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銀さん誕生日おめでとう。
忘れてないんです全然そんなことなかったんですただちょっと書くのが遅れてただけで、ああ。
…十二時ちょっとまわってたから実はアウトです。が、このサイトは管理人が寝るまでその日ルールを採用しております(偉そう)(というより無駄な抵抗)
えー、「銀河祭」についての記述は本当です。国立天文台ってのは当時の東京天文台。台長は広瀬秀雄氏。氏の著書ってのは『年・月・日の天文学』。嘘じゃありませんよ。
「政府」を「幕府」に変えたり、いっそ「国立天文台」を「大江戸天文台」(なんだそれ笑)に変えたりしようかと思いました。あと年号とか。昭和じゃないだろぎんたまは。でも余計なことすると混乱するだけなので(わたしが)いいやと思ってストレートにいきました。うん、いいじゃんあれで。
いろいろもぐってる間にもうれしいことがいっぱいありました。知人の意外な趣味発見だったり、古馴染みとの五時間耐久電話だったり(料金わたし持ち)、空知川探索だったり(近所だったよ)。
一時間も河川敷をぶらぶらしてたでしょうか。なんか楽しい以上にこころが軽くせつなくなったので、そしてMDの電池がきれたので(この理由いらない)、帰ってきました。写メのほうにちょこちょこのっけてあります。
じゃんぷ感想とかいただいたバトンとか色々あるのだけれど、とりあえずわたしの明日は京極氏の新刊単行本に捧げるので(まだ手をつけてない)またあとで。六時間ってとこかな、読破まで。
木曜移動した最初のぎんたまを、見逃しました。
…時間を勘違いしててね、みんな六時半からだと思っててね。
我が家に集合したものの、ね。
北海道は六時からなんだね。Dグレも六時からなんだね。(Dグレは見ました)
YouTubeとか、見る手段はありますが、とりあえず今度おともだちと一緒に見ようと思います。EDが攘夷派せいぞろいだとか…ギャッ見たい。
こらえ性がないひとの話。
ダメだダメだと思ってたのに、京極氏の新刊買いました。じゃみのほう。おんもは読んだ。
考えたんだけど、じゃみを読むのが数年遅れるということは、それだけものわかりよくないわたしの脳みそがじゃみの内容を消化して昇華するのが遅れるというわけで。はやいとこ読むことにしました。
ハイデガーて読まないな。フロイト以後ばっか読んでるかもしれない。(おんもの話)
あーあぶなかった…
ああ危なかった…卒業が。
第一の関門突破。残す関門はあとひとつ。卒論じゃなくて。卒論はもう規定の枚数からいくと上がってて、内容からいくと三分の一(まんなかの部分)終わってる。
でもその第二の難関を今日寝過ごしたんだよな…うう。ら、来週こそ……あっ来週休みだった。
ついにリボンを見ないで次のおじゃんぷを迎えることになるようです。
むくろん、もといどくろちゃんを見てないわけです。女体化フラグは特にないんだけど、見てみたい気はする。
この間ね、新しくはじまったポケモンを数年ぶりに見たの。
ダイヤモンドとかパールとかわからないけど、なんか懐かしいと思ってしまった。小学生のときにカードとかやりとりしてたよ。
でもルビーもサファイアもわからないんだねこれが!わたしはグリーンで永遠に止まってるからね!(それすごい前じゃん!)
……いや、みなさんポケモンの前のシリーズ知ってますか。
わたしずっとあのハルカをカスミだと思ってまして。
…いやっ、違っ!だまされて…わたしあの女に騙されてたんです!
いつだったかポケモンを横目で見ながら電話をしてて、「ポケモンもずいぶん変わったよねー」みたいな話をしてて。
「タケシはいるのにカスミはいないや。さみしいねー」ってわたしがいったら、
「いやいるよ。なんか赤い感じのヒロインポジションの子がいるでしょ。それカスミだから」って。
「えっ!そう、なの…!」(単純)
「そうだよ、見てわかるでしょ」(この友人は本気の顔をして嘘がつけるしいつもどおりのツラでひとを騙す)
「や、でもなんか髪長いし」(そうだいけいけ!)
「こんだけ長く旅してりゃ髪も伸びるでしょ」(中じゃ数年もたってないはずですが)
「や、でもほら、なんか服も違うし」(そうそう!)
「サトシの服だって変わってるでしょ。イメチェンだよ」(そんな強引な…)
「な、なるほどー…!」(って、納 得 す る な よ !)
って感じで、
最終的にいいくるめられちゃいました。(馬鹿じゃないの自分)
ポケモンなんて滅多に見ないもんだから気付かなかったよ…!電話しながらだから誰が何て呼ばれてるかなんて確認しないし、そもそも彼女の言い分を信じてるからそこまで確かめようともしなかった。
二年近く騙されてたのか…ちょ、まじで。これけっこうおそろしくないか。わたしまだ騙されてることあるんじゃないのか。こ、怖ぇぇぇぇ!!
最近別のともだちと話しててやっと発覚した、よ。
くそ、あいつぜったい将来詐欺師になるよ。なんであんなやつとともだちなんだろ。いやあいつはともだちじゃない。あいつはともだちの皮をかぶった悪魔だ。そうに違いない。小樽で泊まるとこなくて朝までコンビニにいたよっていったら爆笑で息ができなくなってたくらいだからな(そのまま窒息してしまえ)
間違いなくともだちじゃないなあれ。わたしがコンビニで一晩明かしたことをおもしろおかしく吹聴してたもんな。
くそ、お前こそコンビニに居続けて店員に不審者扱いされてしまえ!(酷)
あれ案外店員の視線がいたいから。まじだから。(そんな経験いらない)
えーポケモン、ていうかゲームの話に戻って。わたしは魔法使いタイプです。属性とか相性とか考えたうえで一番効果的な攻撃をする。かなり姑息な感じ。
相手の攻撃が当たらないところを選んで立ち位置にしてるからだいたい無傷だし、ボス戦は必ず余計に10はレベルをあげとくし、治療は欠かさないし、要る道具も常に一定数確保しとくし。
お前「勇者」じゃないだろ?みたいな超姑息、堅実で用意周到なプレイの仕方でした。(笑顔)
軍師タイプじゃないのは、頭とからだが一緒に動くタチだから。というか、やっぱ戦場には立ちたいしなー。RPGの醍醐味だし。それだけでもないけど。
ひとを使うのもいいけど自分が前線に立つほうがいい。手間が省けるし。かといってひとに使われる気はない。でも使われてもそんなに異存はない。どっちだよ!
今そんなのに真撰組と攘夷派(昔の攘夷戦争のときの)を考えた。真撰組は使われる側。攘夷派は有志の集まりだから使う側でも使われる側でもない。意識としては。
実際には攘夷派は道具として使われてたぽいですけどね。幕府にも天人にも。プロパガンダとしても、捨て駒としても。政治的打算とかくだらなくてだいすきです。めちゃめちゃ使い捨てにされてそうだ。
快援隊は使う側でありつつ使われる側。商人てのはほんとしたたか。使い使われ、情も義もあって、それでも利益を忘れない。坂本は恐ろしい男です。(そんな坂本のギャップにも惚れたよ)
今日が夏休み最後の日だった。明日から学校だぜイエーイ(宿題は)
………はっ!リアルに風呂場で眩暈起こした。普通のシャワーで倒れそうになるってわたしどれだけ貧弱よ。
緑色の斑点が視界に広がりました。.hackのウイルスバグみたいな(誰もわからないたとえ)
くれよんしんちゃんですね。ご多分にもれずわたしもだいすきですこれ。あまずっぱい如何ともしがたい気持ちになる(それは郷愁じゃ…)(語彙が少ない)
名作じゃなかろーか。ケン氏の引き際とちゃこ女史のコンビはあそこだけ空気違う。空気は80年代なのにやたら粋だよ。
たこめしを作った。刺身用のたこを使うとゆでないでいいから楽だと発見。ぎんなんとみつばがあればもっとよかったかもしれん。
最近、足しげく通ってるサイトさまがみんなしてACIDMANゆってるので気になります。明日あたり借りに行ってみようか。
中二のときに、おともだちからBUNPのCDを借りたんです。リビングデッド。
当時の印象。は、「恐っ!これ、恐っ!」でした。
友人間では「K」が評判でした。わたしは歌詞カードの「丘の上で男が首吊り」の絵(記憶が曖昧なのでたしかそんなん)にびびってそれどころじゃあなかった笑
そしてまだMDを持ってなかったのでカセットテープ(古いな!)に録っておいたっきり仕舞いこんで、それっきり。弟がBUNPにはまらなかったらきっと半永久的に戸棚の中だった。
1,2年ほど前に弟がはまって、なんかきいたことあるなと思って調べたら案の定。あの頃はまだ全然流行ってるわけでもなかったので、あの友人はけだし慧眼だったということになるわけです。
彼女とわたしはまるっきりアンテナの向いてる方向が違うし、たんに情報収集の場が違うってことでそんなに驚くことじゃないのかもしれないけれど。悪魔のオロロンもだし楠木まき氏の場合もそうだし、思いもつかないものを持ってくる子です、いまだに。でも同じことを別ルートで知ってるっていうのはままある。そうすると持ってる情報がそれぞれ偏ってたりしておもしろい。
京極氏の巷説百物語なんて、わたしは原作、彼女はWOWWOWでの放送で監督が堤氏、という偏りっぷり。間違ってるわけじゃなくて情報源から生じる違いがとってもおもしろい。その違いにこそ彼女とわたしの差異がある。
そういえば去年北海道のわたしのところまできて数日間遊びまわって、東京の彼女の家に泊まったりとかしてなんだかんだずうっとべったりだったけど、喧嘩したおぼえがない。「どんな仲良いこ同士でもべったりだとぷっつんいくものよ」というけれど。それなら、うん、無理をしいてしまったのかなぁとか思います。いや、実際どうかわからないけれど。なぁなぁな性格はお互い様なので。それぞれ適当に時に応じて曲げてれば、それで曲がることに抵抗がないなら、案外うまくいくもんかなあなんて思ったり。
えーと、なにがいいたいかというと。今BUNPを聴き流してますということです。(それだけのことに何故こんなに長くなる)
さっきテレビをつけたらBLOOD+の最終回だった。そうか、そうなったのか(なにが)
BLOODっていうと血まみれみつあみ少女小夜(刀でセーラー服でこわい顔してる)文庫本のイメージ先行です。数年前にどこぞの雑誌の連載であった。読んでたけど、こわかったー。あれはこわかった。+では小夜のキャラクターの違いに呆然としたおぼえがある。
最終回ってのはいつも無意味にほっとする。なんでかな。空知のように「待ってくれ!」とならないのは。そこに二次と一次とはいえ表現者としての違いがある気がするんだけど。単純に欠落部位の問題か。
創作者は欠落部位を埋めるために想像で補って創造行為をしてるというのは、あながち間違いでもないと思うのだよなぁ。
「感動するというのは脳が傷付くということ。その壊れたものを修復しようとするとき、創造がうまれる」。茂木氏の言だけど。脳科学者のいうことはおもしろい。
けど欠落にぴったりはまるものはないと思うなー。だからないものねだりにも思えて…うーん、けどまずはそこから始まるんだって考えたら、あながち…不毛でもないのかな。
これらは創作行為の過程にあるものだけど、それを結果にしたらその時点で不毛なものになっちゃうのかね。けどまぁ、創作者っていうのはどっちにしろ、えらいさびしんぼうにかわりはない、と。