできる。
やるかやらないかです。やりたいかやりたくないかです。
やりたいと思ったらやればいいだけです。一瞬と永遠が等価になり、手段と目的が同一になる。
それが集中です。
それはもう壮絶に話ずれたんですけど。
神楽ちゃんのは違うよね!っていうことがつまりいいたかった!
あの狂戦士モードについて考えたかったんですけど、たぶんわかんないです。まだ。いやずっとわかんないのかもしれないんですけど。たぶんわたし壮絶にキレたことってないので。
だからわかんないのかな…そういう問題じゃないのかな…
自分のとこまで落として考えようっていう姿勢がまず違うとつっこまれたらそうですよねと答えるしかないんですけど。
今週の神楽ちゃんの夜兎暴走モードはつまりどういうことなんだろうと考えた軌跡だと思ってやってください。
つまりどういうこともなにも!見たままだよ君!(自分ツッコミ)
だめだ来週気になりすぎる。何がきても気になる。もう今週の感想は新八を婿にしたいでいいと思う。新八は男前。実力的にあのメンツの最下位だからこそあの弁えかたがすごい。
命をまもることと笑顔をまもることが別物だってはっきり思った。
神楽ちゃんは自分のちからで命はまもれるけれど、自分のちからだけで笑顔にはなれない。新八と銀さんと定春と他たくさんのひとあっての笑顔。
たぶん新八は神楽ちゃんの命はまもれないけれど、笑顔はまもれる。
それが大事なんだと思う。そして新八はそれをわかってるんだと思う。
だからこそのあの台詞なんじゃないかな…「僕の知ってる神楽ちゃんをまもる」、は。
万事屋のあの補完関係はすごいな…!パワーバランスも役割分担も!傷の埋めあいとか舐めあいにならないあたりとか。だから「家族」は名義であって本質ではないと思う。家族的ではあるけれど。
今週の話なんですけどかけ離れているような気も。
ああしかし明日(日付的には今日)のあにぎんは見れなそう。ゼミ飲み会なんて!
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この記事は時期が来たら「銀魂語り」のカテゴリにします。
あんまこだわることないのかもしれないけど、なんかこれは「じゃんぷねたばれ」にしとくもんじゃないと思ったので。
そのうちそのうち。
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