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愛は瞳から生まれ、胸に落つる。
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帰ってきました。
ひとこないからってちょっと早い時間に帰らせてもらった。でも緊張つかれ。明日もだ!がんばろ。
帰りに夜道で猫に遭遇した。あいつら目ぇ光るってほんとなんですね。アパートの階段のぼりながら猫みおろしたらまるく金色にひかってた。こわい。

というわけでモノノ怪と化猫。




化猫
ニコ動で化猫のオーディオコメンタリー見てからバイトいきました。おもろかった。あの背景ふたりで書いたんだ。かえって統一感あるような。
色彩の暴力だよなぁと思ってたのだけれど、監督さんのおんなともだちが「カラフルで詩的で凶暴」っていってらしたとかって、ほんともう「あーたしかに」だった。
化猫にとどまらずモノノ怪はけっこう暴力的。題材がなのか、表現の仕方がなのか、どっちなのかはわからないんだけど。ていうかどっちもか。みようによっては衝撃的。
そういや化猫の脚本は女性が書いたんだとか。監督さんは「あれ男性が持ってきたら没だったけど女性が持ってきたからあげられた」みたいなこといってて、それもまた「あーなるなる」と思ったりした。あれは男性から見ても女性から見てもヒッデェと思う内容のようだ。すごいね。


モノノ怪にいくまえに。うーんと面白いなと思うのが、因果応報がはっきりしてるということです。勧善懲悪じゃあないのに、因果応報。これってぎんたまにも通じるんだけどね。
モノノ怪で加世ちゃんが「このひと誰の味方なの」って薬売りに対して思う場面あるんですが、薬売りは誰の味方でもないと思います。
モノノ怪を斬る、そのために行動おこすところから、モノノ怪の味方ではない。側面からみると救済しているという点で味方ともとれますが、必ずしもの救いではない。
ここで思い出すのがのっぺらぼうでのハイパーさん(なんか剣を抜いた薬売りをそういうふうに呼ぶらしい…)(もしくスーパー薬売り)が「なぜのっぺらぼうはわたしを助けてくれたんでしょう」と問うお蝶さんに「救われたなどと思っているのか?」てことばを返すシーンです。それは個人のこころの領域なんで、そして薬売りはそれに対して自覚があるように思えるので、味方じゃあないし、なれるつもりもなるつもりもないんだろうなと思いました。弁えてる。
そして同じ理由から、人間の味方でもない。
敢えていうならば、薬売りは因果律の味方。そうあるべくしてあるところに還るべしという、自然の摂理にも似た絶対性のもとにいる。
そういうところに準じてるのだろうな、なんていう夢想です。


モノノ怪のなかでも最も難しかった(らしい)のっぺらぼうについて。

あれって最後の解釈がおおきくふたつに分けられますよね!(すごい元気)(ちょ、考えるだけで楽しいんだ)
細かいとこ入れてくと色々あれ?て思うところあるかもしれないんだけれどとりあえず解釈ふたつ。

まず留意点がふたつ。
・最後に薬売りの「しかし誰もいない」という台詞。
・煙管をくわえて一服したこと。

解釈①
佐々木家の事件は実際にあったことで、お蝶さんはとっくに死罪になっている。薬売りは最初から最後まであの土間(というかお勝手というか)にいた。あそこに囚われていたのはお蝶さんの死して残るこころ。情念。それがモノノ怪だった。
それなら薬売りが「お蝶の一生」というかたちで彼女の人生を俯瞰するかたちで語ったことが頷ける。

解釈②
最初から何も起こってなどいない。佐々木家の人々は惨殺などされていないし、お蝶さんも死罪になってなどいない。すべては彼女のなかで起こっていた。彼女のなかで佐々木家の人々を惨殺して、彼女のなかでとらえたれて死罪になった。そうして彼女は彼女自身を殺し続けていた。

で、薬売りの「しかし誰もいない」はどっちにもとれるんですよね。

解釈の①ならば、「最初から誰もいない」の意味合い。佐々木家の人々は勿論、お蝶さんも最初からもうそこにはいない。あの家は空き家になるなりなんなりで、薬売りもまたそこには(もう)いない。

解釈②なら、「もうお勝手には誰もいない」になる。お蝶さんがいなくなった、の意味合い。のっぺらぼう、そして自らがそうなっていたモノノ怪を斬ったので、彼女は自分を縛るものがなくなって「逃げ出した」。
鶯が象徴的ですよね。動くはずのない絵の鶯が飛び去る描写。お蝶さんは逃げ出したともとれる。

どっちでもいいんですよね。きっと。明示しないところにすくわれるような気がする。どっちであってもいいんですけれど。

あと、面の男、のっぺらぼう。あれが薬売りの男の一人二役だった可能性も否めないんですよね。

対決が常に左右逆、鏡にうつしたようだったとか、薬売りがお蝶さんのことを最初からぜんぶ知ってるような口ぶりだったとか。知ってるような口ぶりは薬売り一流のはったりだったていう線もありますが、薬売りははったりはかましても重要な場面で嘘をつかない。(だからこそ加世ちゃんに怒られるような曖昧な返事でことばを濁そうとする、という側面もある)

あとそうそう、面の男が持ってた煙管を最後に薬売りがくわえてたということ。

あれも二通りの解釈が。
・もともと薬売りの持ち物だった。
・面の男のものだったけれども、あの場面であえて薬売りがくわえた。

薬売りのものだったら、やっぱり面の男は一人二役ていうことです。お蝶さんについているモノノ怪、もしくはあやかしを見破るために、煙管をよりしろに彼女を守る役目を仮託して演じてみせた。
「お蝶の一生、第一場」とかいうあれが、歌舞伎でもなんでもいいけれど、そういうのにも見て取れるから。ああいう演出がそもそも演劇くさい。面の男の格好もそうだ。そして面という道具立ては舞台のものだ。

(そういえば何故狐の面だったんだろうか?面について調べてみたい)

ええっと面の男のものだったけどあの場面でのみ薬売りがくわえていたと考えると、その直前の薬売りが面の男、のっぺらぼうを評した台詞、「かなしきモノノ怪だ」というのにかぶってきて、なんだかとてもせつない。かなしみをかけたような、薬売りがあわれと思ったような、そんな印象。薬売りにしてはとても感傷的な行動。

そもそも、薬売りがくわえてたのと面の男の持ってた煙管は同一なのかということですよね。きっと同一なんじゃないかなぁなんて話の構成上思ったりするんだけど、いったいどうなのか。

そうそう、煙管と面っていう道具立てがね、すっごいツボだったんです。
面はいわずもがな。噺家さんて、扇子を煙管やら箸やらに見立てて使うじゃないですか。そういうの想起させて、とってもわくわくしました。
薬売りがお蝶さんに「こんな偽者。モノノ怪があなたを騙すために仕組んだ芝居ですよ」と云う、あれも芝居という台詞がでてくる。そういや、芝居の続きを始めましょうといってたな。明言してるじゃあないか。

でも、個人的には面の男と薬売りは別人であること推奨ですけれどね。なんとなく、面の男がお蝶さんに一途だったことが、彼女の救いにもなってるんじゃないかなぁなんて思うから。のっぺらぼうが彼女に恋をした、それがこの悲劇で喜劇の発端で肝なんじゃないかなぁって。

…とすると、薬売りがくわえてみせた煙管は鎮魂なんだろうか。薬売りからのっぺらぼうへ、哀れなモノノ怪へ?
やっぱ感傷的で、とってもせつないんだな。


あーもっと色々考察くわえる余地あるんだけどもう遅いからまた明日!
ていうか楽しいな!もうちょい落ち着いたら二次創作まわりたい。
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