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愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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今更なんだが自分の書くテキストの、いわゆる「誕生日話」で、祝ってると確信できたことがない。

「これ祝ってる?ねえこれ祝ってる?」
というか、
ねえこれ祝ってるんだよね?だって誕生日だもんね?ねぇ?
みたいな。

あからさまに祝ってるのといえば…去年の銀誕と今年の沖誕くらいかな。
それでもどっちにしろ祝ってる感が薄い。
おかしいな。

ていうか新八誕生日もすぐですね。

高杉誕なんて思いついて一時間であげたから粗が目立つというより粗だらけだ。誤字脱字とか。
新八誕も同様になる気がする。

でも去年はこの時期、船の中で祝うもなんもなかった。
懐かしいなぁ。また行きたいなぁ小樽。


明日帰郷します。新幹線は乗車率200%で笑えたから、パピーの車に乗せてもらう。
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薬を飲んでうなってたら頭痛が雲散霧消しました。不思議!(じゃねぇよ)

なおっておおふり見てたらなんかむらむらきた(注意:不謹慎な意味でなくて!)

たぶんそのうちおおふりも語りくると思います。新たにサイトをつくらないために笑
ハルヒのあにめではまったので、最近は本屋をはしごして既刊を読み直すところからはじめてます。あにめの印象を持って読み直すとより楽しい。

そのうちなんか小話のっけにきたら笑ってやってください。

たぶんの傾向。
ハルヒ→SOS団オールキャラ
おおふり→西浦中心オールキャラ

またてめぇオールキャラか。ほんと懲りない。
わたしだって禁がつくようなもの書いてみたいんだ…何故かかなわない理想なんだけど。
書きたいものは沢山あるのに、それを自分の理想のラインに置くと、とたんにオールキャラに化けてしまう。
どうにかならんかこれ。

ええっとなんとなくではあるものの、わたしの好きキャラは共感によって成り立ってる部分が多いみたいです。
自分と違うから好きになるんじゃなくて、憧れじゃなくて理想じゃなくて、「共感」。
一個でも「あ、わかる」「知ってる」と思う部分・心情がないと入り込めないみたい。

ぎんたまでは銀さんです。「どこがわかるの」とか「どうして」とか訊かないでね、自分でも閉口してるので。
というか一度おしゃべりしただけの某旻氏にそう看破されたので。
「銀さんの目線で銀魂世界にいる」、とか…
まじ過分なお言葉だ…。自分でも薄々気付いてた恐ろしいこととはいえ。

ハルヒでは、ハルヒとキョンと長門。
SOS団「が」、好きなんですが。特に誰といったら上記の三人。すきだ。
たぶんポジションとして鶴屋さん(部外者)なんでしょうが。
高校んときは長門みたく本しか読んでなかったなぁ笑

おおふりでは、三橋と阿部と田島。
ていうかここ抑えといたらあともうだいじょぶなんじゃないの、て感じのメンバーだな。
アウトプットが左脳なので、阿部くんの考え方は非常にすき。経験不足なところも発展途上でいい。ああいう男の子もすき。いや、ほんと男の子だなぁ阿部は。

田島さまは、うん。なんていうか、投手としての三橋にかぶる理由がある。
修羅だから。マウンドの投手とバッターボックスの四番は。あれらは絵描きやピアニストと一緒。「男」であるよりも「人間」であるよりも「田島悠一郎」であるよりも、それ以前に「バッター」であることを選んでるから。
その意味がわかってしまうかなってあたりが共感。

三橋は、あー、わたしの中学時代が三橋の中学時代とちょいとかぶってるからってのもありますな。
同学年の部長に嫌われてた。わたしは三橋みたく実力があったんじゃなくて、実際にドベだったんだけど笑

何故嫌われたかわからないくらい毛虫の如く忌まれていたなぁ。先輩が同学年の部長より、わたしみたいな出来の悪いのかわいがるから、そこのところを恨まれたのも勿論あった気がするけれど。
部活に行くのが苦痛でしょうがなかった。運動はつくづく自分に向かないなぁと思った。でも屋外の部活は好きで広いコートも好きで青空も好きで、そこから見える工場群の煙突も好きだった。だから休まなかった。下手だからという理由で後輩の練習を見させてもらったこともないけれども、たまたま小学校のときの知り合いが後輩のなかにいておしゃべりをすることもたまにあった。
団体競技じゃなかったんです。そうだったらもうちょっとましだったかもしれないけど。

同学年の部長に嫌われると、まじで部活に居場所がないですよ!気にしなかったけど(笑 部活では表立って仲良くはできないけど、仲いいやつだっていたし。コートに面した教室で美術部が部活やってて、わたしはハブられてるのいいことにそっち行って軽くおしゃべりしたりもできた。さみしかったけど楽しいこともあったのは嘘じゃない。

それでもやめなかったり行かなくならなかったりしなかったのは、わたしが臆病だったからです。部活やめると内申に響く。本ばっか読んで勉強しなかったので成績も常にあぶなかったし笑
コーチは椎間板ヘルニアかなんかでずっといなかった。おかげで居づらい居づらい。先輩がいなくなると余計に。

三年になって、同年代部長と仲がいい副部長と、部内で二番目にうまい子とクラスが一緒になった。別に部活のことは気にするようなことでもなし、話にもでなかったんですがあるとき副部長の子が
「あの子を嫌わないでやってね。悪い子じゃないから」
っていったので、あっけにとられた挙句大笑いしてしまいました。

いやンなことわかってるって!誰も悪かねーよ。勿論わたしだって悪くねーし。いやみんな悪いとこはあったんだよ。でも三年の夏で部活は終わったんだからもう時効だよ。ていうか君が謝る必要なんかない。

結局そのはなしを蒸し返すことはなく卒業したんですが。ええっと、わたしのはなしはいいんだ。
つまりですね、三橋の厄介なとこの話をすると。

三橋は、三星時代=嫌な思い出、じゃないんですよ。
三星のみんな=嫌なやつら、じゃないように。
つらかった・かなしかったのと、三星のチームメイトの行いが、乖離してるんです。
わたしの例でいくと、「部活がさみしかったこと」と「同学年部長」がイコールでつながってないのと同じ。
ええとイコールでつながった場合どうなるかというと、さみしさの責任がそこにいくわけですね。つまり誰かのせいにできる。
三橋はそれをしないんじゃないかな。ていうか、ナチュラルにしてないんじゃないかな。
これは、三星がイコールでトラウマになってるよりも厄介な事態なんですよ。

だって、三星時代とそのチームメイト=トラウマだったなら、彼らと和解したらトラウマは薄れるんです。
でも三橋は、ぜんぶがぜんぶ、乖離してる。三星と、つらさと、三星のチームメイトと。
三橋のつらさは彼自身が「不甲斐ない投手だ」という自覚を持つことに因ってるので、不甲斐ない投手→勝てない→申し訳ない、なんです。
投げて打たれたら、それは投手が投げ負けてるから。そこは投手として言い訳のきかない部分。だからこそ三橋は自分の身についてる努力や技術に誇りを持てない。その努力は「敗北」でぜんぶ否定されてきたし、技術は「遅い球」という事実に勝てないと思ってるから。

つくづく難儀なんですよね…もっと安直にトラウマにしてしまえばよかったのに。そのほうが乗り越えるのも楽だった。
捕手である阿部くんがここのところをある程度汲んでて、そのうえで「投手として」の三橋に自信と自覚を持たせようとするにしても、きっと一筋縄じゃいかねーだろーな…と思います。

三橋はいいこだなぁ。素直とか純粋とかじゃなく、敢えて「ただしい」という言葉をつかいたい。
「ただしい」を曲げないためには自分がどっかで苦しい思いをすることになる。それなのに、ただしい想いを持ち続けてきたことを、とっても誇りに思う。

阿部もそう。ちょっと屈折のにおいもするけど、ここぞというときに「ただしい」言葉を三橋にかけてやれる。やつは「今、ここ」という瞬間に間違わない。
それ以外のとこではまだ修行の余地がありまくるんだけど、ご愛嬌だ。

田島さまはすべてにおいて間違わない。ちゃんと「ただしさ」がどこにあるのか知ってる。知ってるから間違わない。間違う余地がない。
我らがヒーロー!ていいたい気持ちわかる。


ああ、なんかとってもおおふり語り。
カテゴリで困るよ…


とりあえず「おお振り」カテゴリでゆくよ。ぎんたま語りのテイストとハルヒについての言及もあるんだけどね!
ちょうはなしずれた感満載だぜ。
あだだ、あたまがいたい。
原因不明です。

飯つくる気がなくって何か買いにいったら本屋につかまって閉店までかかって文庫本を二冊読了してしまった。

…あれ…ごはん、は…

冷房で余計あたまがいたいです。素直に薬のんどきゃよかった。

でもあにぎんは見ました。
昨日からはらがいたくて転がってます。
なんでか薬もきかねーしよー…

おじゃんぷは読みました。意地で這って行きました。
リアルに息切れした。徒歩三分なのに。
今週ばかりは買えばよかったぜ。なんせはらいたでコンビニじゃ座り込んで読んでたからな。
おにいさんの目がいたかった。

なんかまた今週もオモシロ展開に。

総括:江戸に住むのってたいへんだ。

あれこれねたばれになるのかな…ならないか。いいか。
以下おじゃーんぷ。


なんか九ちゃんとお妙さん語りとか、最終的にハルヒ語りになってる。
一日に何回雑記書く気。とつっこみたい。

19巻の感想。動乱編!
おじゃんぷ感想として吐き出してたのの取りこぼしてた分を語ります。

何を取りこぼしてたかって?

銀さんです。


あんだけ要所要所で語っておいて、あれでもまだ抑えてた。
敢えて語らんとこうとしてたんです…きりがないから。自分で甚だしく「うぜえ」とつっこんだから。
もうネタバレしてもいいだろう。というのと、冷却期間置いたんだからリアルタイム時ほど激しくならないだろうと思いまして。

土方とか鴨とか真撰組とか万斉とか土方とか鴨とか沖田とか近藤さんとか土方とかトッシーとか近藤さんとか近藤さんとか(アレ?)について語りたいんだが、
万斉絡むと高杉の思惑につながり、かつ桂高杉銀さんについて考える羽目になり、
鴨や土方や近藤さんや沖田や、真撰組や山崎のはなしをするとマジできりがないので今日は保留。


各所で取り沙汰されてる、「俺の護りてぇもんは昔っからなにひとつ変わっちゃいねぇ」、ですが。

つまり、何なんでしょうね?

ずばり、彼のルールだと思います。そんなアホな。
「俺の国」
「俺の武士道(ルール)」
それらに象徴されるところのもの。

戦中の銀さんは何を護りそこなったんだろう。
戦争に参加するに至った経験、松陽先生のことは果たして護りそこなったものなのかどうか。
銀さんは何を護れるつもりでいたんだろうか。

前に、「攘夷派は『腐れ縁』の中には入ってるけれども『俺の国』には入っていない」という話をしたんですが。
それをふまえて。
銀さんは攘夷派のみなさんを護るものとは思ってない。何故ならいわゆる戦友だから。乱戦のなかで自分以外のこと考えてられないし、だったら戦友は護る対象なんかにゃならないだろう。

銀さんが真剣に生きていたのなら、護れると十代特有の理由なき自信と青臭さで信じていたのなら、きっと戦争で彼はぜんぶ失くしたんです。
芯が折れた。信じてたものを失くした。それは彼自身のいわれなき、若さ故の万能感であって、けっしてすべてがほんとうではないんだけれど、それを失くした。
完全に信じていたわけでなく、信じていたかった、或いは、信じたかったものかもしれませんが。
何かを変えられると信じたかった。

わたしはこの見かたも大推奨です。何故なら、もしそうならば彼はここで完全な敗北を喫する。
銀さんが文学であるためには敗者であるのが然りです。ので、彼が敗者であったなら、彼を文学と語っていいことになります。
歴史は勝者のもの。文学は敗者のもの。
銀さんは敗者なんです。対比するものは他でもない真撰組。彼らは勝者。
真撰組はどんなかたちであれ存続してって、最後に侍を残すものとしてちゃんと歴史になるんです。
たぶんそれがあるべきかたち。

でもちょっとひねた見かたをしますね。

銀さんがそこで真剣に生きていた、という以上に、彼が傍観者のポーズをとるひとだということをより踏まえて。

銀さんの意識が劇的に変わった瞬間というのは、終戦や目の前の戦の敗北じゃないんでしょう。
むしろその瞬間のことを銀さんは常々想像していて、敗北の瞬間には「あー」と思うだけなんじゃないか。負けた状況によるかな。
でも思い知るのは後になってからなんじゃないかと何となく思ってます。

なので、銀さんが「失くした」というのなら、それは過渡期ではないかと。
色んなものが目まぐるしく変わってく。新しい文化が、価値観が、ひとが物が否応なしにはいってくる。それに馴れるしかない。反抗した結果が敗北であると思ってる気がする。

過渡期に銀さんは、みなが自分を通り過ぎてく感覚を得たんじゃないかな。それが今の彼につながってるんじゃないかな。だから自分はここでみんなを見送ってくんだと思ってるんじゃないか。それをどっかでかぎつけたのが「いずれ去るひと」とみんなが思ってるあたりなんじゃないか。
去るのは銀さんじゃなくて実はみんなのほうなんじゃないか。

銀さんのあの斜に構えたポーズが、終戦から十年かそこらで獲得されたもんだとは思えない。勿論戦争がいちばんでかいしあれは彼の処世術で、そこで培ったんだと思ってはいるんだけれど。いるけれども。

もともとの彼の性質に、戦争による喪失と敗北で、そしておもに過渡期から今に培ったのがあの斜に構えるポーズで処世術で分相応な遣りかたで。

何かを自分の手で護れる・変えられると信じるほど銀さんは素直じゃない気もしてるんです。信じたいと思って動くような、そういう遣りかたをとらないんじゃないかとも。
彼の遣りかた。これもまた一晩考え尽くしたいもののひとつ。
少なくとも一度は間違えたんじゃないかと思います。それが二つ名。白夜叉。
間違い、というよりは痛恨のミス。の部類。
しまったやっちまった、という。

これ以上は「後悔してるか」という実にむずかっしい問いにいくんでここでやめといて。

銀さんが真剣に生きてたのなら戦争や終戦で何もかも失くしてて完全敗北してて完璧な喪失を経験してることになって。

もうちょいひねた見かたをして銀さんが戦争の帰結も終戦後のことも薄々わかってて、失くしたとするならその後のすさまじい過渡期の中で、傷付いたとするなら「想定はできてても結局実感としては何もわかってなかった自分」とそこで初めて至る「失ったもの」のすべてで。

どっちだったとしても、あの遣りかた・ポーズは今の彼だからこそで。

で、「護るもの」ってなんでしょうね。


ここで戻ってきちゃうんですよ!つまり、彼は何を護りたかったのか。
果たして護りそこねたのか?それともずっと護ってきたものなのか?
むずかしい…どれともとれる…むずかしい…

今のところはやっぱり「俺の国」で「腐れ縁」で「俺の武士道(ルール)」でいい気がします。よう考えんでも、これ以上に確信的で核心的なことばはない。


あー…
「護りたかったもの」についてしか話してないのにこの長さとウザさは一体なんだ。

ほんと手短に語るということができませんね…

銀さんについてしゃべってるのがほんとしあわせそうで自分どうにかなれと思ったり。もうどうにかなってる?ああほんとだ(上の文を読み返して)

また機会もうけてやってきますよ(ぼそり)
とりあえず祭りの文章をどうにかしよう。あとリク。いつまでお待たせする気だ。
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